アレクサンドル・コスモデミヤンスキー

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アレクサンドル・アナートリエヴィッチ・コスモデミヤンスキーロシア語: Александр Анатольевич Космодемьянский1925年7月27日 - 1945年4月13日)は、ソビエト連邦の軍人。親衛上級中尉。ソ連邦英雄(死後)。ソ連邦英雄の女性パルチザンゾーヤの弟。愛称はシューラ

経歴[編集]

タンボフ州ガヴリロフスキー地区オシノ・ガイ村出身。1930年、一家はモスクワに転居し、10年制学校を卒業した。姉がドイツ兵により処刑された時、アレクサンドルは16歳だった。この知らせを聞いて、姉と仲が良かったアレクサンドルはショックを受け、前線を志願した。しかし、年齢を理由に一旦却下され、1942年4月になって初めて軍に召集された。1943年、ウリヤノフスク戦車学校を卒業。

1943年10月から前線に立ち、西部戦線で戦った。コスモデミヤンスキー中尉は、10月21日、KV戦車の搭乗員として初陣を飾った。彼の戦車の砲塔には、「ゾーヤのために」(ロシア語: За Зоюとマーキングされていた。この戦闘で、10の壕、数門の火砲、自走砲1両、中隊規模の敵を殲滅した。その後、白ロシアとバルトの解放、東プロイセンの防衛線突破、ケーニヒスベルク要塞突入に参加した。

1945年4月6日、第350親衛重自走砲連隊(第3白ロシア戦線第43軍)の自走砲車長コスモデミヤンスキー上級中尉は、ケーニヒスベルクのランドグラベン運河を渡河して、敵の砲兵、弾薬庫を殲滅した。その後、味方の架橋と戦車・自走砲の渡河を火力支援しつた。この功績により、コスモデミニヤンスキーはSU-152中隊長に任命された。4月8日、彼の中隊は、ケーニヒスベルク北西部で戦い、「ルイーザ女王」要塞に突入し、その守備隊を降伏させた。

4月13日、フィルブルデンクルーグ村での戦闘で、コスモデミヤンスキーの中隊は、対戦車砲4門、中隊規模の敵を殲滅したが、彼の搭乗車はドイツ兵により炎上させられてしまった。彼は自走砲から脱出して、歩兵と共に村に突入した。この時、敵砲弾の破片がコスモデミヤンスキーに当たり、彼は死亡した。

1945年6月29日、アレクサンドル・コスモデミヤンスキーにソ連邦英雄の称号が授与された。

顕彰[編集]

モスクワのノヴォデヴィッチ墓地に姉と並んで埋葬。

カリーニングラードには、彼の胸像が設置された。カリーニングラード-バルチースク道の14kmの地点には、記念碑が建てられた。彼の名前は、カリーニングラード郊外の町、小惑星(1977)シューラに付けられた。モスクワのゾーヤとアレクサンドル・コスモデミヤンスキー通りには、石碑が建てられた。

パーソナル[編集]

姉のゾーヤ(1923年 - 1941年11月29日)は、女性パルチザンで、女性初のソ連邦英雄となった。

ソ連邦英雄。レーニン勲章、一等及び二等祖国戦争勲章を受賞。部隊の永久隊員に列せられた。