オートモビリ・ツーリズモ・エ・スポート

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オートモビリ・ツーリズモ・エ・スポート
活動拠点 イタリアの旗 イタリア
創設者 カルロ・キティ
ジオット・ビッザリーニ
ドライバー アメリカ合衆国の旗 フィル・ヒル
イタリアの旗 ジャンカルロ・バゲッティ
出走回数 5
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1963年ベルギーグランプリ
最終戦 1963年イタリアグランプリ
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オートモビリ・ツーリズモ・エ・スポート (Automobili Turismo e Sport, ATS) は、イタリアレーシングカーコンストラクター。チームはフェラーリの有名な「宮廷革命」後に創設され、1963年から65年まで活動した。

歴史[編集]

同社はカルロ・キティとジオット・ビッザリーニを始めとするフェラーリを離脱したメンバーによって設立され、レース場およびストリートでの直接のライバルを目指した。キティとビッザリーニはスクーデリア・セレニッシマのジョヴァンニ・ヴォルピ伯爵の支援を受け、ロードゴーイングカーおよびフォーミュラ1マシンを生産した。

ATS・2500GT
ATS・2500GTの側面

ATS・2500GTは小型のクーペで、フランコ・スカリオーネの設計によるボディワークをキティとビッザリーニが開発し、アレマーノで組み上げられた。エンジンはキティが設計した2.5リッターV型8気筒をミッドシップに搭載し、245hp (180kW) を発揮、時速257km(160mph)に加速することができた。伝えられるところによると、僅か12台が組み立てられ、現存するのは数台だとされる。史上初のミッドシップカーの一台である2500GTは(オトモビル・ルネ・ボネマトラ・ジェットによって数カ月後に市場で打ちのめされた)、名声や人気を得たことは無いが、そのフラットプレーンクランクシャフトを搭載した90度DOHCV8エンジンは、後にアルファロメオ・ティーポ33エンジンへと発展していった。

レースの歴史[編集]

ATSのF1マシンはティーポ100と名付けられ、1.5リッターV8エンジンが搭載されたが、実際には時代遅れのフェラーリ・156のコピーであった。ドライバーのフィル・ヒルジャンカルロ・バゲッティもフェラーリの政治的混乱から逃げ出しATSとサインしたが、悲惨なシーズンを送り、キティはレーシングチームの運営を諦めざるを得なかった。ATSのエンジンは後にロブ・ウォーカー・レーシングチームの元メカニックであったアルフ・フランシスが結成したデリントン・フランシスのマシンで使用された。

ヴォルピ伯爵は後のセレニッシマにATSによく似た技術を導入した。ブルース・マクラーレンは1966年のいくつかのグランプリでセレニッシマエンジンを使用した。

倒産後[編集]

ATSの終焉後、ビッザリーニはランボルギーニに移り、その後自身の車ビッザリーニを開発した。一方のキティは元フェラーリのエンジニア、ロドヴィコ・チッツォーラと共にオートデルタ英語版を設立、アルファロメオと緊密な関係を持って活動した。

設立から50年後の2012年、ATSはATS・スポーツとATS・2500GTを開発した。

2013年には2シーターのレトロスタイルスパイダー、ATS・レッジャーラの開発を発表した[1]

F1での成績[編集]

(凡例)

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ポイント 順位
1963年 ATS 100 ATS V8 D MON BEL NED FRA GBR GER ITA USA MEX RSA 0 18位
フィル・ヒル Ret Ret 11 Ret Ret
ジャンカルロ・バゲッティ Ret Ret 15 Ret Ret
典拠:[2]

参照[編集]

  1. ^ Ingram, Antony (2013年11月6日). “ATS 300 Leggera Sports Car Revealed”. Motor Authority. 2016年1月3日閲覧。
  2. ^ Small, Steve (1994). The Guinness Complete Grand Prix Who's Who. Guinness. pp. 40-41 and 188. ISBN 0851127029. 

典拠[編集]