アソル公爵

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アソル公爵マレー家の紋章のエスカッシャン部分

アソル公爵: Duke of Atholl)は、スコットランド貴族公爵位。タリバーディン伯爵、アソル伯爵、アソル侯爵などを前身とし、第2代アソル侯爵ジョン・マレー1703年に叙されたのに始まる。

歴史[編集]

1982年、アソル公爵家本邸ブレア城英語版をバックに立つ10代アソル公ジョージ・イアン・マレー英語版(1931–1996)

マレー家はスコットランドの氏族(クラン)の一つマレー氏族英語版の族長(Chief of Clan Murray)の家柄である。マレー家が貴族に叙されたのはジョン・マレー(1550頃-1609)が、1604年4月25日タリバーディンのマレー卿(Lord Murray of Tullibardine)1606年7月10日タリバーディン伯爵(Earl of Tullibardine)マレー=ガスク=バルクヒダー卿(Lord Murray, Gask and Balquhidder)という3つのスコットランド貴族爵位に叙されたのに始まる[1][2]

その息子2代タリバーディン伯ウィリアム・マレー(1574頃–1626)は、第5代アソル伯爵英語版ジェイムズ・ステュワートの娘ドロシア(生年不詳-1628)と結婚した。ウィリアムとドロシアは、タリバーディンについては弟パトリック・マレー(1578–1644)に譲るので、アソル伯爵領を息子ジョン・マレー(生年不詳-1642)に欲しいと国王チャールズ1世に要求した。国王はそれを認め、ウィリアムをタリバーディン伯爵とマレー=ガスク=バルクヒダー卿から解き、代わりに1628年1月30日にパトリックに対して同じ爵位を新規に与え、また同年2月17日にジョンをアソル伯爵英語版(Earl of Atholl)に叙した[3][4]

しかし結局、初代アソル伯の息子で2代アソル伯爵位を継承したジョン・マレー英語版(1631–1703)1669/70年1月に分流のタリバーディン伯爵位を継承している。さらに1676年2月7日アソル侯爵(Marquess of Atholl)タリバーディン伯爵(Earl of Tullibardine)バルクヒダー子爵(Viscount of Balquhidder)マレー=バルベニー=ガスク卿(Lord Murray, Balvany and Gask)という四つのスコットランド貴族爵位を新規に叙された[5][6]

その息子の2代アソル侯爵ジョン・マレー(1660–1724)は、1703年5月6日アソル公爵(Duke of Atholl)タリバーディン侯爵(Marquis of Tullibardine)ストラステイ=ストラスエーデル伯爵(Earl of Strathtay and Strathardle)バルクヒダー=グレナルモンド=グレンライオン子爵(Viscount Balquhidder, Glenalmond, and Glenlyon)マレー=バルベニー=ガスク卿(Lord Murray, Balvenie, and Gask)という5つのスコットランド貴族爵位を与えられた[7][8]

初代公は7代ダービー伯爵ジェイムズ・スタンリー(1607-1651)の娘アメリア(-1702)と結婚していたため、夫妻の三男で第2代アソル公爵位を継承したジェイムズ・マレー英語版(1690–1764)は、1736年に第10代ダービー伯ジェイムズ・スタンリーが死去した際に議会招集令状英語版[要リンク修正]によるイングランド貴族爵位(男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる)であるストレンジ男爵位英語版を継承している[9]。加えてこの際にマン島とその領主の称号マン卿英語版も継承した。

初代公の六男ジョージ・マレー卿英語版(1694-1760)ジャコバイトの王「チャールズ3世」(小僭称者)に与してジャコバイト軍の指揮をとったことで知られる[10]。2代公が死去した時、生存している男子がなかったため、このジョージ・マレー卿の息子であるジョン・マレー(1729–1774)が3代アソル公爵位を継承した。彼は2代公の娘で8代ストレンジ男爵位を継承したシャーロット英語版と従兄妹同士の結婚をした[8]。夫妻は1765年にマン島とマン卿の称号を英国王室に売却している[11][12]

夫妻の長男である4代公ジョン・マレー(1755–1830)は、1786年8月16日グレートブリテン貴族爵位ストレンジ伯爵(Earl Strange)グロスター州におけるスタンリーのマレー男爵(Baron Murray, of Stanley in the County of Gloucester)に叙された[8][13]

4代公の死後はその長男ジョン・マレー英語版(1778–1846)が5代公爵位を継承したが、5代公には子供がなかったため、甥にあたるジョージ・マレー(1814–1864)が6代公を継承した[8]。彼の父で4代公の次男にあたるジェイムズ・マレー英語版(1782–1837)は、1821年7月9日連合王国貴族爵位パース州におけるグレンライオンのグレンライオン男爵(Baron Glenlyon, of Glenlyon in the County of Perth)に叙されており、そのためジョージは6代公を継承する前に第2代グレンライオン男爵位を継承していた[14]

6代公の孫にあたる9代公ジェイムズ・ステュワート=マレー英語版(1879–1957)の死去をもって4代公からの男系男子は絶え、ストレンジ伯爵位、スタンリーのマレー男爵、グレンライオン男爵位は廃絶し、またストレンジ男爵位は4代公の三人の娘の間で停止(abeyance)された。ストレンジ男爵位については1964年に4代公の長女シャーロットの孫にあたるジョン・ドラモンド英語版が継承者と確定した[8][9]

アソル公爵位をはじめとするそれ以外の爵位については、3代公に遡っての分流であるジョージ・マレー英語版(1931–1996)に継承された。10代公にも男子がなかったので10代公の死後は4代前までさかのぼっての分流ジョン・マレー英語版(1929–2012)が11代公を継承している。11代公の死後は、その長男ブルース・マレー英語版(1960-)が12代公を継承しており、彼が2017年現在も当主である[8]

代々スコットランド・フリーメイソンの家系であり、とりわけ3代公ジョン[15]、4代公ジョン(1755–1830)[16]、6代公ジョージ(1814–1864)[17]、8代公ジョン(1871–1942)[18]スコットランド・グランドロッジ英語版の最高指導者であるグランドマスター英語版に昇進している。分流の貴族ダンモア伯爵家も代々フリーメイソンの家系であり、歴代当主のうち3人がグランドマスターになっている[19]

公爵家の本邸はスコットランド・パースシャー英語版にあるブレア城英語版である。

現当主の保有爵位[編集]

現在の当主第12代アソル公爵ブルース・ジョージ・ロナルド・マレー英語版は、以下の爵位を保有している[8][20][21]

  • 第12代アソル公爵 (12th Duke of Atholl)
    (1703年1月30日勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代アソル侯爵 (13th Marquess of Atholl)
    (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第12代タリバーディン侯爵 (12th Marquess of Tullibardine)
    (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第15代タリバーディン伯爵 (15th Earl of Tullibardine)
    (1628年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代タリバーディン伯爵 (13th Earl of Tullibardine)
    (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第14代アソル伯爵英語版 (14th Earl of Atholl)
    (1629年2月17日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第12代ストラステイ=ストラスエーデル伯爵 (12th Earl of Strathtay and Strathardle)
    (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代バルクヒダー子爵 (13th Viscount Balquhidder)
    (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第12代バルクヒダー=グレナルモンド=グレンライオン子爵 (12th Viscount Balquhidder, Glenalmond, and Glenlyon)
    (1703年1月30日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • タリバーディンの第17代マレー卿 (17th Lord Murray of Tullibardine)
    (1604年4月25日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第12代マレー=バルベニー=ガスク卿 (12th Lord Murray, Balveny, and Gask)
    (1676年2月7日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)

歴代当主一覧[編集]

タリバーディン伯 ; 第1期 (1606年)[編集]

  • 初代タリバーディン伯ジョン・マレー (1550頃-1609)
  • 2代タリバーディン伯ウィリアム・マレー (1574頃–1626) (初代伯の長男)

タリバーディン伯 ; 第2期 (1628年)[編集]

  • 初代タリバーディン伯パトリック・マレー (1578–1644) (第1期初代タリバーディン伯の三男)
  • 2代タリバーディン伯ジェイムズ・マレー (1617–1670) (初代伯の長男)
  • 3代タリバーディン伯・2代アソル伯ジョン・マレー英語版 (1631–1703) (2代伯の従兄弟、1676年にアソル侯爵に叙される)

アソル伯 (1629年)[編集]

  • 初代アソル伯ジョン・マレー (-1642) (第1期2代タリバーディン伯の息子)
  • 2代アソル伯・3代タリバーディン伯ジョン・マレー英語版 (1631–1703) (1676年にアソル侯爵に叙される)

アソル侯 (1676年)[編集]

  • 初代アソル侯ジョン・マレー英語版 (1631–1703)
  • 2代アソル侯ジョン・マレー (1660–1724) (初代侯の長男。1703年にアソル公爵に叙される)

アソル公 (1703年)[編集]

系図[編集]

出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Earl of Tullibardine” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
  2. ^ Heraldic Media Limited. “Tullibardine, Earl of (S, 1606 - surrendered 1626)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
  3. ^ The Murray Clan Society of North America, Clan Murray History” (英語). [1]. 2017年10月29日閲覧。
  4. ^ Heraldic Media Limited. “Tullibardine, Earl of (S, 1628)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Marquess of Athole” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
  6. ^ Heraldic Media Limited. “Atholl, Marquess of (S, 1676)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 1st Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月15日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Atholl, Duke of (S, 1703)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
  9. ^ a b Heraldic Media Limited. “Strange, Baron (E, 1627/8)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年10月26日閲覧。
  10. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 496.
  11. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 448.
  12. ^ バグリー 1993, p. 242.
  13. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 4th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
  14. ^ Lundy, Darryl. “Lt.-Gen. Sir James Murray, 1st Baron Glenlyon” (英語). thepeerage.com. 2017年10月29日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 3rd Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
  16. ^ Lundy, Darryl. “John Murray, 4th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
  17. ^ Lundy, Darryl. “George Augustus Frederick John Murray, 6th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月22日閲覧。
  18. ^ Lundy, Darryl. “John George Stewart-Murray, 8th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月25日閲覧。
  19. ^ Our Patron - the Earl of Dunmore” (英語). Lodge Amalthea. 2015年9月25日閲覧。
  20. ^ Lundy, Darryl. “Bruce George Ronald Murray, 12th Duke of Atholl” (英語). thepeerage.com. 2015年9月17日閲覧。
  21. ^ UK Parliament. “Mr John Murray” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
  • バグリー, ジョン・ジョゼフ『ダービー伯爵の英国史』海保眞夫訳、平凡社、1993年。ISBN 978-4582474510。