アブクマポーロ

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アブクマポーロ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1992年2月27日
クリスタルグリッターズ
バンシューウェー
母の父 ペール
生国 日本の旗 日本北海道門別町
生産 高澤俊雄
馬主 鑓水秋則
→(株)デルマークラブ
調教師 荒山徳一(大井
→鶴田憲吉(大井)
出川克己船橋
競走成績
生涯成績 32戦23勝
地方競馬30戦22勝)
中央競馬2戦1勝)
獲得賞金 8億2009万円
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アブクマポーロとは日本競走馬である。主戦騎手は荒山勝徳、石崎隆之。以下は旧年齢に従う。

1997年から1998年にかけ、NARグランプリの年度代表馬部門とサラブレッド系5歳上最優秀馬部門を2年連続で受賞。

経歴[編集]

1995年5月5日大井競馬場でデビュー戦を飾る。4歳時は8戦3勝、C1クラスの平凡な成績であった。10月のレース後に7か月の長期休養を挟み、5歳になってから復帰戦を勝った直後に、当時開業したばかりの出川克己厩舎に転厩した。

その後白星を重ね、6歳に入ると本格化。初の重賞挑戦となった大井記念で、負担重量52キログラムの軽量ながら2着馬に6馬身の差を付け、連勝記録を7まで伸ばした。続く帝王賞で連勝は止まったが、中央勢が優勢と見られていたなかコンサートボーイのクビ差2着に入り、地方馬のワンツーフィニッシュを決めた。その後サンタアニタトロフィーを勝つと、中央競馬のオールカマーに参戦。それまで芝のレースは未経験ながら単勝2番人気に推されたが9頭立ての8着に敗れ、以降は芝コースでは走っていない。グランドチャンピオン2000でコンサートボーイへの雪辱を果たしたあと(これ以降、コンサートボーイとの力関係は逆転する)ふたたび中央競馬に参戦、東海ウインターステークスで1番人気に応えて勝利。暮れの東京大賞典(当時距離2800メートル)でも1番人気に推されたが、長距離戦を得意としたトーヨーシアトルキョウトシチーに遅れを取り3着に敗れた。

7歳に入ると凄みを増し、川崎記念を皮切りに、ダイオライト記念マイルグランプリかしわ記念(当時GIII)、帝王賞、NTV盃(当時GIII)まで、いずれも1番人気での6連勝を飾る。とくにかしわ記念はコースレコード(1分35秒4)であり、どのレースも圧勝と言える内容だった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯でも断然の1番人気に推されたが、不良馬場で逃げたメイセイオペラを捕らえられず3着止まり。しかし連敗はせず、大井に戻ってグランドチャンピオン2000に優勝。このあと馬主がデルマークラブに変わり、臨んだ暮れの東京大賞典(この年から距離2000メートル)では単勝1.8倍の1番人気に支持され、レースでは、直線抜け出しにかかったメイセイオペラをインから一気にかわしてこれに2馬身半の差を付け南部杯の借りを返した[1]。ゴール後、及川暁は「アブクマポーロが昨年の忘れ物を取りに来ました」と実況した。

8歳を迎えても強さは衰えず、川崎記念、ダイオライト記念に勝利。しかし、ダイオライト記念後の3月26日に馬房で左後肢の飛節を捻挫してしまう[2]。休養後いったんは帰厩するも、復帰は叶わなかった。船橋競馬場で引退式が行われた。

引退後は種牡馬となるも、目立った成績を残せず、2005年に引退。その後は乗馬としてにいかっぷホロシリ乗馬クラブ所属を経て石狩市のオーフルホースコミューンで繋養されている[3]

アブクマポーロの保持する記録[編集]

1998年の年間獲得賞金額1位[編集]

アブクマポーロは、451,000,000円を1998年(6歳時)に稼ぎ出している。2位は443,659,000円を稼いだスペシャルウィーク。地方所属馬が年間獲得賞金額で1位となったのは、日本の競馬史上、ハツシバオーに続き2頭目である。

なお、1998年は9戦すべて地方競馬にて出走し、中央競馬での出走はなし。地方交流重賞7勝、南関東重賞1勝という成績を残している。

6歳以上馬としての年間獲得賞金額1位[編集]

アブクマポーロが1998年(6歳時)に稼いだ451,000,000円は、6歳以上馬としての年間獲得賞金額1位ともなっている。2位は441,464,000円を稼いだタップダンスシチー(2003年)。5歳以上馬として集計した場合は、473,360,000円を稼いだダイワメジャー(2006年)に次ぐ2位である。

1992年生世代での獲得賞金額1位[編集]

アブクマポーロが生涯に稼いだ820,090,000円は、1992年生まれ世代の獲得賞金額1位でもある。2位は810,390,000円を稼いだマヤノトップガン(GI4勝)。地方競馬所属で生年別の獲得賞金額が1位となったのは、日本の競馬史上、当馬のみである。

かつて保持していた記録[編集]

地方所属馬の中での生涯獲得賞金額1位[編集]

生涯で820,090,000円を稼ぎ、地方所属馬の中での生涯獲得賞金額1位であった[4]が、のちにフリオーソによって更新された。

エピソード[編集]

  • マイルチャンピオンシップ南部杯に出走するため盛岡競馬場に遠征した際、競馬場のロケーションが素晴らし過ぎて、馬が放牧と勘違いした、という逸話がある。
  • メイセイオペラとは、7歳時に GI で4戦して3勝1敗。対決時はアブクマポーロがいずれも1番人気であり、王者としてメイセイオペラに胸を貸す立場であった。
  • 彼の強さを称え、大井競馬場で同馬の資料展示が行われた際、漫画家のやまさき拓味により『優駿たちの蹄跡』特別版として、6ページ程度のエピソードが描かれ展示されていた。内容は、悪いことばかり続く中年のサラリーマンが、気まぐれに東京大賞典でアブクマポーロの単勝にサイフの中身全部を注ぎ込み、見事勝ったアブクマポーロが「親父さん頑張れッ、忘れ物を取りに来るのに年なんて関係ネェぜっ」とエールを贈る、というもの。ここ以外では見ることのできないエピソードである。
  • 南関東の交流重賞で現在古馬の GI (JpnI) に指定されている東京大賞典、帝王賞、川崎記念、かしわ記念(当時は交流 GIII)をすべて制しているのは現在のところアジュディミツオーとアブクマポーロの2頭となっている。1年間にすべて制したのはアブクマポーロのみである。
  • 年間重賞8勝、GI 3勝を達成した翌年、地方交流競走とはいえ年間 GI 3勝し、グルメフロンティアエムアイブランバトルラインといった中央の強豪をくだしていたにもかかわらず当時のJRA賞の選考には地方馬は対象になっておらず無冠に終わることが確実だった。1999年の週刊Gallop金杯号にて、東京大賞典の優勝写真が中面カラーページに掲載され、それを惜しむコメントがよせられた。

血統表[編集]

アブクマポーロ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブラッシンググルーム系

*クリスタルグリッターズ
Crystal Glitters
1980 鹿毛
父の父
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
Tales to Tell
1967 鹿毛
Donut King Determine
Strayed
Fleeting Doll Fleet Nasrullah
Fleet Nasrullah

バンシューウェー
1982 鹿毛
*ペール
1968 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
ポーロニアユミコ
1978 鹿毛
*プロント Prince Taj
La Caravelle
ミスオリオンの弐 *ヒンドスタン
ヒバナ
母系(F-No.) ウォーターミュージック系(FN:2-i) [§ 2]
5代内の近親交配 Nasrullah 4・5(父内) [§ 3]
出典
  1. ^ [5]
  2. ^ [6][5]
  3. ^ [5]
近親
祖母ポーロニアユミコの半姉ポーロニアオリオンの産駒にイナズマクロス(クイーンステークス)がいる[6]

脚注[編集]

  1. ^ 「Play-back the Grade-Races 1998 December 第44回東京大賞典(GI)」、『優駿』第59巻第2号、日本中央競馬会、1999年2月、 71頁。
  2. ^ 「北から南から今月のトピックス」、『優駿』第59巻第5号、日本中央競馬会、1999年5月、 126頁。
  3. ^ 引退名馬 - アブクマポーロ”. meiba.jp. 2014年8月24日閲覧。
  4. ^ 斎藤修. “アジュディミツオー引退、そして再出発のとき”. web Furlong 2009. 地方競馬全国協会. 2015年7月5日閲覧。
  5. ^ a b c 血統情報:5代血統表|アブクマポーロ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2016年7月16日閲覧。
  6. ^ a b 『優駿』1999年2月号、日本中央競馬会、151頁