みずほ銀行内幸町本部ビル

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みずほ銀行内幸町本部ビル
Mizuho Bank Head Office.JPG
みずほ銀行内幸町本部ビルの位置(東京都区部内)
みずほ銀行内幸町本部ビル
みずほ銀行内幸町本部ビル
施設情報
所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区内幸町一丁目1番5号
座標 北緯35度40分14秒 東経139度45分26.5秒 / 北緯35.67056度 東経139.757361度 / 35.67056; 139.757361座標: 北緯35度40分14秒 東経139度45分26.5秒 / 北緯35.67056度 東経139.757361度 / 35.67056; 139.757361
状態 完成
着工 1977年2月[1]
建設期間 1977年 - 1981年
竣工 1981年1月[1]
用途 オフィス、銀行店舗
地上高
最頂部 140m[1]
屋上 132m
各種諸元
階数 地上32階、塔屋2階、地下4階[1]
敷地面積 13,500 [1]
建築面積 7,300 [1]建蔽率54%)
延床面積 135,000 [1]容積率1000%)
構造形式 鉄骨造鉄骨鉄筋コンクリート造[1]
関連企業
設計 芦原建築設計研究所[1]
構造エンジニア 織本匠構造設計事務所[1]
施工 第一勧業銀行本店工事JV(清水建設鹿島建設安藤建設佐藤工業日産建設間組[1]
デベロッパー 第一勧業銀行
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みずほ銀行内幸町本部ビル(みずほぎんこううちさいわいちょうほんぶビル)、旧称第一勧業銀行本店ビル(だいいちかんぎょうぎんこうほんてんビル)は、東京都千代田区内幸町一丁目1番5号に所在する超高層ビル1982年の第23回BCS賞受賞[2]

概要[編集]

日比谷通りと国会通りが交差する北東角に位置する。みずほフィナンシャルグループ傘下で個人・中小企業地方公共団体向け営業を受け持つみずほ銀行東京営業部が入居する。元々は旧第一勧業銀行本店ビルとして建てられた。

地上32階、地下4階、高さ140メートルで、隣接する日比谷公園を取り囲むビル群の中では最も大きく、また日本銀行が単独で入居するビルとしても横浜銀行本店ビルに次ぐ規模である。高さでは他の超高層ビルに見劣りするものの、延床面積は135,000平方メートルと広く、世界的な銀行の本部としてはシティグループ・センターニューヨーク)やHSBCタワー(ロンドン)のそれを凌ぐ。

から時計回りにNTTコミュニケーションズ本社(NTT日比谷ビル)、東京電力本店、日比谷ダイビル富国生命ビル日比谷公会堂が隣接している。

2019年7月、三井不動産NTT都市開発および東京電力ホールディングスがみずほ銀行内幸町本部ビルを含め、帝国ホテルから東電本社に至る街区を「内幸町再開発」として3つのエリアに分け、2020年秋以降、段階的に再開発に着手。2036年にも完了させると『日本経済新聞』等が報じた[3]

前史[編集]

初代勧銀本店[編集]

日本勧業銀行本店(初代)

初代の日本勧業銀行(勧銀)本店は木構造2階、瓦葺で、1899年に建設された。当時の住所表記は「東京府東京市麹町区内幸町」。日本橋の設計で知られる妻木頼黄が設計を担当し、東京帝国大学大学院生で後に関西建築界の父と呼ばれる武田五一が監督にあたった。施工は大倉土木(現大成建設)。

日清戦争後間もなく国家意識が高揚する中で、日本古来の建築手法である金属板の平葺きを採用しており、外見には和風の建造物となった。業容の拡大に伴って1926年に立て替えを行い、旧本店は京成電気軌道(現京成電鉄)に売却され、「谷津遊園楽天府」として阪東妻三郎プロダクションが使用した。その後千葉市に移管、千葉市役所庁舎を経て、現在は千葉トヨペット本社となっている。登録有形文化財である[4]

2代目勧銀本店[編集]

2代目の勧銀本店は地上5階の鉄骨鉄筋コンクリート構造、清水組(現清水建設)の施工で1929年に竣工した。設計を手がけた渡辺節は、本店以前にも高松市福岡市秋田市などの勧銀支店を設計している。いずれもルネサンス建築様式を基調として、装飾帯、出入口の飾りアーチなどに共通の特質をもつ。

目の前にある日比谷公会堂も1929年竣工である。勧銀本店の製図主任は村野藤吾で、一方の日比谷公会堂の設計は佐藤功一だが、両者は早稲田大学時代に師弟関係にあった。ルネサンス様式の勧銀本店に対して、日比谷公会堂はゴシック建築であり、両建築物が通りを挟んで因縁めいた対比をなしていた。

第一勧銀内幸町営業部[編集]

勧銀は1971年第一銀行と合併し、第一勧業銀行となった。当初の本店は旧第一銀行本店(現みずほ銀行丸之内支店)に置かれ、旧勧銀本店は「内幸町営業部」となっていた。1981年、千代田区内幸町の旧勧銀本店跡に、周辺の土地を買収した上で本店ビルを新築し移転した。現在のみずほ銀行内幸町本部ビルの登場である。

現況[編集]

1981年竣工で、設計は芦原義信率いる芦原建築設計研究所が行い、清水建設を中心とする共同企業体施工した。共同企業体の他のメンバーには鹿島安藤建設佐藤工業日産建設間組が名を連ねた。設計から竣工まで約8年間を費やし、工事は2期に分け、行われた[1]1982年の第23回BCS賞受賞作品。日比谷公園を挟んで立地する富国生命ビルも清水建設の作品である。

特徴[編集]

都市景観を重視した芦原義信らしく、設計にはその配慮が見受けられる。新たに発足した総合設計制度の活用により、建物全体を日比谷電電ビル(現:NTT日比谷ビル)側に寄せ、そのために生み出されたオープンスペースを市民のための公開空地とした。そこは一段と低くなっており、170メートルに及ぶツバキマテバシイ並木道が流れや小広場があり、サンクンモールとして街区の活性化を図った[5]。四方の隅は花崗岩で縁取られ、夜には照明が点灯する。内部の応接室から見ると南日に映えた落ち着いた風情を漂わせている。

地上140メートルの巨大構造物でありながら、威圧的な印象を与えないよう、低層部分が末広がりの安定した形状になっている。これは1階営業室(ロビー)の大屋根をなしており、アルミルーバーによって内部には柔らかな間接光が差し込む。営業室中央にはイタリア彫刻の巨匠、ジャコモ・マンズーの少女像が据えられている。

一般事務室の入る「高層棟」は、地下4階に主機械室、地下2、3階を駐車場、地上1階以上を執務部門とし、日比谷通り側に本店営業部が入る「営業部棟」、反対側に「講堂」を配した[5]

第一勧銀はハートロゴマークに採用し、「ハートの銀行」をキャッチコピーとしていたが、これに合わせて営業室の天井にはハートを象った装飾が施されている。また、1階エントランス前の時計台の上部にもハートがデザインされている。第一勧銀独自の業務に宝くじの受託があり、新本店の建設に合わせて「東京宝くじドリーム館」が敷地内に設置された。

1997年、第一勧銀・野村證券が関与した総会屋利益供与事件が明るみとなり、5月20日、東京地検特捜部が、容疑裏付けのため第一勧銀本店に家宅捜索に入り、不祥事の舞台となった[6]

みずほ銀行本店[編集]

2000年、第一勧銀は富士銀行日本興業銀行とともにみずほフィナンシャルグループを旗揚げ。2002年には各行のリテール部門を引き継いだみずほ銀行が発足し、第一勧銀本店は「みずほ銀行本店」となった。

第一勧銀本店をみずほ銀行本店とした理由は、富士銀本店(後のみずほ銀行大手町本部ビル)が1966年竣工と古く、また地上16階建てと第一勧銀本店より延床面積も狭いため、新銀行の大量の人員が利用するオフィスとしては、十全ではなく、また旧興銀本店ビル(みずほ銀行前本店ビル)も、1974年の竣工とやはり建築時期が古く、本店ビルとしては使用しない予定だった。しかし、当初の予定を変更してみずほコーポレート銀行本店として使用することになった。

前述の「ハート」の各装飾は、みずほ銀行発足後も第一勧銀の名残として残されている。

2004年、経営環境の悪化のため、本店ビルを信託設定し、外部の不動産信託中間法人に1,050億円で売却した。このため所有権は移転しているものの、定期借家契約を結んでおり、引き続き全敷地・フロアをみずほ銀行が使用している。

みずほ銀行東京営業部[編集]

2013年7月1日、みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を吸収合併し、行名をみずほ銀行に変更した。本店はみずほコーポレート銀行本店を継承した。これに先立ち、2012年10月21日付で、本店の口座店並びに窓口名称が「東京営業部」と改称され、ビルの呼称も「みずほ銀行内幸町本部ビル」に改められた。

写真[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『近代建築』1981年4月号 p.38
  2. ^ 第23回受賞作品(1982年)第一勧業銀行本店”. 一般社団法人日本建設業連合会. 2019年9月15日閲覧。
  3. ^ “五輪後最大級の再開発 東京・内幸町に複数の高層ビル”. 日本経済新聞. (2019年7月29日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47891600Y9A720C1MM8000/ 2019年9月15日閲覧。 
  4. ^ 本社屋のご紹介”. 千葉トヨペット. 2019年9月15日閲覧。
  5. ^ a b 『建築文化』 1981年4月号 p.85
  6. ^ 「東京地検 第一勧銀本店など捜索 総会屋の融資 解明へ 野村証券利益提供事件」『毎日新聞』夕刊 1997年5月20日

参考文献[編集]