エンタープライズ (CVN-65)

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エンタープライズ
USS Enterprise (CVN-65) underway in the Atlantic Ocean on 14 June 2004 (040614-N-0119G-020).jpg
基本情報
建造所 ニューポート・ニューズ造船所
運用者  アメリカ海軍
艦種 航空母艦原子力空母
級名 エンタープライズ級航空母艦
前級 キティホーク級
次級 ニミッツ級
愛称 Big E;
Mobile Chernobyl;
Three-Quarter Mile Island
モットー Ready on Arrival;
The First, the Finest;
Eight Reactors, None Faster
艦歴
発注 1957年11月15日
起工 1958年2月4日
進水 1960年9月24日
就役 1961年11月25日
退役 2012年12月1日
その後 2020年現在ニューポート・ニューズ造船所にて解体中
要目([1][2]
軽荷排水量 71,277→73,502トン
基準排水量 75,700トン
満載排水量 89,084→89,600トン
全長 342.3 m
水線長 317.1 m
最大幅 77.7 m
水線幅 40.5 m
吃水 11.3 m
機関 ウェスティングハウスA2W加圧水型原子炉×8基
主機 蒸気タービン
推進 スクリュープロペラ×4軸
出力 280,000hps(210 MW)
速力 最大33.6ノット
乗員 4,600名
兵装
搭載機 84機
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エンタープライズUSS Enterprise, CVAN/CVN-65[注 1])は、アメリカ海軍航空母艦[2]。世界初の原子力空母であり[3][1]、アメリカ海軍の戦闘艦船として最長の就役年数を持ち、半世紀にわたって同海軍の象徴となっていた[4]バージニア州ノーフォークにあるノーフォーク海軍基地を母港とした[5]

エンタープライズの名を冠する艦としては8隻目であり、先代のエンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) と同じく「ビッグE」の愛称で呼ばれた。同型艦の建造も検討されたものの、高コストのために実現しなかった。

来歴[編集]

超大型空母の誕生[編集]

第二次世界大戦後の核戦争時代の到来を受け、アメリカ海軍は空軍戦略航空軍団への対抗もあり、核兵器の運用能力を有する大型艦上攻撃機を運用可能な超大型空母 (Supercarrierの保有を志向した[6]

1948年度計画での「ユナイテッド・ステーツ」(基準排水量66,400トン)は空軍などの反対や予算の制約などにより挫折したものの、朝鮮戦争空母航空団の存在意義が再確認されたこともあり、1952年度計画よりフォレスタル級(基準排水量59,900トン)の建造が開始され、計4隻が建造された[6]

初期の試みと挫折[編集]

一方、「ユナイテッド・ステーツ」の検討過程の1946年より、航空母艦の原子力推進化が検討されはじめており、1952年度で建造予定だった同型艦では原子力推進化が期待されたものの、これは実現しなかった[3]。その後、1950年8月、海軍作戦部長(CNO)フォレスト・シャーマン大将は艦船局(BuShips)に対し、空母の原子力推進化に関するフィジビリティスタディを指示した[3]

1951年には空母用原子炉の正式な要件定義が作成された。この時点で、海軍は既に潜水艦用原子炉(後に「ノーチラス」に搭載されるS2Wの原型機)を開発していたものの、まもなく、空母のためには全く異なる設計が必要になることが判明し、予算の見積もりは高騰し始めた。海軍部内では、燃料の搭載余地が多い空母よりは、潜水艦や駆逐艦の原子力推進化のほうが優先するとの意見も強く、アイゼンハワー大統領は国防費削減を重視しており、そして原子力空母計画の後援者だったシャーマン提督は1951年に死去していた。この結果、原子力委員会(AEC)1953年に空母用原子炉の計画を中止した[3]

原子力空母の復活[編集]

AECによって原子炉の開発計画が中止されたあとでも、海軍部内では、原子力空母に関する検討は継続されていた。1954年5月、艦艇用原子炉の開発を統括していたハイマン・G・リッコーヴァー少将は、攻撃潜水艦から航空母艦まで5種類の舶用原子炉の試作計画を提案して、今回はAECの承認を得ることができた。1955年末までには、空母用試作炉としてA1Wの計画が作成されており[3]、これは1958年より運転を開始した[7]

一方、これらの原子炉を搭載する原子力空母そのものについては、まず1953年に小型の原子力空母(CVAN 4/53)の設計が検討されたのち、1954年2月16日の艦船局の覚書に基づいて、SCB-160計画が作成された。予備設計は1956年9月に完了し、1958年度計画での建造が承認された。これが本艦である[3]

設計[編集]

船体[編集]

上記の経緯により、本艦は原子力空母として開発されたが、当時の技術で開発できる原子力推進機関の性能によって船体のサイズは制約されており、計画段階では、小型の船体も検討された。しかし結局、無理な小型化は運用効率を大きく損なうことが判明して[3]、基本的には先行するキティホーク級を原子力推進化した設計となった[8]。一方で、水中防御の必要から、本来必要な量より多い液体貨物を搭載することになり、艦内容積を圧迫した[1]。なお随伴する艦艇に行動用燃料を補給することもできる[9]

原子力推進化によって煙路が不要となり、またレーダーのための電子走査アレイアンテナを設置する必要から、艦橋構造物は独特な形状となった[8]

機関[編集]

本艦では、原子炉としてA2Wを8基搭載した。これはウェスティングハウス・エレクトリック社の加圧水型原子炉[7]核燃料としては高濃縮ウラン(最大93%)を使用する[10]。上記のA1Wを元にした実用機であり、また本艦に先駆けて世界初の原子力水上艦として竣工したミサイル巡洋艦ロングビーチに搭載されたC1Wとも共通の設計を採用していることから、ロングビーチの搭載機は実質的に本艦のものの洋上試験を兼ねていた[3]

熱交換器32基を備えており、蒸気タービンによってスクリュープロペラ4軸を駆動する[1]電源出力としては、主発電機が計40,000キロワット(2,500キロワット×16基[11])、非常用のディーゼル発電機が計8,000キロワット確保されている[9]

能力[編集]

航空運用機能[編集]

発着艦設備[編集]

飛行甲板(1978年)

全通飛行甲板は長さ331.6メートル×幅76.8メートルで[2]、面積としては20,000平方メートル以上となる[9]。設計段階では、艦橋構造物(アイランド)を中央に配置して、両側に飛行甲板を設けることも検討されたが、結局は従来どおりのアングルド・デッキの配置となった[3]

カタパルトとしては、295フィート (90 m)長のC-13 mod.1が4基設置されており、艦首甲板上に2基、アングルド・デッキ上に2基が配置された[2]。一方、着艦帯は237.7メートル長で[9]アレスティング・ギアはMk.7-3とされているが[11]、本艦では光学着艦装置が導入されたことで、アレスティング・ワイヤーは、従来の6本から5本に削減することができた[3]。また後に着艦精度が向上し、更に4本に削減されている[9]

なお、竣工当初はブライドルを使用して発進する艦上機が多かったことから、艦首甲板に2基とアングルド・デッキに1基のブライドル・リトリーバーが設置されていた。その後、ブライドルの使用頻度の低下を受けて、1964年の第1回燃料棒交換の際にアングルド・デッキ側のリトリーバーは撤去されたが、「世界最大(最長)の空母」の称号を維持するためか、艦首側のリトリーバーは最後まで撤去されなかった[8]

格納・補給[編集]

格納庫は223×29メートルで[11]床面積は216,000平方フィート (20,100 m²)[2]、高さクリアランスは7.62メートルとされた[9]

設計段階では、飛行甲板と格納庫とを斜路(スロープ)でつなぐことも検討されたが、こちらも棄却されて[3]、キティホーク級に準じた配置で4基のエレベーターが設置された[8]。エレベーターは鋼鉄および合金製で、それぞれ26×16メートル大で[11]、重量105トン、力量45トンとされている[9]

航空機用の補給品として、航空用ガソリン (Avgas363キロリットル(95,976ガロン)、ジェット燃料(JP-5)9,382キロリットル(2,478,358ガロン)、弾薬1,800トンを搭載できた[11]。上記のように、水中防御も兼ねて液体貨物を多く搭載したことから、再補給なしで12日間の航空作戦を継続できる[9]。なお本艦では、最新鋭の航空機のみを搭載すると想定されたことから、同世代の通常動力型空母よりもジェット燃料が占める割合が多くなった[3]

なお、戦闘機・攻撃機の3分の1を迅速に再武装することが要求されたことから、装甲された箱に即応弾薬を収容して、ソリのうえを移動させるという方式が採用された[3]

個艦戦闘機能[編集]

上記の通り、艦橋構造物にはSCANFARレーダー・システムの電子走査アレイアンテナが固定装備された。またその上方には、「ウェブ」と称されるESMアンテナに囲まれたパゴタ状の構造物が設置されており、非常に特徴的な外見となった[8]。しかしSCANFARシステムは、技術的には非常に先進的だったものの、信頼性に問題があり、1968年には、バックアップとしてAN/SPS-12が設置された[1]

対空兵器としては、設計段階ではテリア艦対空ミサイル(SAM)の搭載が想定されており、余地も確保されたものの、予算上の都合から実際には搭載されず、非武装で竣工した[1]。その後、1967年の改修の際に、飛行甲板後部両舷のスポンソン上にシースパローBPDMSのMk.25 8連装発射機が設置された[8]

その後、1979年から1982年にかけての改修の際に、SCANFARシステムは撤去されて、艦隊で標準的なAN/SPS-48 3次元レーダーおよびAN/SPS-49 2次元レーダーが設置された。また同時に、シースパローはIBPDMSに更新されて、発射機はMk.29に換装されたほか、シースパローのための捕捉レーダーとしてAN/SPS-65(AN/SPS-10のアンテナを流用)も設置された。更にファランクス 20mmCIWS 3基も設置された[1][8]

1991年から1994年までの最後の大規模改修の際に、3次元レーダーはAN/SPS-48Eに、目標捕捉レーダーはMk.23 TASに改装された。また2005年には、2010年代中盤までの就役を想定した改修が行われ、CIWSのうち1基を代償として、RAM近接防空ミサイルの21連装発射機2基が設置された[8]

比較表[編集]

超大型航空母艦(スーパー・キャリアー)の比較
CVN フォード級 CVN ニミッツ級 CVN エンタープライズ
(最終状態)
CV キティホーク級
(最終状態)
CV フォレスタル級
(最終状態)
船体 満載排水量 101,605 t[12] 91,400 - 102,000 t[13] 83,350 t[8] 75,200 t - 83,000 t[14] 75,900 t - 76,000 t[15]
全長 332.8 m[12] 332.0 m[13] 341.3 m[8] 319.3 m - 326.9 m[14] 316.7 m - 319.0 m[15]
水線幅 / 最大幅 41.8 m / 78 m[12] 40.8 m / 76.8 m[13] 38.5 m / 78.3 m[8] 39.6 m / 76.8 m[14] 38.5 m / 76.8 m[15]
機関 方式 原子力タービン[12][13][8] 蒸気タービン
出力 不明 280,000 hp[13][8][14][15][注 2]
速力 30 kt以上[12][13] 36 kt[8] 35 kt[14] 34 kt[注 2][15]
兵装 砲熕 ファランクスCIWS×2 - 3基[12][13][8][14][15]
ミサイル ESSM 8連装発射機×2基[12] シースパロー8連装発射機×2 - 3基[13][8][14][15]
RAM 21連装発射機×2基[12]
航空運用機能 搭載機数 不明 (常時70機前後搭載) 90機 (常時70機前後搭載)
航空用ガソリン 363 kL[11] 192 kL[11] 353 kL[11]
ジェット燃料 不明 10,220 kL[11] 9,382 kL[11] 4,439 kL[11] 6,955 kL[11]
航空機用兵器 不明 2,970 t[11] 1,800 t[11]
カタパルト 電磁式×4基 蒸気式×4基
制動索 3索 4索[注 3]
エレベーター 3基 4基
同型艦数 1隻 (12隻予定) 10隻 1隻 4隻 4隻
原子力空母の比較
アメリカ合衆国 フォード級 フランス シャルル・ド・ゴール アメリカ合衆国 ニミッツ級 アメリカ合衆国 エンタープライズ
(最終状態)
船体 基準排水量 不明 37,680 t 72,916 t以上 75,700 t
満載排水量 101,600 t 43,182 t 100,000 t以上 93,284 t
全長 337 m 261.5 m 330 m - 333 m 336 m
水線幅 / 最大幅 41 m / 78 m 31.5 m / 64.36 m 41 m / 76.8 m 40 m / 76 m
主機 機関 原子炉+蒸気タービン
方式 ギアード・タービン
出力 不明 83,000 ps 260,000 ps 280,000 ps
速力 30 kt以上 27 kt 30 kt以上 33.6 kt
兵装 砲熕 ファランクスCIWS×2基 20mm単装機関砲×8基 ファランクスCIWS×2 - 3基
ミサイル ESSM8連装発射機×2基 アスター15VLS×32セル シースパロー8連装発射機×2基
RAM21連装発射機×2基 SADRAL6連装発射機×2基 RAM21連装発射機×2基
航空運用機能 搭載機数 常時70機前後 最大40機 最大90機(常時70機前後)
形式 CATOBAR
飛行甲板 アングルド・デッキ
カタパルト 電磁式×4基 蒸気式×2基 蒸気式×4基
JBD 4基 2基 4基
制動索 3索 4索
エレベーター 3基 2基 4基
同型艦数 1隻(12隻予定) 1隻 10隻 1隻


艦歴[編集]

就役 - 1960年代[編集]

本艦は1958年2月4日にニューポート・ニューズ造船所で起工された。1960年9月24日に元アメリカ合衆国海軍長官ウィリアム・B・フランクの夫人によって進水し、初代艦長ヴィンセント・P・デュポア大佐の指揮下1961年11月25日に就役した。

当初はエンタープライズ級航空母艦6隻の一番艦として建造されたが、建造費の増大から同級の2番艦以降の建造計画は撤回され、建造予定のCV-66キティホーク級航空母艦の1隻として建造された。CVN-67はA2W新型原子炉を組み込んで建造される計画であったがそれも中止となり、「ジョン・F・ケネディ」 (USS John F. Kennedy, CV-67) として再発注された。

就役後、本艦は一連の試験を含む訓練航海を行い、原子力空母の能力実証を行った。就役に先立って10月30日にVR-40所属の3機のTF トレーダーが艦上から公試を視察したVIPをアメリカ本土へ送り届けている。

本艦の最初の航空作戦参加は1962年1月に行われた。ジョージ・トーレイ大尉が指揮する F8U クルセイダーカタパルトによる発艦と着艦を行っている。1962年2月20日にはマーキュリー計画でフレンドシップ7の追跡測定ステーションの役割を果たした。

8月に本艦は第6艦隊に加わり、地中海で作戦活動に従事する。ノーフォークに帰港したのは10月であった。

まもなくキューバ危機が発生すると、10月14日にU-2偵察機が撮影した写真からキューバ国内にソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を確認、さらにその後三つの中距離弾道ミサイル(IRBM)が発見された。アメリカ政府はフロリダ州に陸軍部隊を移動、海軍艦艇による支援でキューバに対する軍事活動の準備を始める。

10月22日、ジョン・F・ケネディ大統領はテレビ演説で国民に対してキューバにミサイルが持ち込まれた事実を発表し、ソ連を非難した。続いて軍への準戦時体制を発令し、本艦を含む第2艦隊艦艇から成る海上封鎖部隊が動員される。海上封鎖は本艦のほか、インディペンデンス (USS Independence, CV-62)、エセックス (USS Essex, CV-9)、ランドルフ (USS Randolph, CV-15) などの空母とその艦載機、地上基地からの航空機によって行われた。全ての士官及び兵士の任期は無期限に延長された。

10月24日に封鎖部隊は「キューバに対する攻撃用兵器輸送全ての厳密な隔離」を開始する。翌日最初のソ連船を停止、臨検する。10月27日にU-2偵察機がソ連軍の地対空ミサイルで撃墜されるなど緊張が続いたが、10月28日にソ連首相ニキータ・フルシチョフはラジオでミサイル撤去の決定を発表した。フルシチョフはキューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、キューバ危機は収束した。

1962年12月19日、リー・M・ラムジー中尉が操縦する E-2 ホークアイは、発艦間隔短縮のためカタパルト・ブライドルに代えて設置された艦首曳航機器を用いての発艦試験に成功した。

ロング・ビーチ、ベインブリッジと共に原子力機動部隊を構成するエンタープライズ。

本艦は1963年に2度目の、1964年には3度目の地中海配備が行われた。1964年5月13日、本艦は原子力ミサイル巡洋艦ロングビーチ (USS Long Beach, CGN-9) とベインブリッジ (USS Bainbridge, DLGN-25) らと第1原子力機動部隊(Task Force 1)を構成し、7月31日からシー・オービット作戦を開始した。第1原子力機動部隊は世界初の原子力推力艦による戦闘部隊であった。

本艦の部隊はジブラルタルを出航し、歴史的な65日間の航海を行う。総航海距離は30,216マイル (49,190 km)に及び、燃料無補給で行われた。部隊がこの航海で立ち寄った港はパキスタンのカラチ、ブラジルのリオデジャネイロ、オーストラリアのシドニーが含まれる。本艦は10月にニューポート・ニューズ造船所に入りオーバーホールを受けた。

1965年11月、本艦は第7艦隊に配属となる。12月2日にビエンホアの北ベトナム軍に対する艦載機の出撃を開始し、実戦に従事した最初の原子力艦となる。初日に125回の出撃を行い、167トンの爆撃とロケット弾攻撃を敵補給路に対し行った。翌日には165回の出撃記録を達成する。

本艦は1968年1月4日にアメリカを出航、同月8日にハワイに寄港しその後原子力ミサイル巡洋艦トラクスタン (USS Truxtun, DLGN-35) とハルゼー (USS Halsey, DLG-23) を率い長崎・佐世保に直航、1月17日、18日には入港すると見られた。反対する日本社会党日本共産党は5万人規模の阻止集会を予定し、一方、三派系全学連は阻止闘争のため2,000人の動員を計画。それに対し政府側は福岡県警察、熊本県警察、佐賀県警察、長崎県警察から5,000人の機動隊を動員してそれに備えた。
入港前の1月17日、ついに佐世保で全学連と警察の間に市街戦さながらの激突が起きた。機動隊は放水、催涙ガス銃を使用した。衝突は佐世保駅から、平瀬橋、そして学生が逃げ込んだ旧市民病院の中にまで移っていった。約2時間後、市民病院の学生は機動隊に制圧された。(佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争)学生・警官あわせて重軽傷者135人。逮捕者は27人にのぼった。
18日の寄港は一時延期し、翌19日午前9時10分、佐世保港に停泊した。この日もまた学生と機動隊の衝突が繰り返された。1月23日午前9時、プエブロ号事件発生に伴い佐世保港を出港し、本艦とその護衛艦から成る機動部隊は東シナ海に展開し、朝鮮半島付近の日本海に1ヶ月近く展開した。

炎上する艦載機。

1969年1月14日の午前8:19に F-4 ファントムIIに装着された MK-32 ズーニー・ロケット弾が発艦準備を行っていた機体の排気により加熱され爆発事故を起こす。爆発とその後の火災で27名が死亡し、314名が負傷した。火災により15機の艦載機が破壊され、本艦はその損害により修理を余儀なくされた。修理は真珠湾で3月初めに完了した。[注 4]

1969年4月14日、北朝鮮軍機が厚木基地所属の EC-121 コンステレーション電子偵察機を撃墜し乗員31名が全員死亡する(アメリカ海軍EC-121機撃墜事件)。本艦、タイコンデロガ (USS Ticonderoga, CV-14)、レンジャー (USS Ranger, CVA-61)、ホーネット (USS Hornet, CV-12) の各空母と護衛の巡洋艦、駆逐艦から成る第71機動部隊は日本海に派遣され、警戒態勢に入った。

1970年代[編集]

本艦(左)とハッサヤンパ (USS Hassayampa, AO-145)(右)、1973年3月20日。

1970年に本艦はオーバーホールと二度目の燃料棒交換のためニューポート・ニューズ造船所にドック入りする。1971年1月19日に炉心の燃料棒交換後の公試が完了する。その後本艦はベトナム海域に展開し、アメリカ軍及び南ベトナム軍の支援を行う。

ベトナムで本艦はオリスカニー (USS Oriskany, CV-34)、ミッドウェイ (USS Midway, CVB-41)と共に、二艦での作戦行動を22日間、単独での作戦行動を9日間行い、1971年7月30日までに2,001回の出撃を行った。7月の出撃は空母が三つの台風 -ハリエット、キム、ジーン - を回避した際中断した。一ヶ月の間に南ベトナムに対する出撃は僅かながら増加し、これらは共産主義勢力の拠点に対する視認攻撃と、ヘリコプターによる作戦への支援であった。

本艦は1971年8月1日から8月8日までは二艦による作戦活動に従事し、8日から31日までは単独で活動した。8月の出撃回数は1,915回を数えた。9月1日から4日まで本艦はヤンキー・ステーションで作戦活動に従事、9月の出撃回数はオリスカニー、ミッドウェイの回数も合わせて1,243回に上る。10月は11日から30日までヤンキー・ステーションにおいて単独活動を行った。

1980年代[編集]

就役時には、艦橋の前後左右4面に巨大なAN/SPS-32及びAN/SPS-33型のフェーズドアレイレーダーを装備しており、外観上の特徴の一つであったが整備に問題があったことから1982年に撤去し、その代替として艦橋上部にAN/SPS-48 3次元レーダーAN/SPS-49 2次元レーダーを搭載した。同年、10回目の西太平洋配備に就く、1983年3月21日長崎県の佐世保港に15年ぶりに寄港する。

1984年には11回目の西太平洋配備が行われた。1985年11月2日、本艦は演習中に海山と衝突し、船体およびスクリューに損傷を受ける。演習は継続されたが、その後修理のためドック入りした。

1986年に12回目の西太平洋配備に就く。4月28日に本艦はスエズ運河を通過し、同運河を通過した初の原子力空母となった。紅海から地中海に向かい、コーラル・シー (USS Coral Sea, CV-43) と任務を交代、リビア沖でアメリカ (USS America, CV-66) と活動する。運河の通過は03:00に開始され、12時間かけて行われた。本艦が地中海入りしたのは就役後初であった。

1988年4月、本艦は13回目の西太平洋配備に就きアーネスト・ウィル作戦に参加する。同作戦はペルシャ湾においてクウェートの石油タンカーを護衛する任務であった。同作戦中の4月14日にサミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, FFG-58) が触雷し大きく損傷する。18日には報復としてプレイング・マンティス作戦が行われ、本艦からは第11空母航空団が参加した。

1990年代[編集]

1990年3月に本艦はバージニア州ノーフォークに到着し、世界展開を終了した。本艦はカリフォルニア州アラメダの長年の母港から6万9000kmを航海した。香港、フィリピン諸島、タイ、シンガポール、リオデジャネイロ、およびフロリダ州フォートローダーデールに寄港した。10月に給油し、海軍は過去最大のオーバーホールのためにニューポートニューズに移った。この間、海軍は、他の艦と同様に本艦の耐用年数を伸ばすために1,101フィート(336m)から1,123フィート(342m)まで飛行甲板の長さを広げた。

1994年9月27日に本艦は試運転のために海に戻った(本艦は試運転の間、最大出力走行を行った)。1996年6月28日、15回目の海外展開をはじめた。本艦は和平履行部隊(IFOR)の一部として、またサザン・ウォッチ作戦の一部とイラクやボスニアでの飛行禁止区域実施に関与した。また、この展開は海軍がA-6 イントルーダーを引退させ、時代の終わりを示した。6カ月間、船は8つの港を訪問した。1996年12月に、展開を終了した。

1997年2月に、本艦は、機密の保持のためにノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズに数ヶ月入った。

1998年11月に、精密検査に続いて、本艦は16回目の海外展開、第3空母航空団がこの時に出発した。展開開始直後の11月8日夜、EA-6B プラウラーS-3 ヴァイキングに衝突した。EA-6Bが着艦する際、夜の視界不良もあって着陸帯にあったS-3の折り畳まれた翼に当たった。EA-6Bの乗員は死亡、S-3の乗員はまもなく脱出した。

1998年11月23日に、本艦はペルシャ湾でドワイト・D・アイゼンハワーと任務交代。1998年12月に、本艦は砂漠の狐作戦の先頭に立ち70時間にわたり搭載機による空対地ミサイルと爆弾、空母打撃群のゲティスバーグ、ニコルソン、およびマイアミが300発以上のトマホーク巡航ミサイルを発射しイラクの軍事目標を破壊した。

シチリア沖での航海に続いて、フランス、カンヌ港の訪問を行うことになっていた。しかし、同国ランブイエでのユーゴスラビア和平会談は悪化していた。このことへの影響を恐れ、カンヌ到着のわずか24時間後にアドリア海に戻った。1999年3月の上旬には、本艦はペルシャ湾に戻る前に地中海最後の港のイタリアのトリエステに入港した。1999年3月14日にカール・ビンソンと任務交代、1999年5月に帰港。1998-1999年の間、本艦は、50,000マイル(80,000km)を航海し、航空機は9,000回以上発進した。

2000年代[編集]

本艦(左)とフランス海軍の原子力空母シャルル・ド・ゴール(右)(2001年5月16日)。

2001年4月25日に、本艦は、第8空母航空団と共に17回目の海外展開を始めた。6月から北海のヘブリディーズ諸島およびスコットランド近くでイギリス海軍との共同軍事演習に参加した。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が起きたとき、本艦もペルシャ湾からの帰港を始めていた。すぐさま進路を反転して側面攻撃出来るように、ペルシャ湾の近くの南西アジア沖の海域に移動した。

2001年10月、アメリカ軍はアフガニスタンのアル・カイダの訓練所とタリバン軍事施設に対する空爆に着手した。本艦からの航空機は3週間以上でおよそ700回のミッションをこなし、大量の爆弾を投下した。本艦は、計画よりも16日遅い11月10日に、ノーフォークの母港に到着した。

2002年1月、本艦はオーバーホールのためにバージニア州に入った。

2003-2004年、本艦はイラクの自由作戦の航空支援をした。2004年には複数の多国籍軍の演習に参加した。2006年5月に本艦は6カ月間展開しその間、8つの港を訪問した。本艦は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、フランス・カンヌ港に入る最初の米国海軍艦艇になった。

2008年4月、本艦は18カ月の予定のオーバーホールのためにニューポートニューズ造船所に入港した。2009年4月の時点で、オーバーホールの総費用は予定よりも高い4億8,090万ドルになっていた。2009年12月23日現在、最終的なオーバーホールの総費用が当初の見積りよりも高い6億500万ドル以上に膨らみ工期も予定より8カ月延びると発表。2010年4月には、費用が6億5,500万ドルになり、同月中に完成することを発表した[16]。4月19日に艦隊復帰に向け公試を実施した[17]。最終的にオーバーホールの総費用は6億6,200万ドルと当初予算を46%超過した。

本艦はキティーホークの退役に伴い、2009年2月より帆走フリゲートコンスティチューションに次ぐ古参艦(ファーストネイビージャック)になっていた。

2010年代[編集]

アイランド(本艦)(2010年5月12日)。

本艦は2015年にジェラルド・R・フォード (USS Gerald R. Ford, CVN-78) が就役するまで現役である予定であったが、アメリカ海軍は方針を変更し2012年末に退役させると表明した。2012年3月11日、母港ノーフォークから中東へ向かう出航前に本艦のウィリアム・ハミルトン艦長は「最後の艦長として配備につけるのは末代までの誇り」と話した[18]

2012年12月1日、母港とするノーフォーク海軍基地で不活動化のための式典が行われ[5]、同式典において海軍長官から寄せられたビデオメッセージにより、ジェラルド・R・フォード級3番艦(CVN-80)の艦名をCVN-80 エンタープライズと発表された。その後も海軍籍にあり艦長も配属されていたが、2017年2月3日にノーフォークで退役式典が行われ[19]、正式にアメリカ海軍から除籍された。

本艦は世界初の原子力空母である点を考慮して博物艦船として保存するという意見もある。しかし、原子炉を取り出す際に船体を切断しなければならないため、解体される公算が大きい。本艦は原子力艦再利用プログラムに基づく予算と計画の遅れから2015年5月4日ハンティントン・インガルス・インダストリーズで原子炉燃料の処理が開始された。本プログラムで処分される初の原子力空母で、遺構として保存する範囲の議論は未決着で本艦の解体工期は2025年完了予定としている[5]

エピソード[編集]

  • 本艦は同名の第二次世界大戦における空母およびテレビシリーズ『スタートレック』に登場する宇宙船との関係で、恐らくアメリカ海軍において最も有名な艦であると考えられる。
  • 『スタートレック』のエピソードが収録されたビデオテープが、ビデオ普及初期に本艦に供給された。このテープは艦の乗組員のレクリエーションに用いられ、艦内のテレビシステムで上映された。これは1973年から1974年におけるブレマートンでの修理の間に行われた。
  • また、上記の映画である『スタートレックIV 故郷への長い道』では、劇中でスタートレック伝統の旗艦と同じ名前を持つ本艦が登場するシーンがある。ただし、撮影直前に急遽作戦行動に入ってしまったため、実際に撮影に使用されたのはレンジャー (CV-61)であった[20]
  • 映画「トップガン」において、主人公の乗り組む空母の艦長が被っていた帽子は本艦のものだった [21]
  • アメリカ本国では1995年から2005年までの全10シーズンにわたって放送された連続テレビドラマ 「犯罪捜査官ネイビーファイル」において、しばしば劇中に登場する空母「シーホーク」(架空の艦名)は本艦がモデルであり(ロケ撮影も本艦で行なわれた。)、艦長をはじめとする乗組員たちが被っている帽子も、艦名の部分を「シーホーク」に変えた本艦のものであった。また、第8シーズンの1エピソードにおいて、レギュラーの一人である、JAG法務官のバド・ロバーツ海軍大尉(演:パトリック・ラビオートー)が、幼い息子へのプレゼントとして受け取った「シーホーク」のプラモデルのパッケージも、本艦のプラモデル(タミヤ製)のパッケージの艦名を変更したものとなっている。なお、「シーホーク」はスピンオフシリーズの「NCIS ネイビー犯罪捜査班」にも登場する。
  • 沈黙の艦隊』のアニメ版では、原作で登場していたミッドウェイ級航空母艦ミッドウェイが制作当時に退役していたので、その代わりに登場して原子力潜水艦やまと」と戦闘を行った。

登場作品[編集]

映画[編集]

レッドオクトーバーを追え!
ジャック・ライアンが、ロサンゼルス級原子力潜水艦ダラス」に向かうための中継基地として乗艦する。

アニメ[編集]

沈黙の艦隊
原作におけるミッドウェイ級航空母艦ミッドウェイ」の役回りとして登場した。原子力潜水艦やまと」と交戦するも、魚雷4発を受けて撃沈される。

小説[編集]

征途
統一戦争緒戦において、ニミッツ級航空母艦ニミッツ」や護衛艦18隻と共にオホーツク海にて演習していたが、亜庭湾岸沿いに展開した日本人民民主主義共和国(北日本)人民赤軍による八二式地対艦誘導弾(SS-N-12の架空の改造型)を使用した奇襲飽和攻撃を受け、通常弾頭型5発と戦術核弾頭(核出力5kt)搭載型2発によって撃沈される。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 船体分類記号としては、当初は原子力推進(N)の攻撃型空母(CVA)としてCVANが付されていたが、後に攻撃型空母が汎用化されて対潜戦を兼務するようになった際にCVNに変更された。
  2. ^ a b 「フォレスタル」のみ出力260,000 hp、速力33ノット[15]
  3. ^ ニミッツ級9、10番艦は3索式。
  4. ^ 同様の事故は1967年にフォレスタルでも発生している。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g Gardiner 1996, p. 572.
  2. ^ a b c d e Saunders 2009, p. 916.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m Friedman 1983, ch.14 Nuclear Carriers.
  4. ^ 米原子力空母エンタープライズ退役へ 炉除去に3年、船体は一部売却 cnn.co.jp 2012年11月4日
  5. ^ a b c “あの「エンプラ」が退役…世界初の原子力空母”. 読売新聞. (2012年12月2日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121202-OYT1T00599.htm 2012年12月2日閲覧。 
  6. ^ a b 大塚 2014, アメリカ空母の歩み.
  7. ^ a b 野木 2011.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 大塚 2014, pp. 146-155.
  9. ^ a b c d e f g h Prezelin 1990, pp. 759-760.
  10. ^ Chunyan Ma (Spring 2001). “Ending the Production of Highly Enriched Uranium for Naval Reactors”. The Nonproliferation Review. p. 87. 2013年2月20日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n Friedman 1983, appx.E Carrier Characteristics.
  12. ^ a b c d e f g h 大塚 2014, pp. 170-174.
  13. ^ a b c d e f g h 大塚 2014, pp. 156-169.
  14. ^ a b c d e f g 大塚 2014, pp. 132-145.
  15. ^ a b c d e f g h 大塚 2014, pp. 118-131.
  16. ^ Frost, Peter, "USS Enterprise Delayed Again; Cost Of Maintenance Balloons 44.5 Percent", Newport News Daily Press, April 1, 2010.
  17. ^ "Enterprise Departs for Sea Trials"
  18. ^ 米空母「ビッグE」最後の航海 中東海域に配備へ
  19. ^ 「米海軍短信 原子力空母本艦Enterprise CVN-65が正式に退役」『世界の艦船』第856集(2017年4月号) 海人社
  20. ^ Okuda, Michael and Denise (1997). The Star Trek Encyclopedia (2nd ed.). Pocket Books. ISBN 0-671-53607-9
  21. ^ Baranek, Dave "Bio", "Topgun Days", Skyhorse Publishing, 2010. ISBN 978-1-61608-005-1

参考文献[編集]

  • Friedman, Norman (1983). U.S. Aircraft Carriers: An Illustrated Design History. Naval Institute Press. ISBN 978-0870217395 
  • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
  • Polmar, Norman (2008). Aircraft Carriers: A History of Carrier Aviation and Its Influence on World Events. Volume II. Potomac Books Inc.. ISBN 978-1597973434 
  • Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505 
  • Saunders, Stephen (2009). Jane's Fighting Ships 2009-2010. Janes Information Group. ISBN 978-0710628886 
  • Wertheim, Eric (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. ISBN 978-1591149545 
  • 大塚, 好古「アメリカ航空母艦史」『世界の艦船』第807号、海人社、2014年11月、 1-207頁、 NAID 40020238934
  • 『世界の空母ハンドブック』海人社〈世界の艦船別冊〉、1997年。NCID BB09185700
  • 野木, 恵一「水上艦用原子炉の発達とそのメカニズム (特集 原子力水上艦建造史)」『世界の艦船』第738号、海人社、2011年3月、 84-89頁、 NAID 40018277434

関連項目[編集]