イングランドの典礼カウンティ

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典礼カウンティ: ceremonial counties of England)は地方長官Lord Lieutenant)が任命されるイングランドの地域区分で、イングランドの都市および非都市カウンティmetropolitan and non-metropolitan counties of England)を基準に政府が定める。地理的参照体系としても用いられるため「地理カウンティ」といわれることもある[1]

歴史[編集]

「典礼カウンティ」という用語自体は1990年代から用いられているが、地方行政目的のカウンティとは別に、地方長官の任命に用いられるカウンティという概念はそれ以前からあった。カウンティ・コーポレート(county corporate)の中には上位のカウンテイとは別に地方長官が任命されていた(ただししばしば併任)ところもあったし、ヨークシャーの3ライディングは17世紀から地方長官任命上は3つのカウンティとして扱われてきた。

1888年の地方行政法によりカウンティ・カウンシル(county council)が新設され、それまで四季裁判所が担ってきたカウンティでの行政機能を引き継いだ。この法律により、カウンティ・バラを除く全てのカウンティ、ならびに伝統的に用いられてきたカウンティ内の小区分のいくつかが実体としての行政カウンティとなった。この法律はさらに、行政カウンティの一部をなす全ての地域が全ての目的のカウンティの一部であると定めていた。従来との最大の相違は、新設されたロンドン・カウンティが行政カウンティであると同時にこの法律の意味でのカウンティであり、伝統的カウンティであるミドルセックスケントサリーの一部を包含していたことである。他の相異点は市街衛生ディストリクト(urban sanitary district、後の市街ディストリクト(urban district)および自治バラ(municipal borough))がカウンティ境界をまたぐことはできないという制約による瑣末なものであった。

地域に再分割されていた地域は、ヨークシャーを除いて単一の典礼カウンティとして残った。たとえば、イーストサフォーク、ウェストサフォークの両カウンティは、イプスウィッチカウンティ・バラとともに、サフォーク典礼カウンティを構成すべしとされた。また、ワイト島行政カウンティはハンプシャー典礼カウンティの一部とされた。

これらの地域にとって「典礼カウンティ」という語は時代錯誤であった。地形測量局(Ordnance Survey)発行の地図でこれらの地域は当時すでに「カウンティ」または「地理カウンティ」と表示されていたし、1888年の地方行政法でも単に「カウンティ」として参照されていたからである。

境界の小修正(たとえば、オックスフォードシャーの町カヴァーシャム(Caversham)が1911年レディングカウンティ・バラの一部、したがってバークシャーの一部となった)を別にすれば、1965年グレーター・ロンドンとハンティンドン・アンド・ピーターバラが設置されるにともないミドルセックス長官(Lord Lieutenant of Middlesex)、ロンドンカウンティ長官(Lord Lieutenant of the County of London)、ハンティンドンシャー長官(Lord Lieutenant of Huntingdonshire)が廃止され、グレーターロンドン長官(Lord Lieutenant of Greater London)、ハンティンドン・アンド・ピーターバラ長官(Lord Lieutenant of Huntingdon and Peterborough)が置かれるまでほとんど変更はなかった。 1974年に行政カウンティとカウンティ・バラが廃止される大変革が行われ、地方長官の任命には新設された都市および非都市カウンティmetropolitan and non-metropolitan counties)をそのまま用いることとされた。

1990年代の地方行政改革の結果、エイヴォン、クリーヴランド、ヘレフォード・アンド・ウスター(Hereford and Worcester)、ハンバーサイド(Humberside)が廃止された。これにより、地方行政カウンティと典礼カウンティないし地方長官任命に用いられる地理カウンティの区別が復活し、法律そのものには現れないものの、法律の施行以前庶民院で使われていた[2]「典礼カウンティ」という語が採用された。

エイヴォンのほとんどはグロスターシャーサマセットに編入され、ブリストルはカウンティとしての地位を取り戻した。クリーヴランドはノースヨークシャーとダーラム州に、ヘレフォード・アンド・ウスターはヘレフォードシャーウスターシャーに、それぞれ分割された。ハンバーサイドの一部は新典礼カウンティであるイースト・ライディング・オブ・ヨークシャーに、残りの部分はリンカンシャーに編入された。同時に、ラトランドが典礼カウンティとして復活した。カウンティ・バラの多くが「単一自治体」として復活した。

したがって、典礼カウンティのほとんどは地方行政区域の集合体となっており、1889年から1974年の間と同様の状況である。伝統的な地方行政ロビーグループであるアソシエーション・オブ・ブリティッシュ・カウンティズ(Association of British Counties)は、典礼カウンティは古来の境界に復するか、それに近いものとすることが現実的だと主張している。

地図[編集]

シティ・オブ・ロンドンは示さず

定義[編集]

1997年の地方長官法は「典礼カウンティ」を1972年の地方行政法で創設された地方行政区域を用いて定義している。 別表 1の2—5節は以下の通り定義している:

1890年の地方長官エリア[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • ウィリアム・ハンプトン著 / 君村昌監訳『地方自治と都市政治』敬文堂、1996年(原書1991年) 382頁 ISBN 4767000165
  • 下條美智彦『イギリスの行政』早稲田大学出版部、1995年 246頁 ISBN 4657959360
  • 高寄昇三『現代イギリスの地方自治』勁草書房、1996年 204頁 ISBN 4326301058
  • 山田光矢『パリッシュ―イングランドの地域自治組織(準自治体)の歴史と実態』北樹出版、2004年 172頁 ISBN 4893849425

関連項目[編集]