おつかいありさん

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おつかいありさん』は、関根榮一作詞、團伊玖磨作曲の日本の童謡である。1950年、NHKのラジオ番組『幼児の時間』のために作られた[4]

1945年(昭和20年)10月、NHKは戦争の激化で一時中断していた[5][6]幼児番組『幼児の時間』の放送を再開、1949年(昭和24年)8月からは『うたのおばさん』を新設した[9]。当時の童謡はレコードで広められる「レコード童謡」が多く、しばしば商業的利益が優先され、幼児の生活からはかけ離れた内容となっていた。歌い手は童謡歌手と呼ばれる少女が主体で、こうした少女に期待されたのは愛らしい振り付けで大人の目を引くことであった。NHKは幼児番組の再構築にあたり、作り手には若いながらも本格的に音楽を学んだ作曲家を、歌い手には歌唱経験の豊かな「おばさん」を起用することで、それまでの童謡とは異なる、真に幼児のための歌を作り出そうとした[7]。『おつかいありさん』もこうした流れの中で作られた曲の一つである[10]

『おつかいありさん』を作詞した関根は当時私鉄の駅員で、詩は好きだったものの、童謡には特に関心を持っていたわけではなかった。ところが戦時中に同じ職場で働いていた作曲家と町で偶然再会、NHKに紹介するから幼児向けの歌を書いたらどうか、と勧められ、本作の作詞をすることになった。関根が童謡と言われて想起したのは北原白秋であったが、幼児に白秋のような詩は理解できないのではないかと考え[8]、幼児が生活する範囲にあるものを、見たままに描くことにした[12]。詞は1950年3月15日に完成した[14]。関根の詞は唐突な導入が目を引き[11]、擬態語を多用した内容で、単純ながら幼児には親しみやすい詞となった[10]。また科学的に見ると、実際には衝突回避能力に優れた生物であるアリが意図せず他のアリとぶつかってしまうという設定には難があるものの、その他では科学的にも正確な描写となっていた[11]。完成した詞をNHKに持ち込み、作曲者の希望を尋ねられた関根は、自分と同年代の作曲家を希望したが、人選は担当者に一任して帰宅した[8][1]

その結果この曲の作曲を担当することになったのが、1948年からNHKの専属作曲家となっていた團であった。團は当時のレコード童謡を嫌い、自分のような若い世代が新しい童謡を作り出さなければならないと自負、自ら幼児番組を志望して『幼児の時間』を担当していた[15]。團は幼時に飽くことなくアリを観察した原体験からアリには馴染みがあり、促音の多い関根の詞にもさほど悩むこともなく曲を書き上げた[2]

完成した曲は1950年6月に番組で発表され[13][10]、以降も歌い継がれる一曲となった。

1950年代、團はこの曲に続いて『ぞうさん』『やぎさん ゆうびん』と動物を取り上げた曲を書いた[15]。また関根は『おつかいありさん』をきっかけに子供向けの作品を手がけるようになり[13]、『かえるのうた』[16]では再び團と共作した[1]。1975年(昭和50年)には童謡集を『おつかいありさん』の題名で出版、日本童謡賞・赤い鳥文学賞特別賞を受賞した[3]

2014年保育士実技試験課題曲に取り上げられた[17]

出版[編集]

  • 関根栄一(詩)丸木俊(絵)『おつかいありさん』<国土社の詩の本 14>、国土社、1975年。
  • 團伊玖磨(作曲)『團伊玖磨選集「ぞうさん」』<現代こどもの歌秀作選>、河合楽器製作所、1996年。ISBN 4-7609-4359-5。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 関根榮一「『おつかいありさん』と私」『別冊太陽 子どもの昭和史 童話・唱歌・童画100』秋山正美(構成・解説)、平凡社、1993年、110ページ。
  2. ^ a b c 市原尚士「うた物語 名曲を訪ねて おつかいありさん㊦ 作詞・関根榮一 作曲・團伊玖磨 童心ありのまま曲に 生後最初の記憶 手掛かり」『読売新聞』2001年(平成13年)6月3日付東京本社日曜版4-5面。
  3. ^ a b c 「おつかいありさん 作詞-関根榮一 作曲-團伊玖磨」『別冊太陽 子どもの昭和史 童話・唱歌・童画100』秋山正美(構成・解説)、平凡社、1993年、110ページ。
  4. ^ 関根の回想[1]および團に取材した読売新聞記事[2]による。関根の回想を掲載する『別冊太陽』の解説は、1958年や1971年と記載された研究書や事典があることを紹介している[3]
  5. ^ 武井照子「教育放送史への証言 14 幼児番組の変遷〈その1〉〜誕生前後から昭和10年前半まで〜」『放送教育』第50巻第4号、日本放送教育協会、1995年7月、74-77ページ。
  6. ^ 武井照子「教育放送史への証言 15 幼児番組の変遷〈その2〉〜昭和10年半ばから終戦まで〜」『放送教育』第50巻第5号、日本放送教育協会、1995年8月、70-73ページ。
  7. ^ a b 武井照子「教育放送史への証言 16 幼児番組の変遷〈その3〉〜終戦後の番組再開から「うたのおばさん」まで〜」『放送教育』第50巻第6号、日本放送教育協会、1995年9月、70-73ページ。
  8. ^ a b c d 阪田寛夫「23 おつかいありさん」『童謡でてこい』河出書房新社、1986年、124-128ページ。ISBN 4-309-00423-7。
  9. ^ 「幼児番組の変遷〈その3〉」による[7]。『幼児の時間』と『うたのおばさん』をめぐっては混乱があり、阪田寛夫は『おつかいありさん』が「「歌のおばさん」の時間で制作された」(「歌の…」の表記は原文ママ)と述べ[8]、『幼児の時間』の委嘱であるとする関根の回想[1]とは見解を異にしている。また『別冊太陽』の解説は、1950年に『おつかいありさん』が『うたのおばさん』の時間に放送されたという証言があるとしており[3]、『おつかいありさん』を取り上げた読売新聞の記事では、『うたのおばさん』の代表的な歌手であった松田トシが番組でこの曲を歌ったと語っている[2]。「幼児番組の変遷〈その3〉」によれば、『幼児の時間』で紹介した曲は、その後一週間『うたのおばさん』で繰り返し歌ったという。
  10. ^ a b c 尾上尚子・上笙一郎「おつかいありさん」『日本童謡事典』上笙一郎(編)、東京堂出版、2005年、72-73ページ。ISBN 4-490-10673-4。
  11. ^ a b c d 市原尚士「うた物語 名曲を訪ねて おつかいありさん㊤ 作詞・関根榮一 作曲・團伊玖磨 焦土を歩く元気者 興味引きつける冒頭の詞」『読売新聞』2001年(平成13年)5月27日付東京本社日曜版4-5面。
  12. ^ 関根の回想による[1]。阪田寛夫も同様の記述を行っているが[8]、ニュアンスは若干異なる。また関根は2001年の読売新聞記事では、アリを選んだ経緯はまったく覚えていない、とし、作品の制作過程について多くを語っていない[11]
  13. ^ a b c 渋谷清視「おつかいありさん 習性をうまくいかしてユーモラスに」『童謡さんぽ道 下』鳩の森書房、1980年、32-33ページ。
  14. ^ 関根の回想[1]および関根に取材した読売新聞記事[11]による。渋谷清視は、関根の記憶によれば昭和24年(1949年)末か昭和25年(1950年)春に作成されたものだと述べている[13]
  15. ^ a b 長井好弘「うた物語――唱歌・童謡―― やぎさん ゆうびん㊤ 詩と曲、幸運な出合い コミカルさ繰り返しで伝え」『読売新聞』1997年(平成9年)8月17日付東京本社日曜版4面。
  16. ^ 文部省唱歌『かえるの合唱』とは別の曲。
  17. ^ 平成26年実技試験概要、一般社団法人全国保育士養成協議会。 - 2017年12月23日閲覧。