イスラム王朝

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イスラム王朝(イスラムおうちょう、: Muslim Dynasties)とは、ムスリム(イスラム教徒)の皇帝や国王が支配する国家の総称である。ムハンマドの指導によりムスリムたちがイスラム教の教えの下に結束して、アラビア地域をはじめとする西アジア周辺のオリエント全域にアラブ人たちが興した国が最初で、分裂したり、新たに建国されたり、征服活動や貿易活動などにより、やがてさまざまな地域のアラブ人以外の人種にもイスラム教が伝播し、北アフリカ東アフリカ西アフリカ中央アジアトルキスタン)、スペインインドマレーシアインドネシアにもイスラム王朝が誕生した。それぞれの王朝ごとに1人の君主を置き君主制を敷いている。

現在もムスリムが支配する王朝が存在している。ただし君主国が自国名を王朝名で名乗らないことがほとんどで、例外がサウジアラビア(サウード王家のアラビア国)である。

イスラム帝国[編集]

「王朝」は基本的には血族養子縁組による世襲君主制の君主の系列を指す(ただし厳密ではない)が、かつて、ムハンマドの死後に立てられた唯一のカリフの元に、ほとんどのムスリムを結集して8世紀に最大規模となったイスラム王朝の勢力と領土があり、その後に衰退して滅亡した王朝をイスラム帝国(またはヨーロッパから見てサラセン帝国)と呼称している。

イスラム帝国は、4代のうち3代のカリフが暗殺されて30年弱で終焉した正統カリフ時代と、後にシーア派と呼ばれる一部のムスリムの分裂を招いたまま約90年間の統治が続いたウマイヤ朝時代とを経て、アッバース革命によりそれまで従属民としていたペルシア人が影響力を増したアッバース朝時代では、8世紀までに中東地域を中心とした最大勢力を築いた。この時代にはにも大食の呼称で知られていた。ヨーロッパは帝国を脅威としながらも交易を通じて交流し、特に南アジア東南アジアについての見識を深めることなった。だが、帝国は次第に内紛によってカリフの権威が失墜、多くのムスリムの離反を招き、帝国に属さないイスラム王朝が勃興した。王朝は13世紀に台頭したモンゴルによって滅ぼされた。以来、このイスラム帝国を上回る規模で統一されたイスラム王朝は現れていない。

西アジア周辺ではイスラム教による厳格な律法が支配し、異教徒に対する団結とジハードが徹底して行われ、逆にムスリム同士及び服従した属領との間であれば寛容な政策が行われることがほぼ共通していた。そのため、ユーラシア大陸のほぼ中央を支配していた地の利も幸いして文物の交流が空前の規模で行われ、イスラムの諸帝国は世界の他の地域に比べ抜きんでた発展を遂げた。これはキリスト教文化に対峙するほどのイスラム教文化が世界の広い地域に広がり、深刻な対立となる一方で、その技術や科学、思想は異教世界にも広がり、ヨーロッパのルネッサンスやインドのシク教などのきっかけともなった。

イスラム王朝一覧[編集]

中欧、東欧・西アジア・中央アジア(トルキスタン)[編集]

北アフリカ・スペイン[編集]

西アフリカ[編集]

東アフリカ[編集]

南アジア(インド)[編集]

東南アジア(マレーシア・インドネシア)[編集]

脚注[編集]

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