オッキー沖田

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オッキー沖田(オッキーおきた、1973年9月9日 - )は、日本リングアナウンサー。本名:沖田 佳也(おきた よしや)。千葉県千葉市出身。プロレスリングZERO1所属。

経歴[編集]

1994年4月3日に全日本女子プロレスのリングアナウンサーとしてデビューする。

全女大量離脱が起きた1997年アルシオンの旗揚げに参加し、1999年退社。同年、元女子プロレスラーの長谷川咲恵と結婚し2子をもうけたが2008年に離婚。

2001年、プロレスリングZERO-ONEのリングアナウンサーで復帰。ZERO-ONE崩壊後はZERO1の渉外部長を兼ねながらリングアナウンサーを務める。

エピソード[編集]

感激屋リングアナウンサー[編集]

ZERO1-MAX→ZERO1の発展に尽力し、腰が低くユーモアもある性格から、ZERO1のファンに愛されている。また「いじられキャラ」であり、感激屋でもある。

自身が実行委員長を務めた第2回ディファカップ(2005年5月7日・8日開催)では、大会開催の発表時に、早速KENTAから「オッキーと対戦したい」といじられ、沖田も試合はしなかったが「ブサイク対イケメンの闘いだ」と舌戦を繰り広げた。大会は丸藤正道&KENTA組の優勝で終わるが、「(病気療養中の)星川尚浩に責任を持って渡せ」と優勝賞金の100万円を寄贈されると、沖田はたまらず号泣した。

また2006年3月5日、プロレスリング・ノア日本武道館大会において、ZERO1-MAXから参戦した日高郁人&藤田ミノル組が金丸義信&杉浦貴組からGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取した際も、リング下で号泣した。

パンチパーマ[編集]

2006年12月、神風志賀賢太郎(プロレスリング・ノア)の保持するグローバル・ハードコア・クラウン無差別級王座への挑戦を表明。沖田が神風の代行としてノア事務所に出向くと、志賀は沖田に対し「即刻、俺と同じ様にパンチパーマにするように」という条件を出した。沖田は気乗りはしなかったが、翌日にはパンチパーマにし、神風の挑戦を取り付けた。2006年12月27日のZERO1-MAX後楽園ホール大会での選手権試合はランバージャックデスマッチ(選手がリングから転落した場合、敵陣営のセコンドが強制的にリングに戻すルール)で行われ、志賀が勝利し王座を防衛した。

なお、パンチパーマを渋っていた沖田だったが、実際にかけたところ気に入ってしまったらしく、その後しばらくはパンチパーマを維持していたという。2017年現在の沖田は、スキンヘッドにしている。

アメトーークで密着取材[編集]

2017年11月5日放送のテレビ朝日系列『日曜もアメトーーク!2時間スペシャル』内の「プロレス大好き芸人ゴールデン」企画において、「何でもやっちゃうリングアナウンサー」「どれほど働き者なのか?」という触れ込みで、2017年9月30日のZERO1後楽園ホール大会での沖田に密着した映像が紹介された。映像内で沖田が行っていた業務は以下の通り。

機材トラックの運転、物販準備、ポスター原稿チェック、音響機材セッティング、トラックからの機材下ろし、リング設営、祝い花を並べる、大御所レスラー(藤波辰爾)出迎え、チケット販売、試合前のアナウンス、グッズ販売、選手入場曲を流す、選手入場コール、リングアナウンス(選手紹介、場外乱闘、試合時間)、試合開始・終了のゴング(終了時は音響とテーマ曲のセットも同時に行う)、機材とリングの撤収。

沖田の紹介役を務めた博多大吉は、小団体であるが故にひとりで何役もこなす沖田を「沖田さんがいないと興行が回らないので、チャンピオンより大事」と説明した。また、沖田がゴングを叩く際のオーバーなリアクションは「やりすぎ」といじりつつも、取材を通して伝わった沖田のプロレス愛に賛辞を送っていた。