にっかり青江

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:にっかり青江の画像提供をお願いします。2015年9月

にっかり青江(にっかりあおえ)は、南北朝時代備中青江派作の日本刀大脇差)である[1]。重要美術品[2]。元々太刀として制作されたが短く仕立て直されており、大磨上げと呼ばれるの形が失われた姿で2012年時点では現存している[1]

造り[編集]

刃長60.3センチメートル[1]

来歴[編集]

名称の由来は、にっかり笑う女の幽霊を切り捨てて、翌朝確認をしたら石塔が真っ二つになっていたという伝説による。斬ったとされる武士は、中島修理太夫・九理太夫兄弟、浅野長政の家臣、六角義賢に仕えた狛丹後守の3説がある。この武士から柴田勝家に所有が移り、子の柴田勝敏に譲られた。さらに勝敏を討った丹羽長秀から豊臣秀吉に献上され、子の豊臣秀頼から大坂冬の陣の和議の礼として京極忠高に与えられたと考えられる。

以後丸亀藩主である京極家に代々受け継がれ、江戸時代には刀剣極所の本阿弥家の鑑定により無代(値が付けられないほどの極上品)とされた。

1940年昭和15年)に重要美術品に認定。重要美術品登録後、国内を転々とするが、銀座の刀剣店に持ち込まれていた物を1997年平成9年)に丸亀市が購入し、現在は江戸時代に製作された金梨地糸巻太刀拵の外装と共に丸亀市立資料館に所蔵されている。

讃岐京極家には「京極にすぎたるものが三つある にっかり茶壺に多賀越中」という狂歌が残る。茶壺とは野々村仁清作の茶壺で、京極家には他の大名家がうらやむような名品が数多くあり、国宝指定されているものもある。多賀越中とは佐々木京極氏が近江にある頃から仕えた重臣で、幕藩時代を通じ代々多賀越中某と名乗り、江戸時代家老職を務めた。

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b c 香川県立ミュージアム編 『丸亀京極家: 名門大名の江戸時代: 特別展』、2012年11月3日、94頁。 
  2. ^ 柴田光男; 大河内常平 『趣味の日本刀』 雄山閣出版、2005年、34頁。ISBN 4-639-01881-9。 NCID BA74029159 

参考文献[編集]

関連項目[編集]