ウドゥス・ブカ

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ウドゥス・ブカ(Udus Buqa,モンゴル語: Удусбуха,中国語: 兀都思不花,? - ?)とは、モンゴル帝国第八代皇帝ブヤント・カーン(仁宗アユルバルワダ)の庶子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では安王兀都思不花と記される。兄弟にはゲゲーン・カーン(英宗シデバラ)がいる。

概要[編集]

ウドゥス・ブカの生母について史書に記載はないが、『元史』卷106后妃表に記されるダルマシリ(答里麻失里)皇后ではないかと推測されている。『元史』卷107宗室世系表には仁宗皇帝(アユルバルワダ)の息子で、英宗皇帝の弟であると記されている[1]

ウドゥス・ブカの名が史書に初めて表れるのはクルク・カーン(武宗カイシャン)即位直後の時で、越王トレとともに錠を下賜されたことが記録されている[2]。越王トレはアユルバルワダのブルガン・ハトゥンに対するクーデターに協力した人物で、間接的にカイシャン即位に寄与したことから論功行賞として「越王」号の授与や下賜が行われていた。このため、ウドゥス・ブカもまた父アユルバルワダのクーデターに参加しており、その褒賞として下賜を受けたのではないかと推測されている[3]

クルク・カーンが亡くなり、父アユルバルワダがブヤント・カーンとして即位すると、延祐二年(1315年)にウドゥス・ブカは最高ランクの「安王」に封ぜられ、獣紐金印を与えられた[4]。この翌年、ブヤント・カーンは息子のシデバラを皇太子とするのに邪魔な甥のコシラを謀殺しようとして逃げられ、コシラは大元ウルスと対立していたチャガタイ・ウルスに迎え入れられた。これによって大元ウルス西北の情勢が悪化したため、ウドゥス・ブカは北方カラコルムに出鎮することとなった。このため、延祐四年(1317年)には軍糧の支給を受けている[5]

このようなウドゥス・ブカの働きに対して、延祐五年(1318年)には湖州路がウドゥス・ブカの分地として与えられた[6]。同年にはブヤント・カーンより多くの下賜を受けている[7][8]

延祐七年(1320年)にブヤント・カーンが亡くなり、兄弟のシデバラがゲゲーン・カーンとして即位した。しかしゲゲーン・カーンはウドゥス・ブカを冷遇し、即位直後にウドゥス・ブカを最高ランクの「安王」から「順陽王」に降格した[9]。さらにその数ヶ月後にはウドゥス・ブカの屋敷に臣下を派遣して財物を持ち出させている[10]

この後史書にウドゥス・ブカ(兀都思不花)に関する記述はなくなるが、ゲゲーン・カーンの治世末期に登場する「兀魯思不花」がウドゥス・ブカと同一人物ではないかとする説がある[11]。「兀魯思不花」はオルク・テムルらとともにゲゲーン・カーンを暗殺した集団に属しており、兄弟に冷遇された恨みからカーン暗殺に協力するに至ったのではないかと推測されている。ウドゥス・ブカの最期については不明瞭であり、『元史』卷108諸王表には「順陽王」に降格された後、殺されたとのみ記されている。 「兀魯思不花」はイェスン・テムルにより流刑とされており、流刑地で殺害されたものと見られる[12]

脚注[編集]

  1. ^ 『新元史』や『蒙兀児史記』では英宗本紀冒頭の「臣幼無能、且有兄在、宜立兄、以臣輔之」というシデバラの言葉を基にウドゥス・ブカが庶長子であると記しているが、杉山正明はここで言う「兄」とは実際には従兄弟のコシラを指すものであると指摘している(杉山1995,121-122頁)
  2. ^ 『元史』巻22,「[大徳十一年秋七月]乙亥……賜越王禿剌鈔万錠、諸王兀都思不花所部三万五千二百二十錠」
  3. ^ 野口1986,75頁
  4. ^ 『元史』卷108,「安王:兀都思不花、延祐二年封、七年降封順陽王、尋被殺」
  5. ^ 『元史』巻26,「[延祐四年]夏四月戊戌、給安王兀都思不花部軍糧三月」
  6. ^ 『元史』巻26,「[延祐五年三月]戊寅、以湖州路為安王兀都思不花分地、其戸数視衛王阿木哥」
  7. ^ 『元史』巻26,「[延祐五年五月]丁卯、賜安王兀都思不花金五百両・銀五千両」
  8. ^ 『元史』巻26,「[延祐五年五月]丁巳、賜安王兀都思不花等金束帯及金二百両・銀一千五十両・鈔二千二百錠・幣帛二百八十匹」
  9. ^ 『元史』巻27,「[延祐七年秋七月]丙申……降封安王兀都不花為順陽王」
  10. ^ 『元史』巻27,「[延祐七年十一月]庚辰……遣定住等括順陽王兀都思不花邸財物、入章佩監・中政院」
  11. ^ 「兀魯思不花」をモンケの息子ウルス・ブカとする説もあるが、その場合ウルス・ブカの寿命が不自然に長くなるため何らかの誤記ではないかと推測されている(村岡2013,108頁)
  12. ^ 村岡2013,109頁

参考文献[編集]

  • 杉山正明「大元ウルスの三大王国 : カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大学文学部研究紀要』34号、1995年
  • 野口周一「元代後半期の王号授与について」『史学』56号、1986年
  • 村岡倫「モンケ・カアンの後裔たちとカラコルム」『モンゴル国現存モンゴル帝国・元朝碑文の研究』大阪国際大学、2013年
  • 新元史』巻114列伝11
  • 蒙兀児史記』巻77列伝59