さんふらわあ (初代)

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さんふらわあ
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 日本高速フェリー(1972-1976)
大洋フェリー(1976-1984)
来島どっく(1984-1990)
関西汽船(1990-1998)
運用者 日本高速フェリー(1972-1976)
大洋フェリー(1976-1984)
関西汽船(1984-1998)
建造所 川崎重工業神戸工場
姉妹船 さんふらわあ2
建造費 36億円[1]
経歴
起工 1971年1月
進水 1971年9月6日[2]
竣工 1972年1月18日[3]
就航 1972年2月1日[3]
運航終了 1998年4月
最後 北朝鮮に売却
要目 (竣工時)
総トン数 11,312トン[3]
載貨重量 3,831トン[3]
全長 185.0 m[4]
垂線間長 170.0 m[4]
24.0m[4]
深さ 15.6 m(上甲板)[4]
満載喫水 6.3 m[4]
機関方式 ディーゼル
主機関 川崎MAN V6V40/54 4基[3]
推進器 可変ピッチプロペラ2軸[3]
最大出力 26,080馬力[3]
定格出力 23,480馬力[3]
最大速力 (公試)26.2ノット[3]
(計画)25.5ノット[4]
航海速力 24ノット[3]
旅客定員 1,124名[3]
乗組員 87名[3]
車両搭載数 大型トラック84台、乗用車204台[3]
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さんふらわあ(SUN FLOWER)は、日本高速フェリー大洋フェリー関西汽船が運航していたフェリー

概要[編集]

日本高速フェリーの第一船として川崎重工業神戸工場で建造され、1972年2月1日に名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航した[3]。営業定員1000人・乗用車200台・10tトラック約80台又は8tトラック100台の積載、24ノット以上の航海速力、これまで日本で見られなかった本格的客室設備を基本方針とした[5]

当時日本国内に大型豪華客船がなかったため「さんふらわあ」が豪華船の代名詞ともなった。しかし石油ショック等に伴う経営不振のため1976年に係船。

係船後は当船と同じく名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航していた同型船「さんふらわあ2」とともに1976年大洋フェリーに売却され翌年3月に大阪 - 苅田航路に就航。大洋フェリー就航に伴い、船首部分に同社の「おりおん」「ぺがさす」の船体に描かれていた「流れ星」が追加された。1979年7月には旅客設備のグレードアップ改装を実施、夜の航海に合わせた星をテーマとした公室の設置などを実施[6]、総トン数が12,130トンに増加。

1984年には、関西汽船「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」と当船・さんふらわあ2が等価交換され、関西汽船は当船・さんふらわあ2を来島どっくに売却し同社からのチャーターで大阪 - 神戸 - 別府航路に就航。

1990年11月、さんふらわあ2くいーんふらわあ2フェリーくろしおくるしま7と合わせて22億5千万円で来島興産から関西汽船に売却された。

1998年、さんふらわあ あいぼりの就航により関西汽船から引退した。初代「さんふらわあ」5隻の中では最も長く最後まで日本国内で運航された。 その後、2000年に韓国へ売却、2005年には北朝鮮に売却されたが、いずれも船舶として使われたかどうかは不明。

設計[編集]

船体は6層構造で上部からA - Fデッキと呼称した。Aデッキ(航海船橋甲板)は操舵室、乗組員区画および旅客区画、Bデッキ(遊歩甲板)、Cデッキ(上甲板)は旅客区画、Dデッキ(トラック甲板)、Eデッキ(乗用車甲板)は車両搭載区画、Fデッキ(乗組員甲板)は機関室および乗組員区画となっていた。ランプウェイは船首両舷および船尾両舷の4箇所にサイドランプが装備され、Dデッキに接続していた[4]

川崎重工業神戸工場で建造されたオーストラリア・ナショナル・ラインの貨物船「オーストラリアン・エンタープライズ」を船型のモデルとして[1]、全長は高知港の港湾設備に合わせた185m、幅は神戸工場の船台に合わせた25m、吃水は各寄港地の水深に合わせた6.5m以下とした[5]


船内[編集]

当初の船内は「太陽と緑、そして紺碧の海と青」を基本モチーフに寄港地の自然美を借景として融和するよう自然の重量感と上品で落ち着いた雰囲気のインテリアとした[5]。また、客室の3分の2を個室または寝台、残り3分の1を大部屋とした[5]

地下2階
  • 大浴場・サウナ風呂
2階
  • 2等和室「エコノミー」(468名 大洋フェリー時代は「エコノミー(和)」、関西汽船時代は「2等」)
  • 特2等A室(洋室、4名×39室 大洋フェリー時代は「エコノミー(洋)」、関西汽船時代は「2等寝台A」)
  • 1等A室(和洋室7名×22室 大洋フェリー時代は「1等客室」、関西汽船時代は「特等B」)
  • 1等B室(洋室5名×26室 大洋フェリー時代は「グリーン」、関西汽船時代は「グリーン寝台」)
  • 1等C室(和室8名×4室 大洋フェリー・関西汽船時代は「1等客室」)
  • インフォメーション
  • 1等浴室
  • ドライバーズルーム(大洋フェリー時代から)
3階
  • 特2等B室(和室120名 大洋フェリー時代は「エコノミー(和)」、関西汽船時代は「2等」)
  • 1等D室(和室13名×2室 大洋フェリー時代は「1等客室(和)」)
  • 特等室(2名×18室 大洋フェリー時代に左舷側を和室化[6]、・右舷側に「特等客室」、関西汽船時代は「特等A」)
  • 貴賓室(2名 大洋フェリー時代は「特別室」、関西汽船時代は「デラックスルーム」)
  • 売店
  • ゲームルーム(大洋フェリー時代は「麻雀ルーム」)
  • ゴーゴーホール「テンプテーションプラザ」(関西汽船時代は「ゲームコーナー」)
  • バー
  • ビュッフェ(2箇所)
  • ラウンジ
  • レストランシアター
  • サニーガーデン
  • プール(1979年の改装でサニーガーデン併合で室内化し「スターライトプール」となる)[6]
4階
  • スターダストホール[6](ディスコ)(大洋フェリー時代から、関西汽船時代はムーンライトラウンジ)
  • グリルレストラン(関西汽船時代は「フランス料理レストラン グリル・ド・セゾン」)
  • スカイルーム「スターライトプラザ」(関西汽船時代)
  • 2等和室(関西汽船時代)

事故・インシデント[編集]

改装中の火災[編集]

1977年1月30日、15時ごろ、川崎重工業神戸工場で改装工事中だった本船は、右舷中央部船底の乗組員居住区から出火した。川崎重工の自衛消防隊および神戸市消防局の消防艇1隻、消防車7台が出動して消火活動に当たり、船内の防火シャッターを閉鎖後、左舷船腹3箇所に穴を開けて発泡消火剤を注入、31日未明に鎮火した。約2,300平方メートルを焼損したが、火災発生当時、船内にいた作業員約80名および船員10名は無事だった。火災の原因は、船首部車両ランプ増設工事の溶接作業の火花により、下層の乗組員居住区の内装に着火して炎上したものとされた[7]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 「さんふらわあ」ファミリー変遷記 - 世界の艦船1985年5月号
  2. ^ 世界の艦船(1971年10月号,p124)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 世界の艦船(1972年3月号,p13)
  4. ^ a b c d e f g 世界の艦船(1971年11月号,p13)
  5. ^ a b c d 川崎重工業株式会社 神戸工場造船設計部「各船の概要 さんふらわあ」『関西造船協会誌』第142号、日本船舶海洋工学会、1971年、 52-55頁、2018年5月4日閲覧。
  6. ^ a b c d 「改装成った瀬戸内旅客 カーフェリー"さんふらわあ"」『船の科学 1979年12月号』第374号、船舶技術協会、1979年、 71-72頁。
  7. ^ 世界の艦船(1977年4月号,p147)