エルンスト・ベーリング

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エルンスト・ルートヴィヒ・ベーリングErnst Ludwig Beling, ベーリンクとも。1866年6月19日 - 1932年5月18日)はドイツの刑法学者。グローガウ生、ミュンヘン没。1912年11月にヴュルテンベルク王冠勲章ドイツ語版英語版の叙勲を受け貴族に列し[注釈 1]、以降エルンスト・ルートヴィヒ・フォン・ベーリングErnst Ludwig von Beling)とも呼ばれるが、本人は生涯を通してこの称号を用いなかった[1]

ベーリングは犯罪: Straftat/ドイツ法下での説明)を「構成要件: Tatbestand)に該当し、かつ違法有責な行為」と定義した。以降ドイツ法下の刑法学はこの三分説を基礎とし、とりわけ刑法総論において、「構成要件該当性」(: Tatbestandsmäßigkeit)、「違法性」(: Rechtswidrigkeit)、「有責性ドイツ語版英語版」(: Schuld)を主題としている[2]

経歴[編集]

ベーリングは1866年、シュレージエンのグローガウに生まれた。当時彼の父親は裁判官であった。母親はゲルリッツの法曹一家の出身で、郡地方[注釈 2]裁判所判事[注釈 3]であるパウル(Paul)の娘である。1885年、ベーリングはライプツィヒ大学に入学し、法学を学び始めた。同大学在学中は、「ブルシェンシャフト・ノルマンニア・ライプツィヒ」("Burschenschaft Normannia Leipzig")に加入していた[3]。彼はライプツィヒにて、カール・ビンディング英語版ドイツ語版の影響により刑法("Strafrecht")に興味を持った。この時のことについてベーリング自身はこう記している、「刑法学者になったならば、それは親譲りということだろう。」[4]1886年ブレスラウ大学に移籍、そこで3ゼメスターの間学究に努めたのち、「司法行政修習ドイツ語版英語版試験」("Referendarprüfung")を受験、また1890年博士号("Promotion")を授与された。1893年1月14日、ベルリンにて国家試験に合格した[5]。ベーリングは司法修習期間中に教授資格論文の執筆にも取り組み[注釈 4]1893年5月15日からはブレスラウ大学に私講師("Privatdozent")[注釈 5]として採用され、刑法刑事訴訟法("Strafprozeß")、民事訴訟法("Zivilprozeß")、国際法("Völkerrecht")を専門とし教鞭を振るった[6]1897年、同大学にて彼はアルフレート・シュルッツェ(Alfred Schultze)の後継として、刑法、刑事訴訟法、国際法、国際私法国際刑事法("internationales Privat- und Strafrecht")、法学基礎の各講座の員外教授[注釈 5][注釈 6]の地位を与えられ、更に1898年7月2日、ハンス・ベネッケドイツ語版が亡くなった後の推挙を受けて、晴れて正教授[注釈 5][注釈 7]の地位に就いた[7]

1900年、彼は5ゼメスター間のみギーセン大学の教授職に就いた。1902年の秋頃には、テュービンゲン大学からの招聘を受けた。1903年1月15日、著名な講座として名高い彼の就任講義("Antrittsvorlesung")„Die Beweisverbote als Grenze der Wahrheitsforschung im Strafprozess.“(「刑事訴訟における真理探究に対する限界としての証拠禁止[注釈 8]について」)を同大学にて開催した。テュービンゲン大学ではまた、『犯罪論』(„Die Lehre vom Verbrechen“)[注釈 9]という著作を残しており、彼と幾人かがこの著書の執筆を通じて、刑法学における体系的な基礎概念である構成要件の枠組みを構築した。1912年から13年に渡って、ベーリングはテュービンゲン大学の学長の職[注釈 10]に就いた。1913年の夏季ゼメスター期間からはミュンヘン大学に移り、1932年に死去するまで同学で教鞭を振るった。

次のような彼の言葉が残されている。

我々の心に正義の理想が熱くなればなるほど、我々は益々、その理想主義が思案もされず漠然とした熱狂のあぶくと消えることなく、熱い思いの余りに、この社会の司法の制度の認識を誤ったものに導いて行かないよう慎重に目を凝らしていなくてはならないのである。
ベーリング、1924年。[8]

著作(一部)[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ドイツの貴族英語版ドイツ語版の叙任については記事「貴族叙任ドイツ語版」を参照。
  2. ^ クライス英語版ドイツ語版("Kreis")
  3. ^ "Kreisgerichtsrat".
  4. ^ "Habilitation英語版ドイツ語版".
  5. ^ a b c 講師(Dozent)制度英語版ドイツ語版、ドイツ・オーストリアの大学教員採用制度ドイツ語版などを参照。
  6. ^ "Extraordinariat".
  7. ^ "Ordinarius".
  8. ^ "Beweisverbot". これに対し証拠能力を持つと認められるものは、認定可能な証拠英語版ドイツ語版証拠原因
  9. ^ 既に著作権の保護期間を満了しており、次のURLからEPUBなどの各種電子書籍用データが無償で取得可。
    "Die Lehre vom Verbrechen", Beling, Ernst, 1866-1932 : Free Download & Streaming. by Internet Archive.
    紙媒体では次のものがあり。ISBN 9781421241623 .
  10. ^ "Rektor英語版ドイツ語版".

出典[編集]

  1. ^ Elsener, Ferdinand (1977) (ドイツ語). Lebensbilder zur Geschichte der Tübinger Juristenfakultät. Universität Tübingen, Franz Steiner Verlag. pp. 125. ISBN 9783169397426. "Der König von Württemberg verlich Beling im November 1912 das Ehrenkreuz des Ordens der württembergischen Krone und damit den persönlichen Adel. Entsprechend seiner schlichten und bescheidenen Art hat Beling hiervon jedoch keinen Gebrauch gemacht." 
  2. ^ Krey, Volker (2008) (ドイツ語). Deutsches Strafrecht Allgemeiner Teil: Band 1: Grundlagen, Tatbestandsmäßigkeit, Rechtswidrigkeit, Schuld. DEU: Kohlhammer Verlagドイツ語版. pp. 80-82. ISBN 9783170204737. "Eine Straftat, d.h. ein Verbrechen oder Vergehen, ist also ein tatbestandsmäßiges, rechtswidriges und schuldhaftes Verhalten.
    Diese Dreiteilung geht auf den deutschen Strafrechtswissenschaftler Beling zurück; doch ist sein Verständnis des Tatbestandes als rein objektive und wertfreie Deliktstufe seit langem überholt.[...]
    Funktion der Deliktsstufe >>Tatbestandsmäßigkeit<< [...] >>Rechtswidrigkeit<< [...] >>Schuld<< [...]"
     
  3. ^ Ernst Elsheimer (Hrsg.): Verzeichnis der Alten Burschenschafter nach dem Stande vom Wintersemester 1927/28. Frankfurt am Main 1928, S. 28.
  4. ^ Planitz, Hans; Die Rechtswissenschaft der Gegenwart in Selbstdarstellungen, p. 5(以下"Planitz"と略す。)原文:
    „Wenn ich Kriminalist geworden bin, so hat mich Binding dazu gemacht.“
  5. ^ "große Staatsprüfungドイツ語版英語版". Planitz., p. 7
  6. ^ Planitz., p. 8
  7. ^ Planitz., p. 9
  8. ^ 翻訳は以下の原文より(引用元: Planitz., p. 24)。
    „Aber je mehr das Gerechtigkeitsideal in unserer Seele glüht, um so mehr müssen wir uns überwachen, nicht nur, daß es in unbesonnener unklarer Schwarmgeisterei zerfließe, sondern auch, daß nicht des Herzens heißer Drang die Erkenntnis des irdischen Rechtswesens, wie es ist, fälsche.“
    Beling, 1924
  9. ^ 西山富夫「わが国における刑法思想の発展と不能犯 (PDF) 」 、『法政研究(Journal of Law and Politics)』、九州大学法政学会、1954年3月20日、 12-13頁。“
    更に「構成要件の理論」(一九三〇)では、該当性に代うるに類型性を以て犯罪概念要素とするに至り、既逐も未逐も類型的な点で共通なものとなり、構成要件をその指導形象と為すに至った。かくて、(中略)犯罪は類型化された違法・有責な行為と定義することにより既逐未逐を共通に包含するに至つた。”

    (注: 頁はPDFのページ番号)

関連項目[編集]