オレたちひょうきん族のコーナー一覧

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オレたちひょうきん族のコーナー一覧は、フジテレビで放送されていた『オレたちひょうきん族』のコーナーについて述べる。

目次

タケちゃんマン[編集]

ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま(初回は高田純次)扮するブラックデビル等の敵キャラによるコーナードラマ。人気ドラマや映画のパロディが多かった。アミダババアの唄はサザンオールスターズの桑田佳祐がプロデュースを行った。

ひょうきんベストテン[編集]

当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)のパロディコーナー。正式名称は『オレたちひょうきん族ザ・ベストテン』。オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、時間にして20:05頃(多少前後することもあったり、後述の「ひょうきんお茶の間ショッピング」がオープニング前に入った場合は、所定よりさらに約5~10分遅れることもあった)。なお、コーナー全体の放送時間が約15分だったことから、10位~1位までの曲をすべて紹介することは出来ないため、司会者の挨拶の後、10位~4位の曲を「ザ・ベストテン」で言う20位~11位の曲のランキングに当てはめて発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介する形式になっていた。時間帯が20時台前半なのは、当時の裏番組である『8時だョ!全員集合』の前半コントと、本番組のメインコントである「タケちゃんマン」が両方見られるように配慮したためとされる。

初期の司会は、明石家さんま黒柳徹子の声色を使う栗山順子が担当したが、短期間で降板。その後は男性メイン司会者が島田紳助と、女性サブ司会者は当時フジテレビアナウンサーの山村美智子(現・山村美智)に交代。山村降板後は寺田理恵子が、寺田降板後は長野智子(いずれも当時フジテレビアナ)がそれぞれ務めた[1]

当時テレビ局のアナウンサーはニュース番組でニュースを読むことが中心であり、バラエティ番組に出演することは滅多になかった。だが、このコーナーに山村美智子、寺田理恵子、長野智子の女性アナウンサーが出演したことで、その後の女子アナウンサーのタレント化に先鞭をつける形となった。加えて、山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。

また紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『歌のトップテン』(日本テレビ系)において和田アキ子と二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用された。さらに長野もフリーアナに転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後の1991年3月から約1年間放送された『思い出のベストテン』(TBS系)の司会役を務め、そして1991年10月に特別番組で放映の『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』(TBS系)でも、山田邦子と共に司会者として登場した。

スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似(片岡鶴太郎による近藤真彦、山田邦子による松任谷由実松尾伴内による五輪真弓など)と、一般のタレントやゲスト芸人を普通に登場させツッコミも無しに歌を歌わせる(稲川淳二による西城秀樹、坂田利夫による田原俊彦、ウイリー沖山による吉川晃司等)事が中心になった。また本物の歌手も数組登場していたが、中には本家ベストテンに殆ど出演したことのない歌手(イエロー・マジック・オーケストラオフコース等)が登場し、視聴者を驚かせた。なお、ひょうきんベストテンのテーマ曲はザ・ベストテンとも全然違い、「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた[2]

セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪風船はない)での祝福も再現されていたが(ランクインした“歌手”が出演しない場合は笑い屋の笑い声をバックに、猛スピードで回される扉と扉を回すスタッフの手が映った)、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪が降り注いだ。因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合には天井に吊るされたくす玉を本人が割って祝福するものだった。

主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキングの基準はリクエストはがきのみ(「○○票」という数え方をしていた)だったが、歌う人数も少なかった。なおかつ、ザ・ベストテンや歌のトップテンにもランクインしない曲(それも、大半がこのコーナーのみのオリジナル曲)が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。なお本家のザ・ベストテンは洋楽曲はランキング対象外であったが、このコーナーでは洋楽曲もランクインしていた。

また、初期の頃は夜のヒットスタジオでかつてあった「歌謡ドラマ」のパロディも行われていた。歌謡ドラマをやめた後は「西川のりおとフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)、「すもうダンサーズ」、片岡鶴太郎らが瀬戸わんやに扮した「ピヨコ隊」(アヒル型衣装)などが登場し、ゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。笑っていいとも!等の収録後のスタジオアルタを日本武道館等として中継もしている。歌っている最中に天井から風船などが降ってくる、水上スキーに乗って歌っている最中、牽引しているボートからロープを切られて水中に転落するなど笑いを取る演出も行われた。

コーナー最後には本家同様記念撮影もあったが、シャッターを切った瞬間に煙幕が上がるなど記念撮影の意味がなくなる演出が常態化していた。

この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。安岡力也タケちゃんマンに一時期出演していた頃に演じていたキャラクター「ホタテマン」に扮して歌った、内田裕也の作詞・プロデュース曲「ホタテのロックンロール」(実際は、内田が歌った他局子供番組テーマ曲の替え歌)がその代表例。あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録し、ついにはホタテマンがサッポロ一番のCMに起用され歌唱する事態となった(曲はホタテのロックンロールではない)。

また、松戸競輪は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら200票あればランクインできる!」と組織票を呼びかけた。結果、松戸競輪のテーマ「走れ!自転車」は念願のランクイン(1983年7月9日放送分で第4位)を果たした。

2009年7月25日7月26日放送の『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード〜爆笑!お台場合宿〜』にて約21年ぶりに復活し、司会もレギュラー時代および『26時間テレビ』総合司会の島田紳助(コーナーでの表記は「森紳助」[3])、中村仁美が担当した。中村は4代目アナウンサーと発言した。また、「20年ぶりのひょうきんベストテン」という発言があったが、このコーナーは1988年に終了しているため、実質的には21年ぶりであった。

また、この日の放送で紳助が言うには、仕掛けは制作当時から全て「ドッキリ」だったらしい(出演者、関係者には何も知らせず、突然フラワーダンサーズを出させたり、部屋に閉じ込め発泡スチロールの雨を降らしたりして、当時の神聖的な存在だったアイドル達をその地位からバラエティに引きずり落とし、マネージャーを怒らせた逸話が残っている)。

ラサール石井によると、ベストテンのエンディング収録は毎週8時間かかっており、主にぼんちおさむイジリが多かったという。[4]

ネタ一覧[編集]

ここでは一部を紹介する。

  • 襲名型の(何代目~と呼ばれる)ネタ
    • 松本竜介:田原俊彦(初代)
    • でんでん:田原俊彦(2代目)
    • 佐渡稔:田原俊彦(3代目)
    • 坂田利夫:田原俊彦(4代目)・さだまさし・テレサ・テン(2代目)
    • 轟二郎:近藤真彦(2代目)
    • 間寛平:近藤真彦(3代目)
    • ジミー大西:近藤真彦(4代目)
    • 春やすこ:松田聖子(初代)
    • 松金よね子:松田聖子(2代目)
    • 清水よし子:松田聖子(3代目)
    • 若井小づえ:松田聖子(4代目)・中森明菜(4代目)・原田知世(3代目)・工藤静香(初代)
    • 可愛かずみ:中森明菜(2代目)
    • 松本明子:中森明菜(3代目)
    • 岡本麗:欧陽菲菲(2代目)
    • 月亭八方:村田英雄(初代)
    • ビートきよし:細川たかし(初代)・大川栄策
    • 高田純次:風見しんご(初代)・梅沢富美男ヒロシ&キーボーのヒロシ
    • コロッケ:玉置浩二(2代目)長渕剛(2代目)
    • ダンプ松本:菊池桃子(ラ・ムー名義)(2代目)
    • ウイリー沖山:吉川晃司(2代目)
    • 悪役商会:チェッカーズ(2代目)
  • これ以外にも、レギュラー陣が歌を発表した際はこのコーナーで披露された(ビートたけし『抱いた腰がCHACHACHA』、明石家さんま・島田紳助『い・け・な・い・お化粧マジック』、片岡鶴太郎『IEKI吐くまで』など)。なかでもビートたけしの『いたいけな夏』のVTRはレギュラー陣に「一番面白い」と評されるなど、伝説になっている。また、ビートきよし、松本竜介、島田洋八の3人で結成された「うなずきトリオ」が歌った『うなずきマーチ』(大瀧詠一プロデュース)などは特に有名である。
  • 後期になるとろくに歌も歌わずコントになる場合も多い。
  • 1986年10月頃から笑い声が無くなり、現場での生の笑い声のみが残るようになった。
  • ウガンダの和風スリラーが昭和59年度日本民間放送連盟優秀賞を受賞している。

ひょうきん歌謡大賞[編集]

毎年年末に放送されていた企画で、FNS歌謡祭日本歌謡大賞を足して2で割ったようなパロディ。第5回では少女隊の最優秀新人賞受賞に西川のりお扮する歌手が怒って、審査員に文句を言い反対に殴られると言う、1983年の歌謡大賞の裏側を彷彿とさせるシーンもあった。 テーマ曲はFNS歌謡祭と同じ「花咲く歌声」である。また第6回ではプレゼンターに当時「FNNスーパータイム」で人気の出ていた逸見政孝(本物)と幸田シャーミン(さんま扮する)が出たこともあった。

漫才コーナー[編集]

番組開始から半年後は、まだMANZAIブームの引きずりにより、何回か漫才を組ましている。放送されたものは前述のうなずきトリオの他、以下のユニットがある。

  • やかましトリオ(おさむ・のりお・洋七)
  • なかよしコンビ(まさと・上方よしお)
  • ザ・さんシロー(明石家さんま・太平シロー)
  • 元アイドル漫才「ザ・アイドリング」(伊丹幸雄・あいざき進也)
  • カップル漫才(横山たかし・春やすこ、横山ひろし・春けいこ)
  • ご本人と漫才(ものまねとそのご本人との漫才、太平サブローと浜村淳(本人)、明石家さんまと上田正樹等)
  • 同級生漫才(九十九一・里見まさと)
  • 夫婦漫才(ビートたけし・北野幹子、片岡鶴太郎と夫人)
  • 業務上漫才(ぼんちおさむ・「ザ・ぼんち」マネージャー)

ひょうきん絵描き歌[編集]

ポーランド民謡「森へ行きましょう(シュワジュペチカ)」のサビパートのピアノ伴奏とコーラス隊(男女混合)の合唱に合わせて、山田邦子が絵を描くコーナー。コーラス隊は独自のオープニングテーマも歌っていた。序盤は普通の絵描き歌だが、最終的には下ネタになったり、他の「ひょうきん族」でおなじみのネタにちなんだ物まで出てくる。中にはホワイトボードを回転させることで絵が完成したり、描いたスプーンをこすっても曲がらないことで超能力のない証明をしたりと視聴者を唸らせる作品もあった。視聴者からの投稿も受け付け、作品の出来によって山田から花丸をもらえたり、描き終わるなり「バカ野郎!」と叱られたりしていた。絵とはまったく関係ない「コーラス隊の皆さんの私服姿が見たい」という視聴者からのリクエストに対し、見事に応えて披露したこともあった。なお視聴者からの募集のあて先(フジテレビだが局留)もコーラスで行われていたが、その曲は毎回「森へ行きましょう」でない曲を週替わりで使っていた。

1982年10月〜1984年の秋頃まで続いた。当時山田が出演した牛乳のCMではこのコーナーを模した演出が使われ、「ひっくり返せばモーモーちゃん」という絵描き歌を披露していた。

ひょうきんプロレスアワー[編集]

芸人がプロレスラーに扮し、本物のプロレスのリングで闘うという、不定期コーナー。景山民夫(=フルハム三浦(後述))が大根で殴られ骨折したり、オール阪神(=ミスター・タイガー(後述))が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体を張って演じた。

初期の柱は、アントニオ・紳助&ストロング・うなずき(竜介)とシャープ兄弟(ミスター・タイガー&ミスター・ジャイアント=阪神・巨人)という二大タッグチームによる、「HWA世界ひょうきんタッグ選手権」をめぐっての抗争劇だった。無敵を誇る紳助組に、悪玉のシャープ兄弟がその打倒に執念を燃やすといった図式で、初戦では紳助組が勝利(その際に前述の「股裂け」事件が起きた)、執念の末に得た再戦ではシャープ兄弟が勝利、そしてその決着戦は、大阪府立体育会館で行われた全日本女子プロレスの実際の大会を間借りする形で行われた(結果は紳助組のタイトル奪還)。コーナー自体は全日本女子プロレス興業の協力を仰ぎ、当時フジテレビが放映した「全日本女子プロレス中継」のスタイルを踏襲していた。実況は「全日本女子プロレス中継」のメインアナでもあった志生野温夫が務めた(後年、志生野は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」の1コーナー『異種格闘技戦・格闘王への道』や「めちゃ×2イケてるッ!」の1コーナー『格闘女神MECHA』でも実況を担当している)。またごく初期には、後に実際の女子プロレスで「極悪レフェリー」として名を馳せた阿部四郎がレフェリー兼リングアナを務めていた。

その後は、実際のプロレスの忠実なパロディとなり、島崎がアントニオ猪木、鶴太郎がタイガー・ジェット・シン、さんまが藤波辰巳に扮するなどした。一時は新日本プロレスの協力を仰ぎ、荒川真扮する力道山や、永源遙扮する沖識名レフェリーが登場したこともあった。この時期は志生野アナ(前述)だけでなく、山中秀樹アナが実況を担当したこともある。また、紳助扮する「ふるい立ち伊知郎」が実況を、たけし扮する「大山マスタチ」なる武道家が解説を務めたりもした。

フリーとなった古舘伊知郎が、謎の覆面実況アナウンサー「ミヤタテルアビブ」(しばらく後「ふるい立ち伊知郎」と改名=正確には2代目)として登場した前後には、コーナーの方向性が大きく変わり、社会ネタのパロディが中心となった。景山民夫フルハム三浦(当時盛んに騒がれたロス疑惑三浦和義がモデル)のリングネームで登場し、高田文夫のジミー江古田(モデルはジミー佐古田)やグレート義太夫扮するジャーナル中江(投資ジャーナル事件中江滋樹がモデル)と闘ったり、タイガー・ジェット・おしんなるレスラー(扮したのは竜介)が登場したりした。この時期に解説を務めたのは、たけし扮する審判部長「ジャマモト・コタツ」(山本小鉄のパロディ)で、「フジテレビ内部抗争」として行われたデタガリ三宅VS.ブッチャー小林戦においては、「笑っていいとも!」憎しとばかりに試合に割って入りながら、なんですかマンの乱入を逆に呼び込んでしまい、最終的に「審判部長がフォール負けするという四次元的な結果」(ふるい立ち伊知郎・談)を残したこともある。

一度プロレスのリングの都合がつかず、仕方がなくボクシングのリングで収録したことがある。外見は似ているがマットの構造が異なり、弾まず硬いマットに演者は苦痛の表情を見せた。

なお、このコーナーの番組内での類似企画として「異種格闘技戦『北野武蔵(北野流空手道十段=たけし)VS.アルギン・ジェット・シン(全米マーシャルアーツ王者=紳助)』」「プロボクシング・世界ひょうきんジュニアライト級タイトルマッチ『ピストン北野(たけし)VS.ホセ・メンドクサ(メキシコ=サブロー)』」がある。後者は2試合行われたが、そのうちの1試合は日本ボクシングコミッションの協力を得て、後楽園ホールのリングで行った。

ヒップアップのひょうきんな青春[編集]

初期のコーナー。当時一番若手だったヒップアップのネタ見せ。途中からは視聴者からお題の募集をした。

今週のひょうきんハイライト[編集]

オープニングで今週の見所を紹介するコーナーだが、司会の牧原俊幸アナが一言も笑わず、きっちりと台本どおりプロの仕事をするのを、隣の山田邦子が業を煮やし、レギュラー陣を乱入、一発芸をさせたり、素人時代に笑ってる場合ですよ!に参加していた時の映像をドッキリで流したりしてどうにかして牧原アナにNGを出させるコーナーに変わっていった。

うなずきトリオ[編集]

うなずきトリオ(ビートきよし、松本竜介、島田洋八)がコントや架空のラジオ番組(オールナイトひょうきん)を展開する。後に彼らによる「うなずきマーチ」なる曲が発表され、#ひょうきんベストテンなどで歌われていた。また、富山県宇奈月温泉が一躍全国的に知られる要因となった。

ひょうきんCM[編集]

  • 初期

カメラのひょうきんひょうきんゴルフサウナひょうきんひょうきんローン等のローカル風CMをやっていた。出演は横澤プロデューサーやひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。この種類はタイムCMの時間帯に入れ本当のCMであるかのように流していた。

  • 中期以降

1983年後半~1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。また、商品のかわりに、ひょうきん族の台本が出ていた。横澤彪の項目にあるとおり裏番組を茶化したものまであった。

モデル企業・商品・団体[編集]

他、順不同

このような番組タイトルを含んだCMパロディは、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」、「広告大賞」等でも同じ手法で行っていた。

ひょうきんニュース[編集]

  • キャスターは本名で出演。
初代 - 長谷川公彦(島田紳助)、酒井スエ子(今くるよ)
2代目 - 杉本高文(明石家さんま)、山田邦子
3代目 - 小林進(ヒップアップ)、山田邦子
  • テーマ曲はグスターヴ・ホルスト「惑星」の第4曲「木星」。モールス信号のような音だけだったときもある。
  • このコーナーの構成作家は高田文夫で、高田曰くひょうきん族で最初に作られたコーナーである。
  • キャスターが初代から2代目の途中までは、独立したコーナーであり、ひょうきんベストテンやタケちゃんマンと同じくらいの時間を割いて放送していた。コーナータイトルの後に必ず『このニュースはすべてデッチ上げのニュースです。見終わった後すぐに忘れて下さい。』という旨の字幕が流れていた。
  • タケちゃんマンで明石家さんまのブラックデビルが定着した後はスポットニュースのように、コーナー内で随所に挟み込まれる形になった[5]

ひょうきんお茶の間ショッピング[編集]

当時よく放送されていたテレビショッピング、「二光(西友リテールサポートに社名変更した後に、2017年に西友へ吸収合併)お茶の間ショッピング」のパロディで進行は九十九一と春けいこ。番組収録で使われたセットの一部が商品として出された。また、大韓航空機の破片(当然番組の作り物)などの時事ネタをテーマにした商品もあった。商品によっては「20億円」とか、「凄すぎて価格が付けられません」といったモノまで登場した。もちろん発注先の電話番号や申込方法[6]はデタラメだったが、それでもフジテレビ宛に購入希望の電話がかかってくる事が多かった。その為、その後は「いずれもタダ」という触れ込みで番組の宛先を表示する視聴者プレゼントの形になった。また「二光~」が電話の呼鈴で始まっていたのに対し、「ひょうきん~」はドアチャイムの音(後に日本直販が電話番号表示時に使用)で始まっていた。この趣向は後の『とんねるずのみなさんのおかげです』でも同様のコーナーが生まれている。

ひょうきん朗読の部屋[編集]

久米明芥川隆行など著名なナレーターに商品の取扱説明書や漫画、アイドルポップスの詩を朗読させる。後に同じくフジテレビで放送されたバラエティ番組「大石恵三」で菊池桃子によるこのコーナーのリメイク版が放送された。

のりおのまかせなさい![編集]

西川のりおのギャグ「まかせなさい!」から生まれたコーナーでのりおと帯同ディレクターがいろんな所へ行って便利屋仕事をするという(風呂掃除や老人の話相手など)もの。あまりに地味でほんの数回しか放送されず、そのうち一回はボツにされたと本人は愚痴っていた。

のりおとにらめっこ[編集]

「テレビにらめっこ」というテレビゲームに西川のりおが登場している、という設定のミニコーナー。のりおは「オバケのQ太郎」や「鉄腕アトム」等に扮しているのだが、突然カツラが外れるなど、あの手この手で視聴者を笑わせにかかるものだった。どんな展開でも最後は「あなたの負け」という画面が表示される。のりおの変化する顔の部分がランダムに選ばれる事により、実際に顔の一部分が特殊メイクで変化する「のりおと整形にらめっこ」というバージョンもあった。

ひょうきん族だよ全員集合[編集]

裏番組であった「8時だョ!全員集合」のパロディ。関東の公民館、ホールを使い、公開収録。オープニング・エンディングは本家「全員集合」とほぼ同じフォーマット(北海盆唄いい湯だなの替え歌)であった。主に、明石第三小隊と山田邦子の物真似。各コーナーの延長版、親睦イベントを実施した。

かまへんライダー[編集]

番組末期の代表的なコーナー。『仮面ライダーシリーズ』と『秘密戦隊ゴレンジャー』のパロディ。オープニングBGMは当コーナー開始前後まで放送されていたスーパー戦隊シリーズ光戦隊マスクマン』の挿入歌『オーラに輝け!グレートファイブ』のインストを使用。明石家さんまが村上ショージらを連れた計5人で街中ロケ。各人スーパー戦隊シリーズのように色分けされていた。レッドは明石家さんま、ブルーはラサール石井、イエローは村上ショージ、グリーンは前田政二、ピンクはMr.オクレ。5人乗りのタンデム自転車に乗って現れるが、きついカーブを曲がれないので、一度降りて自転車を持ち上げなければならないところが滑稽だった。素人相手に仕事の手伝いなどをし、礼を言われると「カマヘン、カマヘン」と返していた。
同じ頃の『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー、「仮面ノリダー」とよく比較されていたが、現場勝負でストーリー性がないこともあり、人気でいうと圧倒的に負けていた(メンバーの誰かが何か失態する度にさんまが「そらぁ(当然)ノリダーに負けるわなぁ」と愚痴を零していた)。訪問先でも、「我々は仮面ノリダーではありませんよ」と言っていた程である。しかし、「草津よいとこ、一度はおいで、ジョイナ、ジョイナー」と街へ出動する時に歌っていた事もあり、草津温泉から感謝状を贈られて草津温泉に招待された。また、同様の移動法でソーラン節の「ヤレン、ソーランソーランソーランソーランソーランソーラン、ハイハイ」の「ハイハイ」の部分で這って歩くバージョンがある。 また、このコーナーで、さんまが大江千里の歌い方(曲目 「REAL」)についてコメントしたことがきっかけとなり、大江がこのコーナーにゲスト出演したことがある。只その際大江は例のジョイナー節のメロディーを正確に歌えず(はな~は霧島~♪の音程)、「それでもプロか!?」とかまへんライダー達にさんざん突っ込まれてしまっている。

仮面ノリダーと異なり、本家『ライダーシリーズ』と『ゴレンジャー』の原作者である石ノ森章太郎と放送局(毎日放送テレビ朝日TBS)・東映にパロディ化の許諾をもらっていたためか、番組が復刻版DVDでソフト化された際に収録された。

本家の「仮面ライダー」では「変〜身!!」と叫ぶのが定番となっていたが、かまへんライダーは「変〜態!!お父ちゃんやめてやめて!!」が決め台詞だった。

本コーナーが放送されていた時期に本家シリーズは『仮面ライダーBLACK』及び『BLACK RX』が放送中だった。

ひょうきんスター誕生[編集]

お笑いスター誕生!!』のパロディで、司会が神谷明園まりと、本家の声優・三人娘の組み合わせを踏襲している。 ひょうきんスター誕生の項目を参照。

在庫一掃コーナー[編集]

1984年ごろに設けられたコーナー。司会の島田紳助とウイリー沖山・トニー黒岩などビートたけし扮する (ただし姿は全く変わらない)コメンテーターが漫才ブーム~番組初期の頃にかつて活躍していたお笑い芸人が出していたレコードを紹介し、時にはそれに加えポスターも送付して視聴者プレゼントにしていた。プレゼントという名の拷問だとたけしは語った。

よく見りゃ有名人?![編集]

週替わりの司会者二人が自分の知り合い、友達(一般応募は無し)で有名人に似ている人を連れてきて(限りなく微妙な所)審査員がどっちが似ているかを審査をする。最後に「よく見りゃ賞」という一番似ていた人を決め、年末特番のグランドチャンピオン大会に出場した。初代グランプリは当時当番組のアシスタントディレクターで、現在構成作家として活動を続けている藤沢めぐみが柳家金語楼に似ている人として選ばれた。また、当時当番組のディレクターであった三宅恵介徳光和夫に似ている人としてグランドチャンピオン大会に進んだ。第2弾として「よく見りゃ動物?!」を開催したが、わずか1週で打ち切られた。

ひょうきん史上最大のクイズ[編集]

「~は何と言ったでしょうか?」という形式の問題を出し、視聴者に答えを考えてもらうという現在で言うところの大喜利形式の先駆け。

今週の思いつき小細工[編集]

用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。趣向を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(ビートたけし)と様々。

源さんの日記〜ある老人の一言より〜[編集]

  • 片岡鶴太郎扮する「源さん」(本名:片岡源右衛門)と言う名の老人が街中に飛び出し、源さんが不快に思うことを「思わずこう言いそうになった」のナレーションの後にテロップが表示され、最後に源さんがリアクションを取り、直後に「でも、言わなくて良かった。なぜなら、それが源さんなのだから…」というナレーションで締めくくるミニコントドラマ。基本的に他のレギュラー陣の参加は無し。2009年8月に放送された「ひょうきん族話の泉」で、撮影当時、片岡鶴太郎は演出した三宅ディレクターから、これは風刺であり、過剰な演技は極力するなと言われたと明かした。
  • ナレーションは矢島正明が担当。
  • サブタイトル(ある老人の一言より以外に)も何度か変貌があった。

ひょうきん私の秘密[編集]

  • NHKテレビ私の秘密』のパロディーコーナー。
  • 1986年4月から始まったコーナー。露木茂アナウンサー(当時)進行による番組レギュラー陣の自慢・秘密話を持ち込んでクイズにする内容。
  • 解答者にはレギュラー陣が「ひょうきんベストテン」「ひょうきんスター誕生」等で扮していたものまねキャラが携わっていた。
  • このコーナー担当は佐藤。曰く「流行が一回りしたから古い感じのコーナーが新しい」と言って始まったらしい。コーナー自体は長く続かず、紳助はひょうきんベストテンで、「皆さん、(佐藤が方針の間違いに気づくまで)付き合ってあげて下さい。」と言っていた。

8つの顔を持つ男[編集]

番組最末期の「タケちゃんマン」終了後に後を継いだドラマ仕立てのコントコーナー。ビートたけし扮する怪盗・8つの顔を持つ男が現在・過去・未来の行き来しその名の通り「牛田モー(メイ牛山のもじり)」など様々な名前や顔を持ち盗みを働く。コーナーの流れはタケちゃんマンと同じだが前者が一応正義のヒーローだったのに対し、こちらは悪人という設定。一方、明石家さんまは「トン・ティン・タン教祖(トン・ティン・タンカッパ)」の固定キャラを持っていた。ここで使われた効果音には『ゲゲゲの鬼太郎』(第3シリーズ)と同じ物が使用された。番組末期の中では人気が高かったコーナーだったがわずか4ヶ月弱で終了。

メロドラマ[編集]

東海テレビ昼の30分ドラマをパロディにしたドラマコーナー。さんまがメインで、ギャグはほとんど言っていいほど入ってはいなかった。重厚なストーリーを重視しての作風で8話2週完結の体裁で冒頭と番組の前半と番組の後半とエンディングで放送された。テロップも「2分後につづく」(オープニング・提供・CMの後)「番組の後半につづく」「CMの後につづく」「次週につづく」最終回では「」と表記をしていた。

ただし、東海テレビと各作品の著作権を持つ制作会社(泉放送制作アオイスタジオ東宝などに)に許可無く無断でパロディ化したためか、番組がDVDソフト化された際にはこのコーナーは入っていない。

ひょうきんスペシャル[編集]

春・秋の番組改編時と年末年始に行われる拡大版。タイトルには「春の~」「秋の~」「年忘れ~」「新春~」と付けられる。こちらも『8時だョ!全員集合』を意識した作りで、通常7時台はスペシャル企画(主にさんまとたけしのトーク、公開懺悔)で8時に通常プログラムをパワーアップさせた内容でベストテンを名曲プログラムやひょうきん歌謡大賞、タケちゃんマンにミュージカル要素を加えたプログラムになっており、基本プログラムをあまり崩さなかった。『全員集合』の終了後は公開懺悔に加え、これまで放送したタケちゃんマンの名シーンを電リクで視聴者から形だけ受け付ける形(実際、受付電話番号が出ないので直接フジテレビに掛けてもつながらない)を取っていた。なお通常の「ひょうきん族」とは別番組扱いとなっている。

ひょうきん懺悔室[編集]

  • ブッチー武者が神様役、番組プロデューサーの横澤彪(2代目は三宅恵介)が神父役を務めた番組の最後の名物コーナーである。

ラブ・ユー・貧乏[編集]

  • 後期を代表するコーナー。さんまの司会で何人トリオが己の貧乏自慢をしてもらう(1番:前田政二、2番:Mr.オクレ、3番:村上ショージ)。一人ずつネタが終わるとロス・プリモス(この時点のバンマス・リードヴォーカルは森聖二)の「ラブユー東京」の「東京」の部分を「貧乏」に変えた替え歌を歌う(他パターンあり)。そして、最後にわざわざ来てくれているロス・プリモスに物乞いの一言で締めくくられる。「ラブユー貧乏」の他、同じくロス・プリモスの代表曲「たそがれの銀座」を使用した「たそがれの貧乏」も放送された。
  • 元々はさんまが出演していた舞台やラジオ番組「MBSヤングタウン」で、何人トリオの3名が「難民トリオ」名で「We Are The World」を流しながら行っていたもので、ビートたけしがフライデー襲撃事件で謹慎となり代替企画を探していた番組スタッフにさんまが推薦した企画である。
  • その後、ロス・プリモスがネタ切れによる降板を拒否したため、なんでもやると言う条件で「ラブユー貧乏ちゃん」(代わりにロス・プリモスメンバーと強面のマネージャー)、「貧乏DEデート」(クイズ)が行われるようになった。また、「ラブユー貧乏」はオリジナルの歌詞を加えてロス・プリモスのレコード・カセットテープとしてリリースし、ヒットした(詳細はラブユー東京#続編などを参照)。
  • 明石家マンション物語』では「21世紀のMr.オクレを探せ!」を募集してこのコーナーを再現した。
  • 2015年7月6日放送の『痛快!明石家電視台』(MBSテレビ)「明石家さんま生誕60周年記念スペシャル」で、オープニングにて明石家メンバーがさんまに因んだエピソードの替え歌で再現した。冒頭:豊崎由里絵アナ、1番:松尾伴内、2番:重盛さと美、3番:村上ショージ。現在の永山こうじとロス・プリモス永山こうじ、峰たかし、佐藤幸輝の3名)も登場した。

関根くんの知られてる世界[編集]

関根勤演ずる文化人類学赤子研究家、クストー関根とアシスタントの川端健嗣アナが赤ちゃんの動作を見守りながらいろいろなコメントを述べる。必ず、結論として「○○に○○はいない」という一言で締められる。

オープニングコント[編集]

初期は必ず、「オレたちひょうきん族!」でオチをつける。後期の特徴的なシーンとしてはたけしとたけし軍団がまとめて会社員として出演したものがある。後期ではたけしがこれぐらいしか出ない場合もある(熊うっちゃり酒造)。CSで放送された中でも、「俺にも、佐世保!」はネット上や、恋のから騒ぎでネタにされている。[7][8]

さんま・関根のひょうきん歌謡学院[編集]

さんま扮するデビュー前の学生杉本と関根扮する教師がゲストの歌う歌詞にいろんな表現、合いの手をつけて歌わせる。後に明石家マンション物語の大日本意味なし教でこのコーナーのリメイクが放送され、オチを付けず面白い所だけを放送する構成もマンション物語の基本となった。

Hyokin Kuning Show[編集]

山田邦子扮する好奇心いっぱいの女の子クーニンは、悩みはじめるとクーニンエイトに変身し、仲間の怪人たちと相談する。クーニンエイトに変身すると、頭がフジテレビの旧ロゴマークである8になる。なお、仲間の怪人は、それぞれ他局をモチーフに擬人化したもの。

  • 日本女(NHK)
  • 東京ドーム男(日本テレビ)
  • 印篭男(TBS)
  • テレビカメラ女(テレビ朝日)
  • 紙男(テレビ東京)

ひょうきんスタープロポーズ小作戦[編集]

ひょうきんベストテン終了後に開始したコーナー。プロポーズ大作戦のパロディ。島田紳助と長野智子の司会で、男女4人が登場し、フィーリングカップルを行い、カップルを決定。その後、ゲスト歌手が歌を歌うという形式。男女4人のうち、ゲスト歌手以外は、全てレギュラー陣によるものまねだった。事実上の次コーナー、ひょうきんお笑いジョッキーが始まるまでのつなぎ企画。

ひょうきんアライグマ劇場[編集]

西川のりお演じる瞬きのできる着グルミ、アライグマのノンノン君がサブロー・シロー・紳助らとジェスチャーで触れ合おうとするも、逆にのりおが生み出してきた一発ギャグを要求されるなどいじられまくる。このアライグマの着ぐるみは放送300回記念スペシャル内で放送されたジェスチャーゲームコーナーでも利用された。

ひょうきん名画の旅[編集]

妖精役の山田邦子が名画に隠された裏エピソードを発見する。例えば、笛を吹く少年はなぜ縦軸なのかというと、横にお囃子と東京コミックショーがいるから、など。

レンタルビデオドラマコント[編集]

番組末期。「ひょうきんビデオ」と言う名前のパロディ。オープニングは豆腐屋から転職し、レンタルビデオ店を経営する店長のたけしがバナナ滑りに拘るコントをする。 その後、理髪店兼ビデオ店、交番のビデオ店「駐在さん」等のコントから始まり、オープニングをはさんで番組前半、ドラマや時代劇などといったドラマ風コントを放送。最初はあることをすることで、店主のたけしが「ひょうきん大河ドラマ」などのビデオをレンタルしていた。

宅配ピザドラマコント[編集]

番組末期。たけしが宅配ピザに注文するのだが、指定時間内に届けられなかったら無料であることをいいことに、超遠回りの経路を指定して配達するように注文する。さらには配達員(たけし軍団)が配達途中の経路上に仕掛けられた罠にひっかかったこともあった。

歌えるパブ「ひょうきん」[編集]

番組末期。会員制のパブという設定。有名人のものまねをしたタレントたちが集まるパブという設定。後半はゲストがスタジオライブをする。このコーナーのおなじみの言葉は島田洋七による「やきそばできました」。

ひょうきんお笑いジョッキー[編集]

番組末期。ゲストを呼び、ゲストの生歌とレギュラーの生歌を交え、トークを展開していく。歌えるパブひょうきんの鹿の首(のりおとおさむ)をゲストがなじる。

ひょうきん芸能フラッシュ[編集]

番組最末期。島田紳助と大島智子の司会で、最新の芸能情報を紹介する。山田邦子とそのまんま東の小柳ルミ子大澄賢也ネタや 片岡鶴太郎の村西とおるネタ、西川のりおのホワイトタイガーネタがヒット。「ひょうきんベストテン」からの音楽コーナーを一応継承しているものの、 ほとんど音楽ネタは使われることがなかった。

ひょうきん連続テレビ小説[編集]

番組初期から、懺悔室が始まる間で行われたミニドラマ。演技の途中ナレーターが現在で言うむちゃ振りで「○○はこう言った」とアドリブに任せる内容。

電車談話室[編集]

末期のミニコーナー。夜の帰宅電車の車内で一般人役のレギュラーが芸能界を引退しサラリーマンになったという設定のゲストと偶然乗り合わせトークを展開する。

日本の御作法講座[編集]

日本の火消法被を着たデーブ・スペクターが司会。レギュラーが作法の先生で日本での電話の取り方等を一つずつ段階を踏んで説明する。途中から日本人がよくする仕草が登場(今で言うあるあるネタ)「これは日本では礼儀マナーですのでやらないと失礼に当たります。絶対するように」「この動きを○○と言います。」ともっともらしく話す。デーブは説明中英語(吹き替え:富山敬)で話しているが逐一チェックされ誤訳も懺悔の対象になる。中期。

シネひょうきん[編集]

番組末期のコント企画。サイレント映画(映像はカラー)のノリでギャグが繰り広げられた。

想い出しましょうあの人を[編集]

番組初期にたけしが担当していたコーナーで、たけしが懐かしのタレントのVTRを見ながらコメントをする。担当は三宅[9]ビートたけしのオールナイトニッポン初期にあった企画『伊丹幸雄コーナー』の完全コピーであった事をたけしは『ビートたけしの幸せひとり占め』内で漏らしている。

その他テレビ番組のパロディ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ フジテレビ「ひょうきん」な「女子アナ」たち山村美智 Official Blog(2015年3月7日記載)
  2. ^ DVD版では著作権法上の都合で、メロディーが少し異なる類似曲に差し替えられている。
  3. ^ 直前のコーナーであるネプリーグスペシャル内で日ごろお世話になっている森光子がわからず「森紳助に名前を変えてやる!」と発言したことにより一時的ではあるが改名。
  4. ^ 2011年4月10日放送の爆笑問題日曜サンデーより
  5. ^ 1982年8月28日に放送された回では、たけしが「山田邦子です」と言い張って山田の席に座った事もある。
  6. ^ 「お申し込みは御葉書かスペースシャトルで」などと紹介していた。
  7. ^ 1981年10月24日放送分のオープニングコントは『8時だよ!全員集合!』バージョンで行った。
  8. ^ から騒ぎ担当プロデューサー・菅賢治の出身地(長崎県佐世保市)に因んで。
  9. ^ 『ビートたけしの幸せひとり占め(文庫版)』扶桑社刊、P99。