カルロス・レシャックまたはカルレス・ラシャック(Carlos Rexach, Carles Rexach、1947年1月13日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。名前はカルレスとするのがより正しいが、日本ではカルロスと表記された。
経歴[編集]
選手として[編集]
1965年、FCバルセロナでプロデビュー。1981年までの間、17シーズン、665試合に出場し、211得点を挙げる。1971年には29試合で17得点を挙げ、ピチーチ(得点王)を獲得した。
選手生活の目立った活躍としては以下のようなものがある。
指導者として[編集]
引退後、1981年~1987年まで、バルセロナBの監督を務める。
1987年にFCバルセロナのコーチに就任。当時監督を務めていたルイス・アラゴネス、ヨハン・クライフの下で働き、1990年-1991年シーズンからのリーグ戦4連覇に貢献する。1995年-1996年シーズン途中でクライフが健康上の理由で辞任すると、シーズン終了まで監督を務めた。
1998年に横浜フリューゲルスの監督に就任。3-4-3の攻撃型サッカーを導入する。1stステージは序盤は低迷するも、その後7連勝したこともあり10勝7敗とまずますの成績を残したが、2ndステージに入ると守備が破綻して敗戦を重ね、J1参入決定戦がちらつく事態となり、9月28日に不振の責任を取って辞任した。一方で、周囲の反対を押し切って高卒ルーキーの遠藤保仁を開幕戦から先発起用し、後に遠藤が日本代表の主力となるきっかけをつくっている。またこの際にスペインから連れてきたコーチングスタッフの中に、2012-2013年シーズンにバルセロナの監督代行を務めたジョルディ・ロウラがいた。
スペイン帰国後は2001年から2002年にかけて再びバルセロナの監督を務めた。特筆すべき成績は残せなかったが、後にバルセロナの最年少得点記録を作ったリオネル・メッシが入団テストを受けに来た際に、当時13歳に満たなかった彼の才能を見出し、「彼は天才だ。紙ナプキンでも、なんでもいいからサインさせろ」と言って契約を結ばせたエピソードが知られる。
外部リンク[編集]