オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト
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オーストリア | |
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![]() | |
加盟放送局 | ORF |
国内選考大会 | Song Festival、内部選考 |
出場 | |
出場回数 | 52 |
初出場 | 1957 |
最高順位 | 優勝: 1966, 2014 |
最低順位 | 準決勝最下位(18位): 2012 |
外部リンク | |
Eurovision.tvのオーストリアのページ |
オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、オーストリアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。オーストリアは過去にユーロビジョン・ソング・コンテストには数多く出場しているが、目立って良い実績は得られなかった。オーストリアは、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2014でコンチータ・ヴルストが優勝するまでの間、40年以上にわたって優勝経験は1966年大会のウド・ユルゲンス「Merci Chérie」の1度限りという状態が続いた[1]。
過去にダンス・ポップの楽曲で成功してきたのと対照的に、2000年代のオーストリアの参加曲には、ユーモラスなものを選ぶ傾向にある。2003年大会では、コメディアンで芸能人のアルフ・ポイヤー(Alf Poier)は家畜に関する楽曲「Weil Der Mensch Zählt」を大会で披露した[2]。2005年大会では、民俗音楽のグループグローバル・クライナー(Global Kryner)がラテン風の楽曲「Y así」を披露した[3]。これはオーストリアにとって初の準決勝への参加となったが、決勝への進出はかなわなかった。オーストリアの代表選考の方法は特に決まっておらず、選考会を実施する場合と内部選考の場合がある。
不参加[編集]
オーストリアは複数回にわたって大会を欠場している。最初の欠場は、マドリードで行われた1969年大会であった。当時のスペインはフランシスコ・フランコ政権の統治下にあり、オーストリアは大会のボイコットを決定した。しかし、大会の歴史に詳しいジョン・ケネディ・オコナー(John Kennedy O'Connor)は、前年の1968年大会でオーストリアがスペインに2得点を与え、これによってスペインが1得点差で優勝したことから、このボイコットの理由を政治上のものとしているのは建前に過ぎない可能性があるとしている[4]。
翌年の1970年大会でもオーストリアは欠場した。これは1969年大会で同率で複数の優勝国が選ばれたためであり、これによってオーストリア以外にも複数の国が1970年大会の不参加を決定している[4]
1973年大会から1975年大会まで、オーストリアは不参加をなった。その正確な理由は不明であるが、参加曲すべてに一定の得点を保障した得点方式が一部の大会で用いられることが理由ではないかと推測されている。
1998年大会と2001年大会ではオーストリアは過去5年間の大会での順位が基準に満たなかったため、参加は認められなかった[4]。
2006年大会に先立ち、オーストリアは過去の大会での順位が低いことを理由に不参加とする可能性を示唆し、参加アーティストの才能はコンテストでの成功に左右されないとした[5][6]。ヘルシンキで行われた2007年大会には参加したものの、準決勝でワースト2となったことや、オーストリアの視聴者のユーロビジョンへの関心の低下から、2008年大会への参加を見送った。オーストリア放送協会(ORF)の番組ディレクターのヴォルフガング・ローレンツ(Wolfgang Lorenz)は、オーストリアは期限を定めず大会への不参加を続ける可能性を示唆し、「ORFは、チャンスの与えられない大会にこれ以上のアーティストを送る意思はない。状況が変化すれば、喜んで再び参加するだろう」と述べた[7]。不参加にも関わらず、2008年大会の決勝はORFによって放送され、よって翌年の大会に参加する権利を留保した[8]。
しかし、ORFのエンターテイメント・ディレクターのエドガー・ベーム(Edgar Böhm)は、現行の準決勝の方式は「依然、投票に際して政治的選好によって動く一部の国々に対処したものとなっていない」とし、「欧州放送連合によって、準決勝の方式について定める明確なガイドラインが制定されない限り、オーストリアはモスクワでの2009年大会には参加しない」とした[9][10]。ORFは2009年大会には参加しないことを決定し、他方で2008年同様に決勝の模様を放送した[11]。その後もオーストリアは、ユーロビジョンの投票制度の不備を理由に不参加を続けていたが、2010年大会でドイツ代表が優勝を果たすと、同年7月に2011年大会への復帰を表明した。
参加者[編集]
1
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優勝 |
2
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2位 |
3
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3位 |
◁
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最下位 |
X
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出場曲を決定したが不参加 |
投票履歴(1957年 - 2015年)[編集]
オーストリアから高得点が送られた国々:
順位 | 国 | 得点 |
---|---|---|
1 | ![]() |
188 |
2 | ![]() |
164 |
3 | ![]() |
150 |
4 | ![]() |
135 |
5 | ![]() |
126 |
オーストリアに高得点を送った国々:
順位 | 国 | 得点 |
---|---|---|
1 | ![]() |
111 |
2 | ![]() |
95 |
3 | ![]() |
90 |
4 | ![]() |
80 |
5 | ![]() |
79 |
得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。
主催[編集]
年 | 場所 | 会場 | 司会 |
---|---|---|---|
1967 | ![]() |
ホーフブルク宮殿 | Erika Vaal |
2015 | ![]() |
ヴィーナー・シュタットハレ(Wiener Stadthalle ) | Mirjam Weichselbraun、Alice Tumler、Arabella Kiesbauer |
脚注[編集]
- ^ COVID-19の流行により2020年大会が中止された
参考文献[編集]
- ^ Diggiloo Thrush. “1968 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
- ^ Diggiloo Thrush. “2003 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
- ^ Diggiloo Thrush. “2005 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
- ^ a b c O'Connor, John Kennedy (2005). The Eurovision Song Contest: The Official History
- ^ Philips, Roel (2005年6月18日). “Austria withdraws from 2006 Eurovision Song Contest”. 2006年12月10日閲覧。
- ^ Philips, Roel (2005年6月20日). “Austrian Broadcaster explains withdrawal”. 2006年12月12日閲覧。
- ^ Holyer, Steve (2007年11月20日). “Austria will not go to Belgrade”. 2007年11月20日閲覧。
- ^ Klier, Marcus (2008年1月2日). “ORF likely to broadcast Eurovision Song Contest 2008”. 2008年3月1日閲覧。
- ^ Solloso, Jaime. “Austria to not be in Moscow 2009?”. Oikotimes. 2008年7月23日閲覧。
- ^ Kuipers, Michael (2008年6月3日). “Austria: ORF will decide in the Autumn”. ESCToday. 2008年6月3日閲覧。
- ^ Klier, Marcus (2008年9月18日). “Austria: No return to Eurovision in 2009”. ESCToday. 2008年9月18日閲覧。
- ^ http://www.nachrichten.at/nachrichten/kultur/art16,620990
外部リンク[編集]
- Independent Eurovision Song Contest site from Austria
- Lyrics for all Austrian entries
- Points to and from Austria eurovisioncovers.co.uk
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