アンナ・フォン・ティロル

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アンナ・フォン・ティロル
神聖ローマ皇后
Frans Pourbus d. J. 002.jpg
アンナ・フォン・ティロル

出生 1585年10月4日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国インスブルック
死去 1618年12月14日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ウィーン
配偶者 マティアス
家名 ハプスブルク家
父親 フェルディナント2世
母親 アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ
宗教 キリスト教カトリック教会
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アンナ・フォン・ティロルドイツ語: Anna von Tirol, 1585年10月4日インスブルック - 1618年12月14日ウィーン)は、神聖ローマ皇帝マティアスの皇后。

生涯[編集]

インスブルックで生まれた。父はオーストリア大公フェルディナント2世(皇帝フェルディナント1世アンナ・ヤギエロの二男)、母は2番目の妻アンナ・カテリーナ・ゴンザーガマントヴァ公グリエルモ1世エレオノーレ・フォン・エスターライヒの娘)。両親は伯父と姪の間柄である。1611年に従兄マティアス(当時はハンガリーおよびボヘミア)と結婚し、ハンガリー王妃・ボヘミア王妃になった。1612年、夫の皇帝即位とともに皇后となった。

1618年、夫より3ヶ月ほど先にウィーンで死去した。2人の間に子はなかった。カプツィーナー納骨堂に葬られている。