カリーニン戦線

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カリーニン戦線ロシア語: Калининский фронтカリーニン方面軍カリーニン正面軍とも)は、第二次世界大戦中(独ソ戦初期~中期)にモスクワ北西のカリーニン(トヴェリ)地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。

概要[編集]

1941年10月19日、モスクワ北西方面をカバーする西部戦線右翼部隊(第22軍、第29軍、第30軍、第31軍)に基づき創設。事後、第20軍、第31軍、第39軍、第41軍、第43軍、第58軍、第3打撃軍、第4打撃軍、第3航空軍が配属された。

1941年秋、モスクワ戦略防衛作戦の一部として、カリーニン防衛作戦を行い、1941年~1942年のモスクワ郊外での攻勢時、12月16日にカリーニンを解放した。西部戦線と共に行った1942年のルジェフ・ヴャゼム作戦において、戦線部隊は敵後方に進出した。1月22日から、戦線右翼部隊は、トロペツコ・ホルム作戦に参加。ルジェフ・スィチェフ作戦において、戦線左翼部隊は、ルジェフ郊外の敵縦深防御を突破し、ルジェフ地区のヴォルガ左岸の敵橋頭堡を撃滅し、西部戦線右翼部隊と共に、ドイツ中央軍集団主力を牽制し、スターリングラード方面への部隊の投入を挫折させた。

1942年~1943年のヴェリーキエ・ルーキ作戦時、戦線部隊は、1月17日に敵の防衛線を突破し、ヴェリーキエ・ルーキを解放した。

1943年のルジェフ・ヴャゼム作戦において、戦線部隊は、西部戦線部隊と共に、130~160km前進し、3月10日にベールイを解放した。1943年のスモレンスク作戦において、戦線部隊は、ドゥホフシチナ・デミドフ作戦を行い、9月19日にドゥホフシチナを、9月21日にデミドフを、9月29日にルドニャを解放した。1943年のネヴェリ作戦では、10月6日にネヴェリを解放し、ベラルーシ東部国境に進出した。

1943年10月20日、10月16日付最高司令部スタフカの命令に基づき、カリーニン戦線は、第1バルト戦線に改称された。

編制[編集]

  • 第22軍 - 1941年10月19日から
  • 第29軍 - 1941年10月19日から
  • 第30軍 - 1941年10月19日から
  • 第31軍 - 1941年10月19日から
  • 第20軍
  • 第31軍
  • 第39軍
  • 第41軍
  • 第43軍
  • 第58軍
  • 第3打撃軍
  • 第4打撃軍
  • 第3航空軍

指揮官[編集]

司令官:

  1. イワン・コーネフ大将(1941年10月~1942年8月)
  2. マクシム・プルカエフ中将(1942年8月~1943年4月)
  3. アンドレイ・エリョーメンコ大将(1943年4月~10月)

軍事会議議員:

  1. ドミトリー・レオーノフ軍団委員(1941年10月~1943年10月)

参謀長:

  1. I.イヴァーノフ少将(1941年10月~11月)
  2. E.ジュラヴレフ中将(1941年11月)
  3. A.カンツェリソン大佐(1942年11月~12月)
  4. M.ザハロフ少将(1942年1月~1943年4月)
  5. V.クラソフ中将(1943年4月~10月)

関連項目[編集]

  • 第1バルト戦線