イナリワン

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イナリワン
Masato shibata.jpg
イナリワンと柴田政人(1990年4月29日)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1984年5月7日
死没 2016年2月7日(32歳没)
ミルジョージ
テイトヤシマ
母の父 ラークスパー
生国 日本の旗 日本北海道門別町
生産 山本実儀[1]
馬主 保手浜弘規
調教師 福永二三雄大井
鈴木清美浦北[1]
厩務員 五関保利(美浦)
競走成績
生涯成績 25戦12勝[1]
地方競馬14戦9勝)[1]
中央競馬11戦3勝)
獲得賞金 5億932万6000円
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イナリワン1984年5月7日 - 2016年2月7日)とは、日本競走馬種牡馬である。

公営大井競馬所属時に東京王冠賞東京大賞典に優勝、1989年に中央競馬へ移籍したあとにGI競走で3勝を挙げ、同年のJRA賞年度代表馬[1]および最優秀5歳以上牡馬に選出された。1980年代後半に勃興した第二次競馬ブーム期において、オグリキャップスーパークリークとともに「平成三強」と称された[1]

馬齢は、2000年以前に適用されていた旧表記(数え年)で記述する。

経歴[編集]

1984年、北海道門別町の山本牧場に生まれる。幼駒の頃から小柄な体躯であったが、強靭なバネを持つ馬であった[2]。2歳時に大井競馬場所属調教師・福永二三雄[注 1]に見初められ、福永の勧めで保手浜忠弘が購買(名義は保手浜弘規)、その所有馬とされた。その後、千葉県の和光育成牧場で調教が積まれたのち、競走年齢の3歳に達した1986年6月、福永の元に入厩した。

戦績[編集]

大井競馬時代[編集]

12月9日、大井競馬場の3歳新馬戦でデビュー。宮浦正行を背に、2着に4馬身差を付けて初戦勝利を挙げる。続いて翌年の正月競馬に登録を行ったが、競走当日、ゲートに頭を強打し、前頭骨打撲で出走を取り消す。大事を取ってそのまま休養に入り、春の目標とした羽田盃東京ダービーの断念を余儀なくされた。5月に復帰、緒戦の条件戦を2馬身差で勝利すると、以後連勝を重ねる。秋には南関東三冠の最終戦・東京王冠賞に出走、チャンピオンスターに1馬身差を付けて優勝し、重賞初制覇を果たした。年末には船橋競馬場の新設重賞・東京湾カップに勝利。8連勝でシーズンを終えた。

翌1988年、緒戦の金盃は苦手の重馬場となり[注 2]、3着と初の敗戦を喫する。続く帝王賞も当日の降雨で重馬場となり、7着と大敗。その後態勢を立て直すために休養、8月に関東盃で復帰するも、三度の重馬場で5着に終わった。これを受けて再び休養。復帰後の東京記念は3着、笠松に遠征して臨んだ全日本サラブレッドカップでは、当時東海地方の最強馬であったフェートノーザンの2着と、復調を見せた。

保手浜はイナリワンを「芝コースに向く馬」と考え、年末のグランプリ競走・東京大賞典勝利の場合、中央競馬へ移籍する計画が立てられた。迎えた東京大賞典は良馬場となり、アラナスモンタを半馬身抑えて勝利を収める。これにより中央競馬への移籍が正式に決定し、翌1月には美浦トレーニングセンター鈴木清に移った。以後も福永はアドバイザーとしてイナリワンへの関与を継続する[3]

中央競馬時代[編集]

中央移籍後は、まず春の天皇賞を目標に関西に入った。しかし環境の変化に適応できず馬体が細化し、注目を集めた初戦・すばるステークスは4着。続く阪神大賞典スルーオダイナに進路を塞がれる不利もあり、5着に終わった[注 3]。次走に天皇賞を迎えるに当たり、陣営は移籍後二走に見られた掛かり癖[注 4]を是正するため、癖馬の騎乗に評価の高かった武豊を鞍上に迎えた[4]。体調も戻して迎えた天皇賞(春)当日は4番人気の評価であったが、武の手綱で落ち着いたレース運びを見せる。最後の直線では後続馬を突き放し、5馬身差の圧勝。走破タイム3分18秒8というコースレコードで、移籍後初勝利を天皇賞で挙げた。表彰式ではイナリワンの左右で鈴木と福永が共に轡を取り、優勝レイは福永に贈られた[5]。続く宝塚記念では安田記念優勝馬フレッシュボイスをクビ差で退け、GI競走2勝という成績で春のシーズンを終えた。

休養を経て、秋は東京競馬場毎日王冠から始動。同日開催の京都大賞典で、武が主戦騎手を務めていたスーパークリークが故障休養から復帰。武が同馬への騎乗を選択したため、本競走から柴田政人を鞍上に迎えた。当日は稍重の馬場であったが、「怪物」オグリキャップと直線一杯に競り合い、ハナ差の2着。敗れたものの、その競走内容は史上の名勝負と称えられた[6]

しかし、この競走の反動から再び体調を崩し[7]、次走の天皇賞(秋)は6着、評価を大きく落としたジャパンカップは11着と精彩を欠いた。しかし徐々に体調を戻し、年末に迎えた有馬記念では、レース最後の直線で武騎乗のスーパークリークをゴール寸前で交わし、2度目のコースレコードとなる2分31秒7で優勝。宝塚記念と合わせ、スピードシンボリ以来29年振りの春秋グランプリ連覇を達成した。この年、GI競走3勝の実績が評価され、翌1月には当年の年度代表馬に選出された。

翌1990年も競走生活を続行したが、緒戦の阪神大賞典は62kgの斤量を背負い5着、天皇賞(春)はスーパークリークとの競り合いに敗れ2着、宝塚記念は荒れた馬場に脚を取られ、4着に終わった。休養後、秋の再起を目指して調整が進められるも、脚部不安を生じてレース出走は叶わず、そのまま引退。有馬記念当日の12月23日、中山競馬場引退式が執り行われた。

引退後[編集]

引退後は種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された。共に「平成三強」と呼ばれたオグリキャップ、スーパークリークと同年の種牡馬入りであったが、サンデーサイレンスをはじめとする輸入種牡馬の前に、両馬ともども大きな成功を収めることはできなかった。しかし、福永厩舎に入った初年度産駒ツキフクオーが、東京王冠賞親子制覇など大井で活躍。ほかイナリコンコルド(大井記念東京記念など)、シグナスヒーロー(日経賞2着[注 5]など)といった活躍馬も輩出し、「三強」の中では最も目立った成績を残した。

2004年を限りに種牡馬から引退し、以後は門別町のポニーファームで功労馬として過ごす。2007年には大井で「里帰り」イベントが開催され、東京大賞典以来20年振りに大井競馬場を訪れた[注 6]。翌2008年6月22日には、北広島市の乗馬施設ホースフィールドワッツで行われたイベント「第5回ワッツワンダフルワールド!」に参加。その後繋養先が何度か移転し、2010年7月には茨城県北茨城市のオールドウェスト乗馬クラブで繋養されていると報じられた[8]。2014年12月からは功労馬繋養展示事業の助成を受け、北海道占冠村のあるぷすペンションで過ごした。 2016年2月7日に馬齢32歳で死亡した[9]

特徴・エピソード[編集]

日常生活から蹴癖があり、対策として馬房の壁にが貼られる[10]など、非常に気性が激しい馬だった。こうした気性から、コースで走る際には極めて強い掛かり癖を見せた[注 7]。武豊が調教で初騎乗した際には、武が手綱をがっしりと抑えながら、これを無視して全速力で2周を走り、「レースでも御し切れないのでは」という不安を抱かせている[4]。小柄ながら力も非常に強く、後年武は、数々の騎乗馬の内で「一番気の強い馬」「一番パワーのあった馬」として本馬の名を挙げている[11]

一方、騎手との呼吸が合った時に見せる能力は素晴らしかったとされ、武は「良くも悪くも、凄まじい推進力を持った馬でしたね。軽くてコンパクトなボディーに、超ハイパワーのエンジンを積んでいた、という感じ」と評し[12]、柴田政人は「体全体を使うフォームで、体の小ささを感じさせなかった」と述べ、自身が騎乗した内の最強馬に挙げている[13]。また、イナリワンの調教を行った調教助手の堤敏夫は、騎乗した時の印象について「キャンターに入るまでの感触はガクンガクンとしてあまり良くないが、加速してからの乗り味はすごくいい」と述べている[14]

東京大賞典、東京王冠賞を勝利という実績を掲げて中央入りし、 GIを3勝し年度代表馬にまでなった名馬であったが 中央での11戦において単勝オッズ1番人気には一度もならなかった。

なお、武騎乗で天皇賞(春)と宝塚記念を連勝した際、馬主の保手浜はその功に報いるため、武がかねて希望していた渡米を実現させ、現地で自身の所有馬に騎乗させた。これ以降、武は毎年のアメリカ遠征が叶うようになり、「イナリワンは僕に幸運をプレゼントしてくれた馬だった」との謝辞を送っている[15]

全成績[編集]

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 3F 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1986 12. 9 大井 3歳新馬 9 1 1着 1000m(良) 1:03.2 4身 宮浦正行 53 (シャレーセデス)
1987 1. 2 大井 151万下 8 取消 ダ1400m(良) 宮浦正行 54.5 チャンピオンスター
5. 20 大井 155万下 8 1 1着 ダ1500m(良) 1:37.2 2身 宮浦正行 54 (エスペラント)
6. 14 大井 360万下 10 1 1着 ダ1600m(良) 1:45.4 1身 宮浦正行 54 (ミスターシュウ)
6. 28 大井 ライラック特別 12 1 1着 ダ1600m(良) 1:44.1 1身 宮浦正行 54 (リンドマシーン)
8. 21 大井 りんどう特別 10 4 1着 ダ1600m(良) 1:43.2 2 1/2身 宮浦正行 55 (ニュータカラヒ)
9. 23 大井 トゥインクルエイジ 8 1 1着 ダ1700m(良) 1:50.0 1 1/2身 宮浦正行 54 (ハナキリュウ)
11. 11 大井 東京王冠賞 10 1 1着 ダ2600m(良) 2:52.7 1身 宮浦正行 57 (チャンピオンスター)
12. 28 船橋 東京湾C 10 1 1着 ダ2000m(良) 2:10.4 アタマ 宮浦正行 57 (マルケンアキーラ)
1988 3. 3 大井 金盃 11 2 3着 ダ2000m(重) 2:06.8 1.0秒 宮浦正行 54.5 チャンピオンスター
4. 13 大井 帝王賞 14 2 7着 ダ2000m(重) 2:08.2 1.2秒 宮浦正行 56 チャンピオンスター
8. 10 大井 関東盃 10 4 5着 ダ1600m(重) 1:40.9 1.5秒 宮浦正行 54 イーグルシャトー
11. 2 大井 東京記念 10 3 3着 ダ2400m(良) 2:36.2 0.3秒 宮浦正行 54 ダッシュホウショウ
11. 23 笠松 全日本サラブレッドC 10 3 2着 ダ2500m(良) 2:50.1 0.3秒 宮浦正行 56 フェートノーザン
12. 29 大井 東京大賞典 12 3 1着 ダ3000m(良) 3:17.3 1/2身 宮浦正行 56 (アラナスモンタ)
1989 2. 11 京都 すばるステークス 9 2 4着 芝2000m(重) 2:02.8 (35.9) 0.1秒 小島太 58 チュニカオー
3. 12 阪神 阪神大賞典 GII 11 2 5着 芝3000m(良) 3:07.7 (35.8) 0.3秒 小島太 57 ナムラモノノフ
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 18 4 1着 芝3200m(良) R3:18.8 (36.0) 5身 武豊 58 (ミスターシクレノン)
6. 11 阪神 宝塚記念 GI 16 2 1着 芝2200m(良) 2:14.0 (37.1) クビ 武豊 56 フレッシュボイス
10. 8 東京 毎日王冠 GII 8 3 2着 芝1800m(稍) 1:46.7 (34.7) 0.0秒 柴田政人 59 オグリキャップ
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 14 4 6着 芝2000m(良) 1:59.8 (34.9) 0.7秒 柴田政人 58 スーパークリーク
11. 26 東京 ジャパンC GI 15 8 11着 芝2400m(良) 2:23.8 (37.0) 1.6秒 柴田政人 57 ホーリックス
12. 24 中山 有馬記念 GI 16 4 1着 芝2500m(良) R2:31.7 (35.8) ハナ 柴田政人 56 (スーパークリーク)
1990 3. 11 阪神 阪神大賞典 GII 6 2 5着 芝3000m(良) 3:11.3 (37.4) 1.2秒 柴田政人 62 オースミシャダイ
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 12 3 2着 芝3200m(良) 3:22.0 (35.9) 0.1秒 柴田政人 58 スーパークリーク
6. 10 阪神 宝塚記念 GI 10 2 4着 芝2200m(良) 2:15.1 (37.3) 1.1秒 柴田政人 56 オサイチジョージ

主な産駒[編集]

血統表[編集]

イナリワン血統ミルリーフ系/Nasrullah4.5×4=15.62%) (血統表の出典)

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ
Matatina
Grey Sovereign
Zanzara

テイトヤシマ
1970 鹿毛
*ラークスパー
Larkspur
1959 栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Skylarking Precipitation
Woodlark
母の母
ヤシマジェット
1960 鹿毛
*ソロナウェー
Solonaway
Solferino
Anyway
ヤシマニシキ *セフト
神正 F-No.5-h

父ミルジョージは地方から中央まで幅広く活躍馬を輩出。イナリワンが年度代表馬を受賞した1989年には、全日本リーディングサイアーを獲得している。母テイトヤシマは仔出しが悪く、イナリワンの出産を最後に繁殖から用途変更となった。直近の近親に活躍馬はいないが、四代母・神正の子(三代母ヤシマニシキの全弟)に二冠馬ボストニアン、子孫にイナリワンと同時期に活躍したバンブーメモリーがいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中央競馬調教師・福永甲の弟、中央競馬騎手顕彰者福永洋一の兄。
  2. ^ イナリワンは、走法的に水を含んだコースではバランスを崩し、まともに走れなかった。(『日本名馬物語』p.209)
  3. ^ スルーオダイナは2位に入線したが失格、騎手の岡部幸雄は騎乗停止となった。(『夢はターフを駆けめぐる5』 p.157)
  4. ^ 馬が騎手の指示に従わず、ペース配分ができないこと。
  5. ^ 本競走の1着は最低人気のテンジンショウグンで、7番人気のシグナスヒーローとあわせ記録的な大波乱となった。
  6. ^ 12月28日開催。当初は8月18日に開催の予定だったが、同時期に関東で馬インフルエンザが流行したため、感染防止・防疫の観点から競馬開催中止に伴いこの里帰りも一度は中止となったが、ファン有志が代替イベントの開催を希望したため、4か月延期という形で開催となった。
  7. ^ 武豊は、イナリワンは激しすぎる気性から折り合いを欠くため、スタート直後から道中常になだめながら乗る必要があると述べている(渡瀬 1992、p333-334)

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 馬を讃える | 日高町 競馬観光ご案内サイト”. 日高町. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ 『日本名馬物語』 pp.207-208
  3. ^ 『夢はターフを駆けめぐる5』 p.156
  4. ^ a b 島田 (1997) p.29
  5. ^ 『日本名馬物語』pp.211-212
  6. ^ 『日本名馬物語』 pp.212-213
  7. ^ 『日本名馬物語』 p.213
  8. ^ 名馬「イナリワン」 北茨城で幸せな余生 茨城新聞2010年7月31日
  9. ^ 引退名馬 - イナリワン2016年4月3日閲覧
  10. ^ 渡瀬 (1992) p.354
  11. ^ 島田 (2007) pp.277-278
  12. ^ 島田(1997) p.33
  13. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.23
  14. ^ 渡瀬 (1992) p.352
  15. ^ 島田 (1997) p.34

参考文献[編集]

  • 渡瀬夏彦『銀の夢 - オグリキャップに賭けた人々』(講談社、1992年)ISBN 4062052822
  • 光栄出版部・編『夢はターフを駆けめぐる5 - 地方出身馬の根性!』(光栄、1994年)ISBN 4877191550
  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)ISBN 4087831094
  • 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル - 名馬編』(廣済堂出版、2007年)ISBN 4331654117
  • サラブレ編集部・編『日本名馬物語 - 甦る80年代の熱き伝説』(講談社、2007年)ISBN 4062810964
  • 『Sports Graphic Number PLUS - 競馬黄金の蹄跡』(文藝春秋、1999年)ISBN 4160081088