みみずく通信

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みみずく通信」(みみずくつうしん)は、太宰治短編小説

概要[編集]

初出 『知性』1941年1月号
単行本 千代女』(筑摩書房、1941年8月25日)
執筆時期 1940年11月22日頃完成(推定)[1]
原稿用紙 16枚

太宰は新潟高等学校[2]で講演をするために、1940年(昭和15年)11月15日に上野駅を出発。16日に同校の学生ホールで講演をした。太宰は「思い出」「走れメロス」など自作の一節を紹介しながら、「友情」について語ったという[3]

11月17日午後、佐渡島に渡り両津町の本間旅館に止宿。18日、相川町の高田屋旅館に一泊し、19日早朝帰路についた。講演や生徒との交流が本作品に描かれている。佐渡島に渡航したときのことは「佐渡」(『公論』1941年1月号掲載)の題材となった[1]

本作品のタイトルは、其角の俳句「木菟(みみづく)の独わらひや秋の昏」から取られている[4]

冒頭部分で「先日、私の甘い短篇小説が、ラヂオで放送された時にも、私は誰にも知られないやうに祈つてゐました」とあるのは、同年11月5日にJOAKで放送された「ある画家の母」を指しているものと思われる[5]

あらすじ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『太宰治全集 第4巻』筑摩書房、1989年12月15日、378-379頁。解題(山内祥史)より。
  2. ^ 旧制の新潟高等学校。戦後、新潟大学に包括され、同大学の人文学部および理学部の前身となった。
  3. ^ 伊狩章「旧制新潟高校と太宰治」。『太宰治研究3』和泉書院、1996年7月15日所収。
  4. ^ 引用されている部分は次のとおり。「講演は、あまり修行にもなりません。剣道の先生も、一日限りでたくさん也。みみづくの、ひとり笑ひや秋の暮。其角だつたと思ひます。十一月十六日夜半。」
  5. ^ 「ある画家の母」は作品集『東京八景』(実業之日本社、1941年5月3日)に収録される際、「リイズ」と改題された。

関連項目[編集]