エチオピアの国家元首の一覧

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エチオピアの国家元首の一覧(エチオピアのこっかげんしゅのいちらん)はエチオピア歴代政体における元首の一覧である。政体によって国名及び役職名は異なる。

エチオピア帝国皇帝(王)[編集]

エチオピア帝国皇帝は、「ネグサ・ナガスト(諸王の王)」と呼ばれるが時代によって君主の権威に応じ「ネグス」(王)、もしくは「ラス」(諸侯、文字通りには「頭」)と呼ばれていた。

ザグウェ朝[編集]

  • マラ・テクレ・ハイマノート(皇帝)
  • タタディム(王)
  • Jan Seyum(王)
  • Germa Seyum(王)
  • Yemrehana Krestos(王)
  • Kedus Harbe(王)
  • ゲブレ・マスケル・ラリベラ(王)
  • ナクト・レアブ(王)
  • ヤットバラク(王、1189年 - 1229年
  • (マイラリ)(王)
  • (ハルバイ)(王)

ソロモン朝[編集]

後期ソロモン朝[編集]

諸侯たちの時代(王子たちの時代・審判の時代)。ゴンダールの皇帝が名目上のものとなり、各地の諸侯が覇権を競った時代。有力な諸侯によって皇帝は度々すげ替えられたり、立てられたりした。

テオドロス朝[編集]

ザグウェ朝(近代)[編集]

ザグウェ朝の末裔であるギヨルギス2世が皇帝位にあった期間もまたザグウェ朝と呼ばれる。

ティグレ朝[編集]

ソロモン朝(近代)[編集]

サヴォイア朝(東アフリカ帝国)[編集]

ソロモン朝(戦後)[編集]

  • ハイレ・セラシエ1世1941年5月5日 - 1974年9月12日
    1941年にエチオピア解放を受けて帰国。1974年、軍部のクーデタにより廃位、1975年8月27日に殺害される。
  • アスファ・ウォッセン英語版(1974年9月12日 - 1975年3月12日)
    ハイレ・セラシエ1世の皇太子。デルグ政権(アマン・アンドム政権)によって皇帝に指名されたものの実効性はなく、かつ、アスファ・ウォッセン自身も父ハイレ・セラシエ1世の退位と自らの皇帝即位を認めていなかった。1975年の帝政崩壊後にはアメリカのニューヨーク州に亡命し、1989年には改めて皇帝アムハ・セラシエ1世を自称したが、1997年にバージニア州で死去した。

帝政廃止後[編集]

関連項目[編集]