エビデンスベイスド

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エビデンスベイストEvidence-based)とは、近代科学における理念の一つで、実験データや症例など具体的な証例(Evidence)に基づく理論や議論の構築をいう。

エビデンスに基づく医療を、根拠に基づく医療(evidence-based medicine, EBM)と言う。

日常生活に密接なところでいえば、医学、とくに精神医学において語られるときに議論の対象となりやすい。医療現場では本末転倒してエビデンスがアリバイとして利用されるゆえに、本来の医療が行なわれない例もあり、この理念に対する批判も多い[要出典]

歴史[編集]

理念の概要[編集]

批判[編集]

理念優先から生じる弊害[編集]

もともとエビデンスベイスドの理念とは、数々のエビデンスを収集し、そこから特定の理論を演繹するものであるが、研究機関によっては仮説に過ぎないものを強引に理論に仕立て上げてしまうことを以って、「理論を証明した」ことにするために、エビデンスを収集するところがある。つまり、順序が逆になっているわけである。

言い換えれば、「科学(医学)するための科学(医学)」ではあるが、「人間のための科学」にならない場合である。

分かりやすい例として、いま仮に、特定の手術法でマスメディアなどに有名な病院があるとする。その手術法が、患者にとって最善の治療法ではないにもかかわらず、その病院としては「エビデンスベイスド」な発表をするために、あたかも手術法が患者にとっても最善であるかのような説明を行い、患者の同意書(インフォームド・コンセント)も得て、その手術を行なう。 患者が、自己治癒力も含めて、他にどんな闘病や施術を行なったか否かにかかわらず、これで患者が改善に向かえば、これはその商業主義的な病院にとって宣伝材料になるわけであり、近代科学の理念にのっとって正当に発表できる症例、すなわちエビデンスとなるわけである。

近代科学に貢献するはずだったエビデンスベイスドの理念は、あまりにもそれを原理原則として寄りかかってしまうと、かえって本質を見失うもとになったりしている。上記の例では、実際には科学にも患者にも貢献していない状態となる。そういう観点からのエビデンスベイスド批判というものが存在する。

象徴的概念を包括しえない点[編集]

エビデンスベイスドの理念に従えば、象徴作用というものを考慮に入れないために、エビデンスの示せない抽象的な理論などはすべて却下されてしまう。(平たく言えば、「モノとしては示せないが、考えてみればわかること」が考慮の対象とされない。)

たとえばに代表されるような精神分析学の諸概念のように、エビデンスとしては出しにくいが実際には万人があると感じる現象や概念を、さらにそれが臨床などの現場で有効に作用する場合でも、それを「エビデンスベイスドではない」といえば捨象せざるをえなくなる。

これではエビデンスベイスドという理念そのものが、現実的でなく、実用性からも乖離していて、ひいては科学の可能性を狭めてしまうものである、という批判である。

現状[編集]

現状においては、科学的な内容を発表する際の最重要理念の一つとなっている。

参考文献[編集]

  • 古川壽亮.『エビデンス精神医療:EBPの基礎から臨床まで』 医学書院. 2000年