オルク・テムル (安西王)

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オルク・テムルÜrüg Temür,モンゴル語: Үрүг төмөр,中国語: 月魯鉄木児,? - 1332年)は、クビライ・カーンの孫アナンダの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では月魯鉄木児/月魯鉄木而、『集史』などのペルシア語史料ではاورگ تیمورŪrg Tīmūrと記される。

概要[編集]

クビライ・カーンの第三子で、安西王に封ぜられたマンガラの息子、アナンダの嫡子として生まれた。マンガラから安西王位を継いだアナンダは大兵力を有する有力諸侯であり、その息子オルク・テムルもテムル・カーンの時代より活動していた[1]。アナンダはテムル・カーンの死後にブルガン・ハトゥンと協力してカーン位に即こうと画策したが、アユルバルワダのクーデターによって失敗し、その後カーンとなったカイシャンによって処刑された。アナンダの死によって安西王家も取りつぶされ、旧安西王領はアユルバルワダが領有することとなった[2]

アナンダの息子オルク・テムル及び旧安西王国の臣下は安西王家の復活を請願したが、再び大勢力を有しカーン位を狙うようになることを恐れたカイシャン政権によって拒絶された[3]。この状況はカイシャン没後の仁宗(アユルバルワダ)・英宗(シデバラ)時代まで続いたため、安西王国の復活を狙うオルク・テムルらは英宗-仁宗政権の転覆を狙うようになった。英宗政権を揺るがしたコシラの叛乱の切っ掛けを作った陝西行省は旧安西王国領に設置されたものであるため、安西王家の旧臣が関与したのではないかとする説もある[4]

至治三年(1323年)、シデバラの独裁政治に不満を抱く者達が密かに結集し、暗殺を計画した。この計画の首謀者には御史大夫テクシ、知枢密院事エセン・テムル、大司農シクトゥル、前平章政事チギン・テムル、前雲南行省平章政事オルジェイ、前治書侍御史鎖南、テクシの弟宣徽使鎖南、典瑞院使トブチ、枢密院副使ハサン、僉書枢密院事章台、衛士トゥマン及び諸王アルタン・ブカ、ボラト、オルク・テムル、曲呂不花、ウルス・ブカらがいたが、この中で最高の貴種はクビライの嫡子の直系であるオルク・テムルであった[5]

シデバラの暗殺には成功したものの、暗殺の首謀者たるオルク・テムル自身を新しいカーンとすることは大義名分の上で難しく、また仁宗-英宗政権で冷遇されていたオルク・テムルの報復も想像されたため、結果として経歴に傷のない晋王イェスン・テムルが新たなカーンとなった[6]。イェスン・テムルがクリルタイでカーンに即位した同日、イェスン・テムルによってオルク・テムルは長年の宿願であった安西王位に封ぜられた[7]

しかし、簒奪者の汚名を着ることを嫌ったイェスン・テムルはテクシら英宗暗殺の首謀者達を捕縛・処刑し、オルク・テムルは安西王に封ぜられた僅か3月後に雲南へと流された[8]。雲南へ流された後のオルク・テムルの動向は不明であるが、至順三年(1332年)に時のカーンであるトク・テムルの命令によって捕らえられ、殺された事が記されている[9]

安西王家の系図[編集]

『元史』、『集史』ともにほぼ同じ系図を記録している。

出典[編集]

  1. ^ 『元史』巻21,「[大徳九年秋七月]癸丑、……賜安西王阿難答子月魯鉄木而鈔二千錠」
  2. ^ 杉山1995,146頁
  3. ^ 『元史』巻178,「至大二年……初、安西王封於秦、既以謀逆誅、国除、版賦入詹事院。至是、大臣奏請封其子、復国。仁宗以問、約曰『安西以何罪誅?今復之、何以懲将来』。議遂寝」
  4. ^ 杉山1995,148頁
  5. ^ 『元史』巻28「八月癸亥、車駕南還、駐蹕南坡。是夕、御史大夫鉄失……月魯鉄木児……兀魯思不花等謀逆、以鉄失所領阿速衛兵為外応、鉄失・赤斤鉄木児殺丞相拜住、遂弑帝於行幄」
  6. ^ 杉山1995,147-148頁
  7. ^ 『元史』巻29,「[至治三年]九月癸巳、即皇帝位於龍居河、大赦天下。……是日、以知枢密院事淇陽王也先帖木児為中書右丞相、諸王月魯鉄木児襲封安西王」
  8. ^ 『元史』巻29,「[至治三年十二月]癸未……流諸王月魯鉄木児於雲南、按梯不花於海南、曲呂不花於奴児干、孛羅及兀魯思不花於海島、並坐与鉄失等逆謀」
  9. ^ 『元史』巻36,「[至順三年夏四月乙丑]安西王阿難答之子月魯帖木児、坐与畏兀僧玉你達八的剌板的・国師必剌忒納失里沙津愛護持謀不軌,命宗王・大臣雜鞫之、獄成、三人皆伏誅、仍籍其家」

参考文献[編集]

  • 杉山正明「大元ウルスの三大王国 : カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大学文学部研究紀要』34号、1995年
  • 新元史』巻114列伝11
  • 蒙兀児史記』巻76列伝58