アシュトン・カーター

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アシュトン・カーター
Ashton Carter
Ash Carter DOD Secretary Portrait.jpg
Ashton Carter
生年月日 (1954-09-24) 1954年9月24日(65歳)[1]
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of Philadelphia, Pennsylvania.svg ペンシルベニア州フィラデルフィア
出身校 イェール大学
オックスフォード大学
所属政党 アメリカ民主党
配偶者 ステファニー・カーター

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
25代目国防長官
在任期間 2015年2月17日 - 2017年1月20日
大統領 バラク・オバマ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
30代目国防副長官
在任期間 2011年10月6日 - 2013年12月3日
大統領 バラク・オバマ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国防次官(調達・技術・兵站担当)
在任期間 2009年4月27日 - 2011年10月5日
大統領 バラク・オバマ
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アシュトン・ボールドウィン・"アッシュ"・カーター英語: Ashton Baldwin "Ash" Carter、1954年9月24日から)はアメリカ合衆国の物理学者・政治家。25代目アメリカ合衆国国防長官。2009年4月27日から2011年10月5日までアメリカ国防次官(調達・技術・兵站担当)・2011年10月6日から2013年12月3日までは30代目アメリカ合衆国国防副長官を務めた。

経歴[編集]

1954年9月24日にアメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアに誕生する[1]。1976年にイェール大学物理学中世史を専攻して卒業後にローズ奨学金を得てイギリスのオックスフォード大学に留学し、1979年に理論物理学の博士号を取得して卒業した[1][2]。その後、ハーバード大学ケネディ行政大学院科学・国際関係ベルファー・センターのグレアム・アリソンによれば「科学技術が国際関係・国際問題の推進力になり、ときにはその解決策ともなりうる」ことを見出し、防衛政策などに興味をもつようになる[3]

1980年からは連邦議会技術評価局・1981年からはアメリカ合衆国国防長官府でアナリストの職に就く[1]。1982年から1984年まではマサチューセッツ工科大学CISのリサーチフェロー・その後1984年にハーバード大学ケネディ行政大学院科学・国際関係センター(現在のBelfer Center for Science and International Affairs)助教授となり、1986年には同センター准教授・1988年には教授に昇進。1990年には同センターの所長に就任した[1]

ビル・クリントン政権1期目の1993年から1996年までウィリアム・J・ペリー国防長官の時代にアメリカ合衆国国防次官補(国際安全保障政策担当)を務め[1]、特に1994年の第1次北朝鮮核危機ではその対応において中心的な役割を果たした[3]

政権から離れていた2006年にワシントン・ポスト紙にペリー元国防長官と共同で "If Necessary, Strike and Destroy (必要なら、攻撃し破壊せよ)"と題する論文を寄稿し、北朝鮮に対する先制攻撃論を主張した [4]

2009年4月27日から2011年10月5日までアメリカ国防次官(調達・技術・兵站担当)・2011年10月6日から2013年12月3日まではアメリカ合衆国国防副長官を務めた[1]。2014年12月5日にバラク・オバマ大統領によりアメリカ合衆国国防長官に指名され[5]、2015年2月17日にアメリカ議会での承認を経て正式に25代目アメリカ合衆国国防長官に就任した[6]

人物[編集]

ビル・クリントン政権での上司にあたるウィリアム・J・ペリー元国防長官はカーターについて、「タカ派とは言わないが、アメリカの力で何ができるかについてはかなり強気で人に讓らないところがあり、適切だと判断した場合はその力の行使も辞さないだろう」と述べている[3]

脚注[編集]

公職
先代:
ジョン・ヤング・ジュニア
アメリカ合衆国国防次官(AT&L担当)
2009年4月27日 - 2011年10月5日
次代:
フランク・ケンドール3世
先代:
ウィリアム・J・リン3世
アメリカ合衆国国防副長官
2011年10月6日 - 2013年12月3日
次代:
クリスティン・フォックス(代行)
先代:
チャック・ヘーゲル
アメリカ合衆国国防長官
2015年2月17日 - 2017年1月20日
次代:
ジェームズ・マティス