アブラハム、マーティン・アンド・ジョン

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アブラハム、マーティン・アンド・ジョン
ディオンシングル
初出アルバム『Dion』
B面 ダディ・ローリン
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ニューヨーク、アレグロ・サウンド・スタジオ(1968年)
ジャンル フォークロック
時間
レーベル ローリー・レコード
作詞・作曲 ディック・ホラー
プロデュース フィル・ゲルンハルト[2]
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
ディオン シングル 年表
Two Ton Feather
(1966年)
アブラハム、マーティン・アンド・ジョン
(1968年)
パープル・ヘイズ
(1968年)
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アブラハム、マーティン・アンド・ジョン」(Abraham, Martin and John)は、ディオン1968年に発表した楽曲。エイブラハム・リンカーンマーティン・ルーサー・キング・ジュニアジョン・F・ケネディロバート・ケネディに向けた鎮魂歌であり、数多くのアーティストにカバーされた。

ディオンのバージョン[編集]

1968年4月4日マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが遊説活動中のテネシー州メンフィスで撃たれて死亡。同年6月5日ロバート・ケネディロサンゼルスアンバサダーホテルで撃たれ翌日に死亡。これを受けてソングライターのディック・ホラーは単独で本作品を書き上げた。なおホラーは1966年に全米チャート2位を記録したノベルティ・ソング「暁の空中戦(Snoopy vs. the Red Baron)」の作者として知られていた。

ヘロイン中毒から回復したばかりのディオンのカムバック作品として発表されることが決まり[3]、録音はニューヨークのアレグロ・サウンド・スタジオで行われた。シングルは9月に発売された[1]。B面は「ダディ・ローリン」。

同年12月14日から12月21日にかけてビルボード・Hot 100で2週連続4位を記録した[4][5]。ビルボードのイージーリスニング・チャートでは8位を記録し、ゴールドディスクに輝いた。カナダでは1位を記録した。

本作品の特徴としてディオンの控えめな歌い方、ジョン・アボットの斬新なアレンジが挙げられる。曲はオーボエヴァイオリンの演奏で始まり、ハープフリューゲルホルンが加わる。さらに電子オルガンの間奏があり、ディオン自身によるクラシック・ギターの演奏が花を添えている。

トム・クレイのバージョン[編集]

世界は愛を求めている / アブラハム、マーティン・アンド・ジョン
トム・クレイシングル
初出アルバム『What the World Needs Now Is Love』
B面 The Victors
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ポップスポークン・ワード
時間
レーベル モータウン
作詞・作曲 ハル・デヴィッド、バート・バカラック
ディック・ホラー
プロデュース トム・クレイ
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
トム・クレイ シングル 年表
世界は愛を求めている / アブラハム、マーティン・アンド・ジョン
(1965年)
Whatever Happened to Love
(1971年)
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ロサンゼルスのディスク・ジョッキーのトム・クレイは、本作品とジャッキー・デシャノンの「世界は愛を求めている」の演奏や語り(スポークン・ワード)、効果音などのコラージュで構成されたシングルを1971年に発表した。同年8月14日付のビルボード・Hot 100で8位を記録[6]。100万枚以上売れてゴールドディスクに輝いた[7]。歌はジーン・ペイジのアレンジをもとにセッション・レコーディング・グループのザ・ブラックベリーズが担当した[8]

冒頭でクレイが男の子にいくつかの質問を行う。次に軍隊の訓練の模様が流れ、ジョン・F・ケネディの暗殺事件の報道が流れる。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとロバート・ケネディの演説があり、ロバートが撃たれるとテッド・ケネディ追悼演説が流れる。最後に冒頭の会話がリピートされる。

その他のバージョン[編集]

アンディ・ウィリアムス(1969年)、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ(1969年)、ママ・マブリー(1969年)、ブラザース・フォア(1969年)、マーヴィン・ゲイ(1970年)、ハリー・ベラフォンテ(1970年)、レナード・ニモイ(1970年)、クリフ・リチャード(1970年)、レイ・チャールズ(1972年)[9]ケニー・ロジャース(1976年)らのカバー・バージョンがある。

またウィルソン・ピケットは1970年に「コール、クック・アンド・レディング」というタイトルでカバーしている(ナット・キング・コールは1965年に、サム・クックは1964年に、オーティス・レディングは1967年にこの世を去った)。

ボブ・ディランは1981年のコンサートで本作品を歌った。

脚注[編集]