イートン (駆逐艦)

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USS Eaton (DDE-510) following collision with USS Wisconsin (BB-64) on 6 May 1956.jpg
艦歴
発注
起工
進水 1942年9月20日
就役 1942年12月4日
退役
除籍 1969年7月2日
その後 1970年3月27日に標的艦として海没処分
性能諸元
排水量 2,050 トン
全長 376 ft 6 in (115 m)
全幅 39 ft 4 in (12 m)
吃水 17 ft 9 in (5 m)
機関 2軸推進、蒸気タービン方式60,000 shp (45 MW)
最大速力 35.5ノット (66 km/h)
乗員 士官、兵員321名
兵装 38口径5インチ砲 5基
ボフォース 40mm連装機関砲 5基
エリコン 20mm単装機関砲 7門
21インチ 5連装魚雷発射管 2基
爆雷軌条 2軌、爆雷投射機 6基

イートン (USS Eaton, DD-510) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の1隻。艦名は第一次バーバリ戦争に参戦した将軍ウィリアム・イートン(William Eaton)に因む。

艦歴[編集]

イートンはメイン州バスバス鉄工所で建造され、1942年9月20日にメアリー・イートン・フィリップス夫人(ウィリアム・イートン将軍の曾曾孫)によって命名、進水した。1942年12月4日に艦長E・L・ベック少佐の指揮下就役する。

第二次世界大戦[編集]

1943年2月6日にメイン州カスコ湾を出航し、太平洋での任務に就く。イートンは3月7日にニューヘブリディーズ諸島のエファテ島に到着し、第12巡洋艦戦隊と共にソロモン諸島との間の偵察任務に従事する。加えてエスピリトゥサント、ヌーメアからガダルカナルへ向けての船団護衛任務を行う。

1944年5月22日、米軍は呂41が5月24日にトラックを出港し、カロリン諸島クサイ島への輸送任務を行うことを暗号解読により察知したため、イートンはマジュロを出港してクサイに向かった。その後護衛駆逐艦グレイナー英語版(USS Greiner, DE-37)、サンダース英語版(USS Sanders, DE-40)が合流して哨戒を行い、6月6日には護衛駆逐艦スティーレ英語版(USS Steele, DE-8)が合流するが、呂41を見つけることはできなかった。


イートンは1946年2月8日にニューヨークに到着し、翌月サウスカロライナ州チャールストンに向けて出航、1946年6月21日に予備役となる。

戦後[編集]

イートンは1951年1月2日に DDE-510 (対潜駆逐艦)へ艦種変更された。12月11日に再就役し、1952年5月29日にバージニア州ノーフォークで第22護衛分艦隊に合流する。再就役後はカリブ海で活動を行い、1953年の夏には海軍兵学校生を乗せ2度の巡航を行う。1度目はイギリスフランスイタリアを訪れ、2度目はハリファックスノバスコシアを訪れた。1954年4月28日にデリー沖で行われるNATOの演習に参加するため出航する。その後はドイツベルギーデンマーク、イギリス、フランス各国の港を親善訪問し、続いて地中海の第6艦隊に合流、演習に参加した。帰路の途中で SS Mormackite の生存者4名を救助し、イートンは10月10日にノーフォークに到着した。

1956年5月6日、濃霧のチェサピーク湾においてイートンは戦艦ウィスコンシン (USS Wisconsin, BB-64) と衝突する。この事故で両艦とも大きく損傷し、イートンのバーリー艦長は軍法会議でその責任を問われた。

イートンは1957年3月18日から7月26日にかけてアフリカへの巡航を行い、アゾレス諸島経由でフリータウンサイモンズタウンモンバサアデンマッサワを訪問した。5月の大半は紅海で作戦活動に従事し、その後スエズ運河を通過し地中海の港を経由し、ノーフォークへ向かう。秋にはイギリス海域とカナダを訪れ、その後は1960年まで大西洋およびカリブ海での活動を行った。

イートンは第二次世界大戦の戦功で11個の従軍星章を受章した。