きんさんぎんさん

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きんさんぎんさんとは、長寿双子姉妹だった成田 きん(なりた きん)・蟹江 ぎん(かにえ ぎん)の愛称。

姉妹共に100歳を過ぎても元気であったことからマスメディアに注目され、テレビ出演やCDデビューを果たした。その姿は「理想の老後像」と言われ、1990年代の日本において国民的な人気を誇った。

明治大正昭和平成の4つの元号を生きた[注 1]2000年代最初の2年間にそれぞれ大往生。

二人とも名古屋市に居住していた。旧姓は矢野(やの)。

姉妹[編集]

成田 きん[編集]

蟹江 ぎん[編集]

  • 双子の妹。1892年8月1日生まれ。血液型はO型。
  • 2001年(平成13年)2月28日午前1時50分に死去。108歳没。
  • 死因は老衰
  • 好物は白身魚

来歴[編集]

愛知県愛知郡鳴海村(現在の名古屋市緑区)で、矢野家の長女・次女として生まれた。きんとぎんの二人が一卵性双生児であることも検査で確認されている(二人の血液型はO型であった)[1]。二人とも内職として特産品であり伝統工芸品でもある有松・鳴海絞りの絞り括りの工程を仕事としていた。

妹・ぎんは1913年、21歳の時に農家の息子と見合い結婚し、ぎんは養蚕の仕事に精を出すことになる。蟹江家は農業のかたわら養蚕をやり、繭を売っていたため、初夏から夏の終わりごろまでは、普段生活する部屋も蚕棚で埋め尽くされていた。

翌年の春に第1子の年子を出産したが、跡継ぎに男をほしかった姑から、嫌味を言われる肩身の狭い日々を送る。結局息子は生まれず、4人の娘[注 2]を育て上げた。日中戦争により中国から輸入していた鶏の餌が途絶え、養鶏業をやめざるをえなくなった。

姉・きんは、夫との間に5男7女をもうけ、この戦争で長男と次男を中国大陸の戦地に送っている。

メディア露出[編集]

1991年数え年百歳を迎えて、当時の鈴木礼治愛知県知事西尾武喜名古屋市長から、二人揃って長寿の祝いを受けたことが新聞に紹介された[注 3]

これがきっかけで、ダスキンテレビCMに起用され[2]「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳。ダスキン呼ぶなら100番100番」のCMコピーと双子姉妹の存在が全国的に有名になり[2]、双子のお婆さんとして親しまれた。

通信販売情報誌通販生活」のCMや、AMラジオ局・ニッポン放送AMステレオ放送開始宣伝にも出演し、1992年(平成4年)の新語・流行語大賞の年間大賞及び語録賞にも選出され[2][3]、1992年のテレビ出演回数は、延べ40回近くにのぼった[3]

1992年2月、『きんちゃんとぎんちゃん』(作詞松本礼児作曲穂口雄右)でCDデビューし、浦辺粂子の持つ、日本最高齢レコードデビュー記録を大幅に更新した。楽曲はオリコン39位を記録し、オリコン史上最高齢でのチャートイン記録となった。9月15日敬老の日NHKがドキュメンタリー番組『きんさんぎんさん 100歳の時間(とき)』を放映した[4]ビデオリサーチ調べ・名古屋地区で31.0%の視聴率を記録した[3]

1992年12月(100歳)、1998年12月(106歳)には、テレビ朝日徹子の部屋』にゲスト出演している(2020年現在、歴代の徹子の部屋のゲストの中で最年長)。

1993年には、NHK第44回NHK紅白歌合戦』に応援ゲストとして出演した。また、東海テレビ制作のフジテレビ系列『金曜ドラマシアター』(→『金曜エンタテイメント』、現・『金曜プレミアム』枠)『名古屋嫁入り物語』シリーズに特別出演したほか、敬老の日スペシャルゲストとしてフジテレビ『笑っていいとも!』にも、自宅からの中継で出演している。

1995年には、「金銀婆婆」と呼ばれ人気を得ていた台湾へ招かれて、103歳で初めての海外旅行をした。この時、ぎんは「(名古屋弁が)通じればええけどね」と語っていた。

百歳を越えて初めて確定申告を経験した。1992年には参議院国会質問で、当時参議院議員だった西川きよしが取り上げるなど[5]話題になり、日本国外でも報道された。1993年には春の園遊会に招かれている[6]

放送大学平澤彌一郎教授による、足の裏の調査を受けたことを契機に、きんは放送大学の科目履修生となり、平澤教授の講義を履修した。全国各地でイベントに参加をしたり、きんは民生委員も務めるなど、亡くなる直前まで芸能活動や慰問を続けた。

家族[編集]

ぎんは死後、遺族の同意のもと病理解剖された[7]

きんは、乳児死亡で半数の実子が死去したが、10人以上の多数の子供を出産している。跡継ぎの男子出産意識から、最初は女子のみ続けて出産していたが、男子が誕生した。きんの大正世代の息子2人は日中戦争の戦場に出征して無事帰還している。2000年の死去時点で、子が6人、孫が11人(内孫2人、外孫9人)、曾孫7人、玄孫が1人いた[8]

ぎんは5人の娘に恵まれた(全員大正生まれ)。幼くして亡くなった次女を除く4人の娘もいずれも長命で、2011年から『ぎんさんの娘・四姉妹』としてメディアに登場するようになっている。2012年2月28日には、朝日放送たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』に、97歳の長女、93歳の三女、90歳の四女、88歳の五女の4人が揃って出演した。また、2018年3月18日ダスキンの新聞広告にも、ぎんの三女(99歳)と五女(94歳)が起用された[9]

2017年に四女、2018年には五女が天寿を全うしたが、2019年1月現在長女と三女は健在である。

なお、1959年伊勢湾台風の犠牲者になった孫がいる。

その他[編集]

戸籍上はぎんが妹ではあるが、先に出生したのはぎんの方である。当時でも法(太政官令)に従えば、ぎんが姉になっていたが、当時は双子のうち後から出生した方を兄・姉とする慣習が強かったため、ぎんが妹にされたという(当時、双子は母親の胎内の奥にいた子の方が先に発生したものと考えられていたため)。

二人の幼少時には、双子は縁起が悪いとする慣習が強く残っており、学校でもいじめの対象となった。そのため、1日交代で学校に通って授業内容を教え合ったりしていたという。

2人は別々の家に住んでいたにも関わらず、ぎんはきんの死去した日に「何か調子が悪い」と体調不良を訴えた。

2001年エイプリルフールのジョーク記事として、東京新聞に「きんさんぎんさんの三つ子の妹『どうさん』が移住先のブラジルで亡くなっていた」という記事が掲載された。

「尊敬する政治家」として、2人とも愛知県選出の海部俊樹(元内閣総理大臣)の名を挙げていた。なお、海部はきんの葬儀委員長を務めている。

名鉄百貨店では1992年4月に「きんさんぎんさんグッズコーナー」を設け、同年11月までの売上は2,300万円に達した[3]

多い時にはファンレターやプレゼントが1日30通届いた[3]ブラジルドイツからのファンレターもあった[3]

100歳になってメディアに出演するようになって大金が入った際、「お金を何に使いますか?」という問いに対して、2人揃って「老後の蓄えにします」とユーモアで答えた。

きんとぎんの愛唱歌は『リンゴの唄』(並木路子霧島昇)。フジテレビの特別番組で並木との共演が実現し、3人で同曲を合唱した。

NHK週刊こどもニュース』のタイトル文字は、2005年まで2人が書いたものを用いていた(2005年以降の題字は松井秀喜が書いたもの)。

1992年3月31日放送のフジテレビ『第11回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル』では、コロッケと対戦した栗田貫一が、きんとぎんの1人2役ものまねをして『三百六十五歩のマーチ』(水前寺清子)を歌うネタを披露し、勝利を収めた(栗田がコロッケに勝利したのはこの回が最初で最後である。コロッケはこの回を最後に番組から降板)。

姉妹マスコミで取り上げられ始めたころは全白髪であったが、メディアに取り上げられるにつれ黒髪が増えていったことが確認されている。マスコミに取り上げられる前は中度の認知症であったとされるが、マスコミに取り上げられるにつれ、著名人やリポーターの取材を受けたり、全国各地を旅行するために筋力トレーニングに励んだ結果、リポーターの質問に的確に応答し、ドラマ出演時に台詞を記憶するなど症状が改善した。この事例は医学会でも注目され、認知症の予防には、常に新しい経験と刺激・下半身を中心とした筋力トレーニングによる、脳への刺激が有効であることの実証例として、テレビ番組『特命リサーチ200X』で紹介された[10]

認知症改善のきっかけとなった下半身の筋力アップのトレーニングは、きんのトレーナーを務めた久野接骨院院長・久野信彦が2008年12月に出版した『老筋力』(祥伝社)内で詳細を記している。その中で、きんはハムストリングス強化運動と呼ばれる筋肉トレーニングなどを行い、下半身の血管を刺激するミルキング効果を向上させることで、血液循環が良化し、認知症改善につながったとされる。

音楽[編集]

シングル[編集]

  • きんちゃんとぎんちゃん(1992年2月21日発売)※ きんちゃん、ぎんちゃん&セタガヤン・プチット名義
    • 初回プレス2万枚[11]。1992年12月時点で10万枚の売上[3]
  • きんさん、ぎんさんの101回目の誕生日(1992年7月17日発売)※ きんさん、ぎんさん&AMVOX SINGERS名義
    • 1992年12月時点で6万枚の売上[3]
  • 名古屋平成音頭1998年11月21日発売)※ 南条茂&きんさん ぎんさん名義

参加アルバム[編集]

  • きんさん・ぎんさんがえらんだ よいこにきかせたいわらべうた・日本の唱歌(1992年10月21日発売)

写真集[編集]

  • いまがしあわせ―写真集 きんさん、ぎんさん100年の旅(1992年5月発行、風媒社)
    • 1992年12月時点で3万部近くを発行[3]
  • 夢がたり―きんさんぎんさんありがとう(2002年6月発行、志考社)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ぎんは、19世紀20世紀21世紀の3つの世紀をも生きた。
  2. ^ 実際に生まれた娘は5人だったが、2番目の娘は2歳で夭折した。
  3. ^ 訪問翌日に紹介記事を掲載したのは、中日新聞読売新聞(中部版)、日本経済新聞など

出典[編集]

  1. ^ “多胎の卵性診断”. 産婦人科の実際 44: 637―642. (1995). 
  2. ^ a b c 現代用語の基礎知識 1992年 年間大賞 Archived 2011年11月13日, at the Wayback Machine.
  3. ^ a b c d e f g h i 「92師走(2)きんさんぎんさん多忙な100歳──『来年はゆっくりしたい』」『日本経済新聞』1992年12月17日付名古屋夕刊、36頁。
  4. ^ きんさんぎんさん 100歳の時間(とき) - NHKアーカイブス(番組)|これまでの放送。 - 2017年3月18日閲覧。
  5. ^ 第123回国会 予算委員会 第8号 平成四年三月二十四日
  6. ^ 時事年鑑 1994年 P155
  7. ^ 朝日新聞』東京本社版2010年1月20日付夕刊、3版8頁「窓」
  8. ^ [1]
  9. ^ 新聞広告は、全国紙と地方紙計51紙に掲載される。2018年3月17日土曜日付け 14新版 毎日新聞社会面24面
  10. ^ http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20000213/f1362.html
  11. ^ 日本経済新聞』1992年3月6日付名古屋夕刊、37頁。

参考文献[編集]

  • 村上允俊『きんさんぎんさんに母を見た』 1992年6月 すばる書房新社 ISBN 978-4915847028