エルト・エ・カッソ

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エルト・エ・カッソ
Erto e Casso
エルト・エ・カッソの風景
ヴァイオント湖
行政
イタリアの旗 イタリア
フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の旗 フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア
Blank.png ポルデノーネ
CAP(郵便番号) 33080
市外局番 0427
ISTATコード 093019
識別コード D426
分離集落 Casso, Erto
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 389 [1](2011-01-01)
人口密度 7.4 人/km2
文化
住民の呼称 ertani
守護聖人 聖バルトロメオ
(San Bartolomeo)
祝祭日  
地理
座標 北緯46度17分0秒 東経12度22分0秒 / 北緯46.28333度 東経12.36667度 / 46.28333; 12.36667座標: 北緯46度17分0秒 東経12度22分0秒 / 北緯46.28333度 東経12.36667度 / 46.28333; 12.36667
標高 775 (610 - 2668)[2] m
面積 52.3 [3] km2
エルト・エ・カッソの位置(イタリア内)
エルト・エ・カッソ
エルト・エ・カッソの位置
ポルデノーネ県におけるコムーネの領域
ポルデノーネ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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エルト・エ・カッソイタリア語: Erto e Casso)は、イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州ポルデノーネ県にある、人口約400人の基礎自治体コムーネ)である。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ポルデノーネ県の西北部、ヴァイオント谷 (it:Valle del Vajontに位置する。ベッルーノから北東へ約20km、県都ポルデノーネから北北西へ約41km、州都トリエステから北西へ約129kmの距離にある。

フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の最西端であり、コムーネ西側の山々はヴェネト州との境界となっている。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。BLはベッルーノ県(ヴェネト州)所属。

地勢[編集]

ヴァイオント谷を形成するヴァイオント川 (it:Vajont (torrente)は、狭い峡谷を経て西のピアーヴェ川に注いでおり、この峡谷を堰きとめてヴァイオント・ダムが作られていた。ヴァイオント湖はダム湖の名残りである。谷は標高2000mを越える高山に囲まれており、東西に走る国道SS251が、東にサントズヴァルド峠(Passo di Sant'Osvaldo、827m)を越えてチモラーイス、西にピアーヴェ川沿いのロンガローネとを結んでいる。

主要な集落[編集]

エルト・エ・カッソのコムーネはその名の通り、東部にあるエルトErto)と、西部にあるカッソCasso)という2つの分離集落(フラツィオーネ)からなる。二つの地区の中心集落はいずれもヴァイオント川の北側にあり、村の役場はエルトに置かれている。

エルトとカッソでは使われる言葉にも違いがあり、東のエルトではラディン語の方言が、西のカッソではベッルーノと同じヴェネト語の方言が話されていた。エルトは、現地エルトの方言では Nerto と呼ばれていた。カッソは、現地のカッソ方言では Cas と呼ばれるが、エルトの方言では Sciàs などの名で呼ばれ、古くは Chias などとも記録された[4]

歴史[編集]

近代まで[編集]

エルトにはローマ時代から人が暮らすようになったのが文書で確認でき、8世紀にはセスト・アル・レーゲナの領域に含まれた。カッソの集落ができたのはそれよりも新しく、11世紀のことである。

1950年代まで、この地の産業は伝統的な農業と、ささやかな交易によって成り立っていた。

ヴァイオント・ダム災害[編集]

1950年代の終わり、アドリア電力会社(SADE) (it:Società Adriatica di Elettricitàが、カッソの集落の下に巨大ダムを建設し、ヴァイオント谷を貯水池とする事業を行った。1960年、世界最大の高さ(堤高262m)を持つヴァイオント・ダムが竣工した。しかし、ダムの完成後しばしば地滑りが発生した。

1963年10月9日、集落の対岸にあるトック山 (it:Monte Tocが大規模な地滑りを起こし、ダム湖に発生した津波が周辺の町や村を襲った。これにより、コムーネのダム湖南岸にあったピネダ(Pineda)、プラダ(Prada)、北岸にあったスペッセ(Spesse)、サン・マルティーノ(San Martino)などといった集落が破壊され、中心集落であるエルトとカッソの一部も打撃を受けた。ヴァイオントダム災害は、全体で2000人以上の犠牲が出たが、エルト・エ・カッソのコムーネは、347人の犠牲者を出した。

再建[編集]

災害発生後3日以内に、この村の人々は安全のために避難をし、ヴァイオント谷は3年間無人の谷となった。

この間、一部の村人はマニアーゴに定住した。ヴァイオント谷の人々が移り住んだこの地区は、1971年にヴァイオントという独立のコムーネになった。

残る人々は、避難から3年後、村への立ち入りが禁止されていたにもかかわらず帰還し、エルトとカッソの集落を復興した。1976年には、国家モニュメント(Monumento nazionale)として指定された。近年は "EcoMuseo Vajont: continuità di vita" を謳い、エコツーリズムの拠点となっている。

ジロ・デ・イタリア 2013では、ヴァイオントダムの事故から50周年を記念し、第11ステージのゴールにエルト・エ・カッソを、翌日の第12ステージのスタートにロンガローネを組み込んだ。

社会[編集]

人口[編集]

人口推移[編集]

人口推移
人口±%
1871726—    
1881796+9.6%
1901882+10.8%
19111,002+13.6%
19211,021+1.9%
19311,006−1.5%
1936868−13.7%
1951967+11.4%
1961842−12.9%
1971748−11.2%
1981556−25.7%
1991405−27.2%
2001424+4.7%
2011387−8.7%

居住地区別人口[編集]

国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[2]

地区名 標高 人口 備考
ERTO E CASSO 610/2668 424
CASSO 950 35
ERTO * 830 341
Case Sparse - 48
Lago del Vajont 723 - 人造湖
Monte Borgà 1400/2228 - 非居住の山地
Monte Duranno 1600/2668 - 非居住の山地
Monte Toc 1100/1938 - 非居住の山地
Vajont 725/2460 - 非居住の山地
  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

交通[編集]

道路[編集]

国道

脚注[編集]

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関連項目[編集]