はじかみ神社

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本来の表記は「㯮椒神社」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
[木蜀]椒神社
Hajikami-Jinjya shaden Takeno.jpg
所在地 兵庫県豊岡市竹野町椒字岩内1738-2
位置 北緯35度32分16.6秒
東経134度42分10.3秒
主祭神 [木蜀]椒大神
社格 式内社名神大
村社
創建 不明
本殿の様式 春日造銅板葺
別名 八幡宮
例祭 10月15日
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㯮椒神社(はじかみじんじゃ)は(㯮は木偏に蜀という文字。以下[木蜀]と表記)、兵庫県豊岡市竹野町に鎮座する神社。椒集落にある山の頂部に鎮座し、眼下を三椒川が流れる。式内社(名神大社)で、旧社格村社。神社名を「ほそき」神社と訓じるものもある[1]

祭神[編集]

  • [木蜀]椒大神(はじかみのおおかみ)
    • 椒集落は朝倉山椒の産地であったために土地のとして祀られたものとする推定や[2]、犬山椒を神格化したものと見る説もあるが[3]、不詳。一説に、大山守命を祀るともされるが[4]、その典拠には疑問が持たれている[5]

由緒[編集]

鎮座地は古くから東方の番屋峠を越えたり南方の太田越で神鍋高原方面を経由する等して豊岡盆地へ通じており、奈佐川や稲葉(いなんば)川の水運を利用した但馬国国府との結び付きが想定され[6]、『延喜典薬寮式』諸国進雑薬条に但馬国から進上する事が定められていた「蜀椒」1と当神社との関連も指摘されている[2]

社伝によれば、白鳳14年(685年)に但馬国国司の榛原公鹿我麿(はいばらのきみかがまろ)が祖である大山守命を祀り、翌朱鳥元年(686年)に当地で収穫した山椒の実を絞って得た油を朝廷へ献上したというが[4]、信憑性には疑問が持たれる[5]承和9年(842年)に官社に預り[7]貞観10年(869年)に従五位下から従五位上に昇叙され[8]延喜の制では名神大社に列せられている。因みに同じく但馬国の名神大社である山神戸神雷神、海神も官社列格、従五位上昇叙ともに同時である。

時期不明ながら山城国石清水八幡宮から八幡神勧請したらしく、中世以降は「枡(椒)別宮」として同宮の但馬八所別宮の一とされ[9]弘安8年(1285年)の年紀を持つ但馬国の大田文にも「八幡宮領椒別宮」とある等、同宮の荘園鎮守神とされ、以降専ら「八幡宮」と称された。また、大岡山山腹にあった大岡寺との関係も深く、同寺の北の寺域を示す境界には当神社の鳥居が建てられていた記録があり[10]、近世には同寺を別当寺としていた事が確認できる[11]。その他、延宝7年(1679年)や享保6年(1721年)の記録によると鎮座地周辺に7の社領を有していた事が判り[12]、山間部ながら近在の段に生野代官による金山経営が行われて小規模な鉱山集落が形成されたため、天保5年(1834年)には氏子140戸を数えた[6]

明治6年(1873年)村社に列し、同22年(1889年)に本殿を再建、幣殿を新築し、昭和27年(1952年)に本殿廻りに改修を施している。

祭祀[編集]

大正時代までは旧暦8月15日を祭日とし、その後太陽暦の9月15日へ、同10月1日へと変わり、現在は10月15日。かつては氏子中から神事に奉仕する「鍵番」と呼ばれる役を選んで祭祀を行っており、宮座頭屋制によって斎行されていた事が想定できる[6][13]

社殿[編集]

本殿は明治22年再建の春日造銅板葺で、その他瓦葺切妻造の幣殿と杮葺入母屋造拝殿、板葺の籠堂があるとされる[6]

末社[編集]

  • 祇園社 - 本社鎮座地の北麓に鎮座し、本地仏としての薬師如来像を祀る。社前にはおまき桜がある。

古くは八柱荒神社もあったという[13]

文化財[編集]

豊岡市指定
狛犬
室町時代の作と推定される木彫りの狛犬で、阿形は高69センチ吽形は高60センチ。ともに彩色が施されている点は珍しい[14]。昭和52年(1977年)11月15日に竹野町の有形文化財に指定され、同町が豊岡市に編入されてからは同市の文化財となっている。
おまき桜
下宮(祇園社)の社前にある推定樹齢500年(平成3年(1991年)時点)の江戸彼岸。樹高14.5メートル、根回り7メートル、目通り樹幹6.05メートル。枝張りは東西15メートル、南北18.5メートルで、樹冠としては占めて4アールに及ぶ。昭和54年3月8日に竹野町の天然記念物に指定され、市町合併後は豊岡市の文化財。平成8年3月29日には兵庫県の郷土記念物の指定を受けている。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『延喜式』写本の傍訓や昭和58年(1983)の『兵庫県大百科事典』(神戸新聞出版センター刊)等。
  2. ^ a b 特選神名牒』。
  3. ^ 『豊岡市史』上巻、豊岡市、昭和56年。
  4. ^ a b 『国司文書』所載「気多郡故事記」。『国司文書』は天延3年(975)に陽侯真志訶という者が撰述したものといい、疑わしい書とされるが、そこに古伝を認める説もある(今井啓一『天日槍』、綜芸舎、昭和41年)。なお、「古史古伝」を参照。
  5. ^ a b 前掲注参照。
  6. ^ a b c d 『式内社調査報告』。
  7. ^ 続日本後紀』同年10月乙亥(15日)条。
  8. ^ 日本三代実録』同年12月27日条。
  9. ^ 例えば保元3年(1158)12月3日付「官宣旨」(石清水八幡宮文書)など。
  10. ^ 永暦2年(1161)8月7日付「大岡寺敷地山林注進状案」(大岡寺文書)。
  11. ^ 寛文9年(1669)の棟札や享保20年(1735)の『書上帳』等(『竹野町史 民俗、文化財、資料編』)。
  12. ^ 椒地区に残る「オトウ谷」「宮の下」「堂谷」「アソウ」といった小字は社領の名残という(『竹野町史 民俗、文化財、資料編』)。
  13. ^ a b 『竹野町史 民俗、文化財、資料編』。
  14. ^ 『角川日本地名大辞典 28兵庫県』、角川書店、昭和63年。

参考文献[編集]

  • 『式内社調査報告』第19巻山陰道2、皇學館大學出版部、昭和59年
  • 『兵庫縣神社誌』下巻(兵庫縣神職會刊行、昭和13年の復刻)、臨川書店、昭和59年ISBN 4-653-01102-8
  • 『竹野町史 通史編』、竹野町、平成2年
  • 『竹野町史 民俗、文化財、資料編』、竹野町教育委員会、平成3年

関連項目[編集]

  • ●椒神社(兵庫県神社庁)
  • 欘椒神社(國學院大學21世紀COEプログラム、神道・神社史料集成)