アクマリ・イクラモフ

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The Soviet Union 1968 CPA 3668 stamp (One of Organizers of the Communist Party of Uzbekistan Akmal Ikramov (1898–1938)).jpg

アクマリ・イクラモヴィチ・イクラモフロシア語: Акмаль Икрамович Икрамов1898年 - 1938年3月15日)は、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の政治家、ソ連共産党員。中央アジア方面の地方幹部として昇進するも大粛清によって失脚、処刑された。

タシュケント市出身。商家の丁稚、タシュケントの建設現場の労務者として働く。タシュケント教員課程で学ぶ。

  • 1918年~1920年 - 共産党に入党。国民教育課ナマンガン課学校の教師、監察官
  • 1920年4月 - トルキスタン共産党ナマンガン市委員会ムスリム局議長、農村業務課主任、フェルガナ州委員会副議長、シルダリヤ州委員会書記
  • 1921年4月 - トルキスタン共産党中央委員会課主任、書記
  • 1922年~1924年 - Ya・M・スヴェルドロフ名称共産大学で学ぶ。
  • 1924年10月 - ウズベキスタン共産党中央委員会創設組織局員
  • 1925年2月 - ウズベキスタン共産党中央委員会第二責任書記
  • 1929年12月~1937年 - ウズベキスタン共産党中央委員会第一書記

1937年2月、党中央委員会幹部会「ブハーリン-ルイコフ事件」委員会委員。同年9月20日、逮捕。1938年3月5日、反ソ行動、トロツキー派、反革命民族組織への加入等を「自白」。同年3月13日、死刑判決を言い渡され、3月15日、銃殺。

1957年、名誉回復。

パーソナル[編集]

1931年から全連邦共産党(ボリシェヴィキ党)中央委員会中央アジア局書記。1925年12月、党中央委員会委員候補。

全ロシア中央執行委員会委員。1925年5月からソ連中央執行委員会幹部会議員候補。

レーニン勲章を受章。

先代:
イサーク・ゼレンスキー
ウズベキスタン共産党第一書記
1929年 - 1937年
次代:
ウスマン・ユスポフ