アウグスト・ストラダル

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アウグスト・ストラダル(August Stradal、1860年5月17日 - 1930年3月13日)は、チェコ出身のピアニスト、音楽教師、作曲家編曲家オーギュスト・ストラーダルアウグスト・ストラーダルなどとも表記される。

生涯[編集]

ボヘミアテプリツェで生まれる。弁護士で市会議員でもあった父親のフランツ・ヨゼフ(Franz Josef)はエドゥアルト・ハンスリックと親交を持っていた。ライトメリッツギムナジウムウィーンテレジアヌム英語版で学んだストラダルはウィーン音楽院に進み、作曲をアントン・ブルックナーに、その他グスタフ・ノッテボームテオドル・レシェティツキアントン・ドーア英語版に師事した[1]1884年からはフランツ・リストの弟子となり、1886年にリストが死去するまで助手として各地に同行した[2]。この時期に、ブルックナーの交響曲のピアノ独奏編曲も行っている。

テプリツェに戻り音楽教師として活動したのちに、ストラダルは1893年から1895年にかけてウィーンのホラークピアノ学校(Horakschen Klavierschulen)でピアノを教え、その後プリーン・アム・チムゼー英語版に居を構え、ヨーロッパ各地でピアニストとして活動した。1919年からは北ボヘミアのクラースナー・リーパ英語版で音楽教師の職に就き、1927年プラハで最後の演奏会を行い、1930年にクラースナー・リーパで死去した。晩年の1828年には"Czechoslovak State Music Award"を受け、また1929年にリストに関する回想録"Erinnerungen an Franz Liszt"を著している。死後の1934年、妻のヒルデガルト(Hildegard)は夫の伝記"August Stradals Lebensbild"を出版している。

ストラダルは、ピアニストや教師として活動する一方で、ピアノのために多くの編曲を残した。その対象は、自らが学んだブルックナーやリスト、またリストの弟子時代にロ短調ミサを聴いて感銘を受け、100曲以上を編曲したヨハン・ゼバスティアン・バッハをはじめ、ディートリヒ・ブクステフーデヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヨハネス・ブラームスリヒャルト・ワーグナーマックス・レーガーグスタフ・マーラーなど広範で、未出版のものも多い。バッハのブランデンブルク協奏曲の編曲を校訂した田中博幸は、ストラダルによる編曲の特徴を「常にオクターヴで増強されたバスと、可能な限り多くの音を使った荘重な響き」[2]としている。原曲の構造を最大限に再現したストラダルの編曲は総じて演奏至難で、アルフレッド・コルトーエミール・フォン・ザウアーは「ピアノによる総譜」(Klavierpartituren)と呼んだ[3]

主な編曲作品[編集]

ほぼ全てがピアノ独奏用編曲である。

出典[編集]

  1. ^ (田中 2010)、Risto-Matti Marin "Franz Liszt: The Complete Symphonic Poems, Vol.1, transcribed by August Stradal" (Toccata Classics, TOCC0035)の解説(Malcolm MacDonald, 2013)。ただしÖsterreichisches Biographisches Lexikonの記述(Stradal, August (1860–1930))では、ウィーン大学で法学、哲学と史学を学ぶ一方で、彼らに個人的に師事したとする。
  2. ^ a b 「楽曲解説」『J.S.バッハ=ストラダル:ブランデンブルク協奏曲 [ピアノソロ版]』 田中博幸、ヤマハミュージックメディア2010年、4頁。
  3. ^ Stradal, August (1860–1930) - Österreichisches Biographisches Lexikon.