エーリッヒ・ブランデンベルガー

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ブランデンベルガー少将(左)とマンシュタイン上級大将(1941年6月)

エーリッヒ・ブランデンベルガー(Erich Brandenberger 1892年7月15日 - 1955年6月21日)はナチス・ドイツ軍人ドイツ国防軍陸軍装甲兵大将

経歴[編集]

1892年7月15日シュヴァーベン地方アウクスブルクに生まれる。砲兵少尉として第一次世界大戦に参加。第一次大戦では西部戦線で戦う。戦後は陸軍の諜報部に所属する。

1939年9月ポーランド侵攻では、ライン守りを担当していたC軍集団第5軍所属指揮下で、師団を持たないアイフェル歩兵軍団の参謀長として参加。その後、1940年、西方への侵攻作戦では、A軍集団第16軍第23軍団でも参謀長として参加する。1941年2月20日、第8装甲師団長に就任。北方軍集団第4装甲集団隷下の第56装甲軍団指揮下で第8師団長として6月バルバロッサ作戦への参加をする。同年8月15日~16日イリメニ湖西、ルガ包囲戦では、ソ連赤軍第41軍団(5個狙撃師団)を殲滅した。この戦いでの極めて優秀な指揮能力を高く評価され、1943年1月17日に第59軍団長、8月1日には第17軍団長に任命される。11月12日には324番目の柏葉騎士十字章が授与される。

1944年12月第7軍司令官に就任し、アルデンヌ攻勢に参加し、1945年3月25日第19軍司令官になって間もなく連合国軍に捕らわれ、捕虜となる。

1955年6月21日ボンで死去する。

参考文献[編集]