アンバール

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座標: 北緯33度22分43秒 東経43度42分57秒 / 北緯33.37861度 東経43.71583度 / 33.37861; 43.71583

アンバール
الأنبار
アンバールの位置(イラク内)
アンバール
アンバール
アンバールの位置
座標: 北緯33度25分11秒 東経43度18分45秒 / 北緯33.41972度 東経43.31250度 / 33.41972; 43.31250
イラク
アンバール県

アンバールالأنبار、al-Anbār)は、イラクに存在した都市ユーフラテス川の東岸に位置し、ファルージャの北西6kmの地点にアンバールの遺跡が存在する[1]

歴史[編集]

アンバールは元来「勝利のシャープール」を意味する「ペーローズ・シャープール(Pērōz Šāpūr/Pērōz Šābuhr)」「フィールーズ・サーブール(Firūz Sābār)」の名前で呼ばれ、ギリシャ・ローマ世界ではピリサボラ(Pirisabora)の名前で知られていた。町は350年頃にサーサーン朝ペルシアのシャープール2世によって建設され、アソリスタン州に区画される。363年4月、ペルシアに侵入したローマ皇帝ユリアヌスによってペーローズ・シャープールは破壊・略奪されるが[2]、まもなく町は被害から復興する[3]

5世紀からペーローズ・シャープールはアッシリア東方教会の中心地となり、司教座聖堂が置かれた。486年から1074年までの間に就任した司教のうち14人の名前が知られており、うち3人が総主教に昇進した[4]

やがて町はキリスト教徒ユダヤ人の避難先となり、657年に預言者ムハンマドの従兄弟アリーによって90,000人のてペーローズ・シャープールのユダヤ教徒が捕虜にされたと言われている[3]。中世アラブ世界の史料によると、町の住民の大部分はペーローズ・シャープールから北に移動し、モースル南の都市Hdattaに移住したと伝えられる[5]ヒジュラ暦12年(633年/4年)、イスラームの武将ハーリド・イブン・アル=ワリードに征服されたペーローズ・シャープールはアラブ勢力の支配下に入り[6]、「穀倉」を意味する「アンバール」の名前で呼ばれるようになる[1]。新たな町の名前はペーローズ・シャープールにペルシア人の穀物庫が置かれていたことに由来し、蓄えられた食糧はラフム朝によって利用されていた[7]。アラブの征服後、アンバールのディフカーン(地主)はクーファ総督サアド・イブン・アビー・ワッカースに運河の開削を願い出、サアド運河、マフドード運河、シャイラー運河が開通する[8]

752年アッバース朝の創始者サッファーフはアンバールの上流2.5kmの地点にホラーサーン出身の兵士の駐屯地となる都市を建設し、自らもこの都市に居住する[9]バグダードが完成する762年まで、アンバールは首都の地位を保ち続けた。927年に起きたカルマット派のアブー・ターヒルの反乱の後アンバールは衰退に向かうが[1]、アッバース朝期を通して重要な都市であり続けた[3]

今日ではアンバールは完全に放棄されて大部分が廃墟となっているが、かつての町の重要性をうかがい知ることができる[3]。かつては商業が盛んな農産物の集散地として機能し、イラクとシリアを結ぶ交通の要所となっていた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 嶋田「アンバール」『アジア歴史事典』1巻、146-147頁
  2. ^ G. W. Bowersock, Julian the Apostate, (Harvard University Press, 1978), 112.
  3. ^ a b c d 1911 Encyclopædia Britannica/Anbar
  4. ^ Michel Lequien, Oriens christianus in quatuor Patriarchatus digestus, Paris 1740, Vol. II, coll. 1171-1174
  5. ^ Lewis, Bernard (1986). “Ḥadīt̲a”. In Hertzfeld, E. Encyclopaedia of Islam. 3 (Second ed.). BRILL. pp. 29. ISBN 9789004081185. http://books.google.com/books?id=d9JSXwAACAAJ 2012年10月12日閲覧。. 
  6. ^ バラーズリー『諸国征服史』1(花田宇秋訳, イスラーム原典叢書, 岩波書店, 2012年4月)、430頁
  7. ^ バラーズリー『諸国征服史』2、74頁
  8. ^ バラーズリー『諸国征服史』2、135頁
  9. ^ バラーズリー『諸国征服史』2、161,442頁

参考文献[編集]

  • 嶋田襄平「アンバール」『アジア歴史事典』1巻収録(平凡社, 1959年)
  • バラーズリー『諸国征服史』2(花田宇秋訳, イスラーム原典叢書, 岩波書店, 2013年1月)