ダックビブレ

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株式会社百貨店連合[1]

株式会社ダックシティ[1]

株式会社ダックビブレ
DAC CITY ダックシティ イチムラ 長岡店 提携駐車場 看板.jpg
ダックシティのロゴが入った提携駐車場の看板
長岡市 殿町にて・2016年8月に撮影)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
420-0031
東京都港区赤坂8-5-30 東亜赤坂第二ビル[1]
本部:宮城県仙台市青葉区中央1-9-1 新東北ビル[1]
設立 1978年昭和53年)3月18日[1]
業種 小売業
法人番号 2420001004724
事業内容 百貨店業[1]
決算期 2月
主要株主 ニチイ92.7%[1]
佐々木正一3.1%[1]
第一ビル2.0%[1]
ダックシティ共済会0.3%[1]
小宮誠一0.2%[1]
テンプレートを表示

ダックビブレは主に東北地方で展開した日本の百貨店マイカルグループに属した。ここではニチイ(マイカルの旧社名)が支援した百貨店連合(ひゃっかてんれんごう)及びダックシティ、マイカルグループ離脱後のさくら野百貨店(法人名としては初代)についても扱う。

概要[編集]

百貨店連合の誕生からダックビブレへ[編集]

1978年昭和53年)3月18日ニチイの支援を受けて丸光カネ長武田百貨店山田百貨店イチムラ小美屋と共に株式会社百貨店連合が設立された[1][2]。また、同月に三越と提携して商品供給を受けることになった[3]。4月には、百貨店連合の設立に参加した百貨店5社との間に経営管理に関する業務委託契約が結ばれた[2]

1981年(昭和56年)3月、武田百貨店、山田百貨店、イチムラの3社が合併し、株式会社武田山田百貨店が設立[1][2]1982年(昭和57年)3月に丸光(本社仙台市、資本金8億円)と小美屋が合併して株式会社丸光小美屋が設立された[4]。1982年9月に百貨店連合が武田山田百貨店[2]及び丸光小美屋[4]を吸収合併し、それぞれが運営していた店舗経営を引き継いだ。百貨店連合直営の百貨店としては、傘下百貨店の吸収合併以前の1981年11月6日[5]に単独で神奈川県厚木市にダックシティ厚木を開業している[6]

1985年(昭和60年)3月に株式会社ダックシティ[1]に、1998年(平成10年)2月に株式会社タッグビブレ[2]に社名を変更した。

タッグシティ及びタッグビブレはニチイ傘下の『ビブレ』として、1994年(平成6年)3月1日に[7]ニチイより営業を譲渡されたニチイ山形店を山形ビブレとして開業[6]1999年(平成11年)3月に北海道小樽市マイカル小樽に小樽ビブレを開業し[8]2000年(平成12年)3月に岩手県北上市本通りに北上ビブレを開業する[9]など出店を進めたほか、1993年(平成5年)10月1日[5]にカネ長武田百貨店から引継いだ旧弘前店を閉店して城東北に弘前ビブレ[10]1996年(平成8年)3月に丸光から引継いだ旧石巻店を閉店してJR石巻駅前に石巻ビブレ[11]1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引継いだ旧福島店を閉店して福島市曾根田町(現:曽根田町)に福島ビブレ[12]を各々開業するなど既存店のスクラップアンドビルドも積極的に進めた。

その一方で1996年(平成8年)にダックシティ小美屋[13](元・小美屋)、1997年(平成9年)2月にダックシティイチムラ長岡店[14](元・イチムラ)を閉店して、設立に参画した5社のうち2社の営業地域から撤退、1992年(平成4年)2月にダックシティ厚木をニチイ[6]へ、2001年(平成13年)2月に小樽ビブレをマイカルへ営業を譲渡[注釈 1]して撤退、2000年(平成12年)1月10日に山形ビブレを閉店する[15]など不採算店の閉鎖も行った。

2001年(平成13年)9月14日に[16]株式の大半(直接保有が76.4%、間接保有と合せて83.4%)を保有する[2]親会社のマイカルが民事再生法適用を申請したことに伴い[17]、東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上破綻した[16]

民事再生法の適用申請をした際にはそのまま各店舗の営業を続けた[16]が、破綻直後の2001年(平成13年)10月に[18]集客力が低下して業績が低迷していた[19]気仙沼ビブレの閉店を決定して[18]2002年(平成14年)1月10日に[18]閉店した[19]

百貨店連合時代から経営破綻するまでの間も日本百貨店協会には加盟し続けており[7]、営業されていた店舗はすべて百貨店業態として運営されていた。

マイカルグループを離脱、さくら野百貨店へ[編集]

2002年(平成14年)2月28日に日本政策投資銀行や取引先の企業約10社などの出資で企業再建ファンドを設立して資本金をいったん100%減資後にそこから出資を受ける形で再建を目指す方針を発表し[20]2002年(平成14年)5月に再生計画案が債権者集会で可決されて裁判所から認可を受け[2]、日本政策投資銀行や不動産会社で青森店などの建物の貸主である武田(青森市)など15の地元企業・団体が11億7800万円を出資して事業再生に乗り出した[21]。この増減資を伴った再建策によりマイカルグループから独立した独立資本の百貨店として営業を行うこととなり[22]、一般から公募した新名称から店舗を展開する東北4県には桜の名所が多いことにちなんで『さくら野百貨店』を選び[22]、10月1日に社名をタッグビブレからさくら野百貨店へ変更、屋号も「さくら野百貨店」として新しいスタートを切った[21]

しかし、2001年(平成13年)9月以降7店全体の売上高が平均で前年比約75%と落ち込んだ状態[23]からスタートし、2003年(平成15年)3月末に7店全体の売上高の2割以上を占める仙台店は約12億円を投じて全面的に改装して東北初の売場を導入して若い女性客を増やして前年比20%増となったものの再生計画の前年比40%増の半分に留まり[21]、食料品売上が破綻前より25%減に落ち込んだままとなる[21]など、さくら野百貨店として再スタートしてから1年経った2003年(平成15年)9月時点でも破綻で失われた信用を取り戻せず売上の回復は思うように進まなかった[21]

そのため、2004年(平成16年)1月に高島屋と業務提携して営業部長などの人材派遣を受け[24]、同年11月に高島屋の業務支援を受けて基幹店の仙台店の地下食品売り場を改装してさくら野ごちそう館とする[25]など攻めの投資を行う一方で、2005年(平成17年)3月21日に民事再生法適用後に離れた顧客を取り戻せないまま業績が低迷していた福島店を閉店して福島県から山田百貨店以来の歴史に終止符を打って撤退する[26]などして再建を進めた。

会社分割[編集]

2005年(平成17年)4月にさくら野百貨店は仙台店を運営する2代目となるさくら野百貨店(後のエマルシェ)、仙台店の資産管理をするさくら野DEPT仙台、仙台以外の東北の店舗を運営するさくら野東北[27](後に3代目のさくら野百貨店)に会社分割を行い、翌月5月に東京地裁から民事再生手続き終結決定を受けた[27]

以降、法人格を引き継いだ2代目のさくら野百貨店についてはエマルシェを、仙台店以外の店舗の営業を分割されたさくら野東北についてはさくら野百貨店を参照。

沿革[編集]

  • 1978年昭和53年)3月18日 - 丸光宮城県)、カネ長武田百貨店青森県)、小美屋神奈川県)、山田百貨店福島県)、イチムラ新潟県)の5つの百貨店事業者が、ニチイ(マイカルを経た現:イオンリテール)の支援を受けて百貨店連合を設立[1]
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月 - 先行して武田百貨店、やまだ百貨店、イチムラの3社が合併して株式会社武田山田百貨店が発足[1][2]
    • 11月6日[5] - 厚木市にダックシティ厚木を開店[6]
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月に丸光(本社は仙台市・資本金8億円)と小美屋が合併して株式会社丸光小美屋を設立[1][4]
    • 9月 - 株式会社百貨店連合が[2]武田山田百貨店や丸光小美屋と合併して営業を引継ぐ[4]
  • 1985年(昭和60年)3月 - 株式会社ダックシティに社名変更[1][2]
    • ダック(DAC)のブランド名は当時の社名である百貨店連合の英語読みである「デパートメントストア・アライド・チェーン ( DEPARTMENTSTORE Allied Chain)」の頭文字を取ったものである[28]
  • 1990年(平成2年)9月 - マイカルビブレ事業本部と業務提携[6]
  • 1992年(平成4年)2月 - ニチイにダックシティ厚木を譲渡して撤退[6]
  • 1993年(平成5年)10月1日 - 旧店舗を閉店させたうえで、郊外の現在地に弘前ビブレとして移転[5]
  • 1994年(平成6年)4月 - ニチイより営業譲渡を受けて山形ビブレを開業[6]
  • 1996年(平成8年) - ダックシティ小美屋川崎店を閉店[13]
  • 1997年(平成9年)2月 - ダックシティ(旧:ダックシティ イチムラ)長岡店を閉店[14]
  • 1998年(平成10年)
    • 2月 - ダックビブレに社名変更[2]
    • 3月 - 旧店舗を閉店して郊外の新店舗へ福島ビブレとして移転[12]
  • 1999年(平成11年)3月 - 小樽市マイカル小樽に小樽ビブレを開店[8](後にマイカルへ譲渡され、2002年閉店。跡地はSE-Bとなる)。
  • 2000年(平成12年)3月 - 岩手県北上市に北上ビブレを開業[6]
  • 2001年(平成13年)
    • 2月 - 小樽ビブレを株式会社マイカルに譲渡して撤退[6]
    • 9月14日 - 親会社のマイカルの事実上の経営破綻の影響により民事再生法の適用を申請する[16]
  • 2002年(平成14年)
    • 1月10日 - 気仙沼ビブレを閉店[18]
    • 7月 - 既存株の100%減資を行い、マイカルグループを離脱。
    • 10月1日 - 社名を一般公募で決めた (旧)さくら野百貨店へと変更[22][21]
  • 2004年(平成16年) - 高島屋ハイランドグループに加盟[24]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月21日 - 福島店を閉店(地元の要望を受け、閉店後は長崎屋福島店跡地の「ニュー福ビル」にて仙台店のサテライトショップとして営業していたが、1年後に完全閉店)。
    • 4月1日 - 本社機能及び仙台店の運営を行う株式会社さくら野百貨店(後にエマルシェ)、仙台店の設備管理などを行うさくら野DEPT仙台(資本金1,000万円)、仙台店以外の5店舗を引き継いださくら野東北株式会社(後に3代目のさくら野百貨店)の3社に会社分割[27]
    • 6月 - 東京地方裁判所より民事再生手続終結決定[29]>。

以降、さくら野百貨店仙台店を運営した企業についてはエマルシェを、さくら野東北に分割された企業についてはさくら野百貨店を参照。

店舗[編集]

小樽ビブレ[編集]

小樽ビブレ
店舗概要
所在地 047-0008
北海道小樽市築港[30]
開業日 1999年(平成11年)3月[8]
閉業日 2002年(平成14年)8月末[30]
施設所有者 小樽ベイシティ開発[30]
施設管理者 小樽ベイシティ開発[30]
商業施設面積 約40,000[8]
最寄駅 JR logo (hokkaido).svg小樽築港駅[31]
VIVRE

1999年(平成11年)3月に小樽市のマイカル小樽の中核店舗として開業した[8]

マイカル小樽全体の総売上高は目標の80%以下になるなど、施設全体の業績が低迷した影響で当店も低迷したため、2001年(平成13年)2月に小樽ビブレを株式会社マイカルに譲渡してダックビブレは撤退し[6]2002年(平成14年)8月末に閉店した[30]

同店の土地・建物を所有・管理していた小樽ベイシティ開発は、マイカル破綻後の2001年(平成13年)9月27日に東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上倒産し[31]、同店の店舗後の一部を閉店した翌月9月、小樽市に公的利用を前提に無償譲渡を提案したが、移転させる公共施設がない上、維持管理に年間1億円以上の負担が見込まれるとして譲渡を断られた[30]。翌10月にはキャンパスの移転を模索していた小樽短期大学が、文部科学省の許可を得るのが難しいとして断念するなど[32]、大口債権者の日本政策投資銀行が債権放棄をする上で条件とした非物販の公共施設の導入[30]は順調に進まなかった。

ダックシティカネ長武田弘前店[編集]

ダックシティ弘前店
店舗概要
所在地 青森県弘前市土手町[1]
開業日 1970年(昭和12年)3月[1]
閉業日 1993年(平成5年)
正式名称 ダックシティカネ長武田弘前店
商業施設面積 8,550[1]
駐車台数 150[1]
前身 カネ長武田百貨店弘前店
後身 さくら野百貨店弘前店
最寄駅 弘前駅

1971年(昭和46年)に中三弘前店と隣接して土手町に開店したカネ長武田百貨店弘前店[33]が経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれて店名もダックシティカネ長武田弘前店[10]へ変遷し営業を続けてきた。

1993年(平成5年)に土手町の弘前店を閉店。国道7号弘前バイパス近くの弘前市郊外(城東北)へ弘前ビブレとして移転[10][34]

土手町の旧弘前店は閉店後しばらくそのままであったが、その後解体された。跡地には1999年(平成11年)に「したどてスカイパークビル」(エフエムアップルウェーブなどが入居する駐車場メインのビル)が建設された。

後身の弘前ビブレについてはさくら野百貨店#弘前店を参照。

気仙沼ビブレ[編集]

気仙沼ビブレ
店舗概要
所在地 988-0017
宮城県気仙沼市南町2-1-20[35]
開業日 1966年(昭和41年)6月10日[36]
閉業日 2002年(平成14年)1月10日[18]
延床面積 7,300[18]
商業施設面積 4,117[1]
駐車台数 50[1]
前身 丸光気仙沼店[19]
後身 イコーレ気仙沼[19]
最寄駅 JR logo (east).svg気仙沼駅
VIVRE

1966年(昭和41年)6月10日に宮城県気仙沼市に丸光気仙沼店として開店し[37][36]、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれて、店名もダックシティ丸光気仙沼店、気仙沼ビブレと変遷しながら営業を続けた[19]

しかし、ダックビブレが経営破綻直後の2001年(平成13年)10月に閉店を決定し[18]2002年(平成14年)1月10日に気仙沼ビブレは閉店して[18]、丸光以来の歴史に終止符を打った。

この閉店を受けて、ダックビブレの部長級の市街地再開発担当や元従業員や地権者らの出資により、資本金1200万円でイコーレ気仙沼が設立され[18]2002年(平成14年)5月9日に新たな百貨店として開業させた[19]。しかし、テナント招致などが順調行かず、徐々に規模を縮小して経費削減などに取り組んだものの[19]2007年(平成19年)5月11日に「都合により臨時休業します」という張り紙が出され、事実上閉店に追い込まれた[19]

建物は長い間放置され、その間に東日本大震災の津波による被害を受け、その後解体された。

ダックシティ丸光石巻店[編集]

ダックシティ丸光石巻店
店舗概要
所在地 宮城県石巻市中央2丁目8-8[38]

宮城県石巻市中央2丁目11番[11]
開業日 1955年(昭和30年)[39]
閉業日 1996年(平成8年)3月[11]
さくら野百貨店石巻店:2008年(平成20年)4月27日[40]
敷地面積 2,245[11]
延床面積 6,943[11]
前身 丸光石巻店
後身 石巻ビブレ[11]→さくら野百貨店石巻店[41]
最寄駅 石巻駅

1955年(昭和30年)に宮城県石巻市の橋通りに開店したのが始まりである[41]

1967年(昭和42年)11月1日に[36]旧北上川沿いの中央2丁目11番に移転した。

百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引継がれながら営業して中央2丁目時代の最後はダックシティ丸光石巻店として営業していた[41]

昭和50年代前半、市内中里地区(現在ホーマック石巻店が立地している場所)に移転を計画していたが、売り場面積が申請したものより66.3パーセント削減された3600平方メートルしか認められず、1987年(昭和62年)に正式に断念した。

1996年(平成8年)3月に[11]かつてジャスコが出店を計画していた[42]石巻駅前に新店舗が完成して石巻ビブレに店名を変更して移転して丸光時代からの店舗での営業を終了した[11]。石巻駅前移転後の3代目となる石巻店についてはさくら野百貨店#石巻店を参照。

丸光時代の初代店舗及びダックシティ丸光石巻店として営業を終了した2代目店舗共に建物は解体されている。2代目店舗のあった石巻市中央2丁目11番は、東日本大震災後に「石巻まちなか復興マルシェ」が開業し後に「いしのまき元気市場」として整備された。

さくらの百貨店福島店[編集]

さくら野百貨店福島店
さくら野百貨店福島店が入居していた建物(現在の曽根田ショッピングセンター(MAXふくしま))
さくら野百貨店福島店が入居していた建物
(現在の曽根田ショッピングセンター(MAXふくしま))
店舗概要
所在地 960-8051
福島県福島市曾根田町(現:曽根田町[12]
座標 北緯37度45分31.8秒東経140度27分36.3秒
開業日
平和ビル旧店舗:1973年(昭和48年)11月13日[43]
本町通旧店舗:1948年(昭和23年)[43]
閉業日 2005年(平成17年)3月21日[26]
施設所有者 三井住友銀リース[12]
商業施設面積 16,261[44]
店舗数 32店[12]
駐車台数 1,000[12]
前身 山田呉服店[26]
山田百貨店[12]
ダックシティ山田福島店
福島ビブレ[12]
後身 曽根田ショッピングセンターMAXふくしま[45]
最寄駅 福島交通曾根田駅
JR logo (east).svg福島駅[12]
Sakurano

1930年(昭和5年)に山田呉服店として創業し[26]1948年(昭和23年)に福島県福島市の本町通に百貨店を開業し[43]1973年(昭和48年)11月13日にJR福島駅前の平和ビルに移転・増床した山田百貨店[43]が、経営母体の再編に伴って百貨店連合、ダックシティ、ダックビブレに引き継がれて、店名もダックシティ山田福島店[46]、福島ビブレ[46]と変遷しながら営業を続けた。

1985年(昭和60年)6月19日には同じ平和ビル内にあったハトヤストアの売り場を引継いで売場面積12,251m2を増床[43]して、東北新幹線開業に合わせて福島駅西口の昭栄製糸工場跡に進出したイトーヨーカ堂[43]などに対抗し続けた。

1993年平成5年)3月にマイカルの経営方針で同社の店舗ブランドであるビブレを用いることになって福島ビブレと改称し[12]山田百貨店の名称は完全に姿を消すこととなった。

1998年(平成10年)3月に山田百貨店から引き継いだJR福島駅東口の平和ビルの旧店舗を閉店し、1000台収容の立体駐車場や7館からなるシネマコンプレックスを持つJR福島駅北側の福島市曾根田町(現:曽根田町)の新店舗へ移転して[12]営業を引き継ぎ、若い女性を主要顧客として2001年(平成13年)2月期には売上高約90億円[12]を上げた。

翌年2002年(平成14年)2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円[12]に落ち込み、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億~4億円の負担軽減がされていた[12]にもかかわらず2億円弱の赤字[12]に陥った。

しかし同年9月14日、親会社のマイカルと同時にダックビブレも経営破綻[17]。経営母体の破綻の影響で、信用不安から売れ筋商品が1年近く入らなくなって一気に客足が遠のいた[12]。その後の再建策により、2002年(平成14年)3月から賃料の3割減免を受けて年間3億円から4億円の負担軽減がなされ[12]、9月にさくら野百貨店福島店に名称変更[6]して再スタートを切ったが、2001年(平成13年)2月の高速バスにおける規制緩和によって仙台 - 福島線にて増便・運賃値下げ競争が年々激しさを増し、仙台市に買物客が流出[47][48]2004年(平成16年)2月期には売上高55億8300万円[12]に落ち込み、2億円弱の赤字[12]に陥った。

賃料の減免は当初2年間とされていたため、2003年(平成15年)7月から三井住友銀リースと減免延長の交渉行ったが決裂して、2004年(平成16年)10月28日に契約解除が決まった[12]。初代さくら野百貨店は2005年(平成17年)3月21日に福島店を閉店し、山田呉服店として創業して以来75年の歴史に終止符を打った[26]

閉店後は、JR福島駅前の福島駅前通りのニュー福ビルに贈答品や制服などを扱うサテライト店を開設して、一部業務を引き継いだが[26]、こちらも後に閉店した。

跡地には、閉店直前に福島商工会議所などの提案で福島市役所移転が検討された[49]が実現せず、2010年(平成22年)にビルを所有していた積水ハウスから、福島市の第三セクター福島まちづくりセンターが約9億円で土地と建物を取得し[50]、同年11月25日に同社が運営する曽根田ショッピングセンターMAXふくしまが開業している[45]

山田百貨店から福島ビブレ時代まで入居していた平和ビルは、福島ビブレが曾根田町へ移転後、旧福島ビブレに隣接していた中合が1998年に出店し、「中合福島店・2番館」として紳士服や食品などの売り場を開設した[51]が、後に耐震補強などの兼ね合いから2017年8月31日に閉店している[51][52]中合#過去に存在した店舗を参照)。

山形ビブレ[編集]

山形ビブレ
店舗概要
所在地 山形県山形市(JR山形駅前)
開業日 1994年(平成6年)3月1日[7]
閉業日 2000年(平成12年)1月10日[15]
施設所有者 山形駅前ビル[53]
敷地面積 約1,800[53]
前身 ニチイ山形店
最寄駅 JR logo (east).svg山形駅[53]
VIVRE

前身の「ニチイ山形店」は1973年(昭和48年)3月3日に開業している[54]

1994年(平成6年)3月1日に[7]ニチイより営業譲渡を受けて、ダックシティが「山形ビブレ」を開業したが[6]、業績不振により2000年(平成12年)1月10日に閉店した[15]

店舗跡のビルは2001年(平成13年)に解体されて、ホテルの招致が行われたが、実現しなかった[53]

ダックシティ厚木[編集]

ダックシティ厚木
店舗概要
所在地 243-0018
神奈川県厚木市中町1丁目5番10号
座標 北緯35度26分32秒東経139度22分0秒
開業日 1981年(昭和56年)11月6日[5]
閉業日 1992年(平成4年)2月[6]
正式名称 厚木ガーデンシティビル[55]
施設所有者 厚木市役所
権利床共有者組合
厚木ガーデンシティビル株式会社
敷地面積 7,391.04 m²
延床面積 37,066.71 m² (容積率502%)
商業施設面積 21,359 m²
後身 厚木ビブレ→厚木サティイオン厚木店

1981年(昭和56年)11月6日[5]、百貨店連合として初の新店舗として神奈川県厚木市小田急電鉄本厚木駅前に開業したが、1992年(平成4年)2月にニチイに譲渡して撤退した[6]。ニチイ・マイカル時代は直営の「厚木ビブレ」、総合スーパーに業態転換して「厚木サティ」を経て、マイカルがイオンリテールに球種合併された後は「イオン厚木店」となって営業している。

ダックシティ小美屋川崎店[編集]

ダックシティ小美屋川崎店
店舗概要
所在地 神奈川県川崎市川崎区駅前本町9[38]
開業日 1951年昭和26年)6月[4]
閉業日 1996年(平成8年)[13]
前身 小宮呉服店→小美屋
後身 川崎DICE
最寄駅 JR川崎駅京急電鉄京急川崎駅

川崎市を拠点とする百貨店・小美屋を前身とする。百貨店連合の直営になった後、1985年に百貨店連合がダックシティに法人名を変更した際に、屋号を「ダックシティ小美屋川崎店」とした。神奈川県内では初めて百貨店(デパート)内に郵便局が設置されたり、マクドナルドがテナントとして入居した店舗であった。

1986年(昭和61年)10月1日に川崎駅東口地下街アゼリアが開業したが、法令上の規制により地下街と接続するビルにコンクリートの障壁で遮蔽することを要求されたことで、店舗と地下街の接続が不可能となり[4]、ダックシティ小美屋川崎店を含む商店街の回遊性が制限された[4]ことで、競合他店に比べ、川崎駅からの来店経路の面で不利となった[56]。こうした背景が影響し、売り上げ不振となって赤字に転落した[4]

1988年(昭和63年)3月11日川崎駅に隣接する三菱電線工業跡に川崎ルフロンが開業[4][57]し、ここに西武百貨店丸井が進出して競争が激化。1996年(平成8年)に閉店し[13]した。

建物は数年後に解体された。現在、跡地はTOHOシネマズ川崎などが入店する川崎DICEとなっている[13]

ダックシティ長岡店[編集]

ダックシティ長岡店
店舗概要
所在地 新潟県長岡市大手通2丁目[58]
開業日 1962年(昭和37年)4月開店[58]
閉業日 1997年(平成9年)2月閉店[14]
前身 (3代目)イチムラ長岡店→ダックシティイチムラ
後身 長岡市の公共施設(「長岡戦災資料館」など)

イチムラが百貨店連合参画前の1962年(昭和37年)4月に開店[58]した、3代目となるイチムラ長岡店を母体とする。

1985年(昭和60年)3月に百貨店連合が法人名をダックシティと改称した[2]段階で、長岡店は店名は ダックシティ イチムラ と変更、その後ダックシティ長岡店 へと店名を変更したが、1980年代に郊外や駅前への総合スーパー (ジャスコ長岡店・イトーヨーカドー丸大長岡店・ダイエー長岡店) が相次いで出店したことや、大手通りの中心市街地の人口減少などの煽りを受け、1997年(平成9年)2月に閉店し、イチムラ百貨店の流れを持つ百貨店はその歴史に終止符を打った[14]

閉店後、建物は2003年(平成15年)7月から1・2階の東側を長岡市の施設「まちなか・考房」「長岡戦災資料館」として、2004年(平成16年)4月から1階西側を長岡市役所大手通分室として利用されていたが、2008年(平成20年)6月に市街地再開発のために取り壊され[14]2011年(平成23年)7月6日フェニックス大手イーストが竣工し、長岡市役所大手通庁舎として本庁機能のうち商工と観光に関する部署が置かれているほか、第四銀行・新潟証券(現:第四証券)・地域交流センター「まちなかキャンパス長岡」、新潟県中越地震の資料を集積した災害や防災に関する啓発施設「長岡震災アーカイブセンター きおくみらい」などが設けられた[59]。また、近隣に合った同業の丸大大和もダックシティ長岡店の閉店後に撤退している。

主な関連会社[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 株式会社マイカルは1996年(平成8年)に株式会社ニチイより社名変更した企業のため、同一企業への譲渡となる

出典[編集]

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  2. ^ a b c d e f g h i j k l ダックビブレ 第24期有価証券報告書 (Report). ダックビブレ. (2002). 
  3. ^ 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
  4. ^ a b c d e f g h i 『川崎市史 通史編 4 下 現代 産業.経済』 川崎市、1997年。
  5. ^ a b c d e f 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n さくら野百貨店 企業概要”. さくら野百貨店. 2012年6月6日閲覧。[リンク切れ]
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  8. ^ a b c d e “マイカル、赤字19店舗の閉鎖決定”. 読売新聞 (読売新聞社). (2002年1月29日) 
  9. ^ “今春三月オープンの北上ツインモールは予想以上の大成功”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年7月3日) 
  10. ^ a b c 弘前市中心市街地活性化基本計画 (Report). 弘前市. (2008-7-9). 
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  13. ^ a b c d e “旧国鉄川崎駅 ペーパークラフト製作 市電など忠実に再現”. 東京新聞 (中日新聞社). (2010年4月17日) 
  14. ^ a b c d e 長岡市中心市街地活性化基本計画 平成24年3月29日 変更認定版 (Report). 長岡市. (2012-3-29). 
  15. ^ a b c “山形ビブレ1月10日に閉店 山形県山形市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年2月7日) 
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  17. ^ a b “マイカルが再生法を申請”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年9月15日). http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/economy/20010915000073 
  18. ^ a b c d e f g h i “商店街あげ存続運 - 来月9日開店”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2002年4月11日) 
  19. ^ a b c d e f g h “イコーレ、事実上閉店 気仙沼中心部核店舗”. 河北新報 (河北新報社). (2007年5月13日) 
  20. ^ “政策投資銀など基金創設へ/マイカル子会社再建で”. 四国新聞 (四国新聞社). (2002年2月28日) 
  21. ^ a b c d e f “「のれん」回復になお時間 さくら野再出発から1年”. 河北新報 (河北新報社). (2003年9月29日) 
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  26. ^ a b c d e f “涙こらえ…/さくら野福島店75年の歴史に幕”. 福島民報 (福島民報). (2005年3月22日) 
  27. ^ a b c “さくら野百貨店、全店を改装 今期末に債務超過解消”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年11月14日) 
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  29. ^ “エマルシェがMBO さくら野仙台店を強化”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年11月25日) 
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関連項目[編集]

  • マイカル - 親会社であった時代がある。また業務提携先。