カレンダー作戦

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カレンダー作戦 (Operation Calendar) は、第二次世界大戦中の1942年4月にイギリスとアメリカ軍が実行した作戦。マルタへとスーパーマリン スピットファイア戦闘機を送る作戦でクラブランとも呼ばれるものの一つである。戦闘機は輸送には成功したものの、ドイツ軍の攻撃によってすぐに地上で破壊されてしまった。

航続距離の短い戦闘機をマルタへ運ぶには途中まで空母で運ぶ必要があったが、この時期作戦に使用可能なイギリス空母は存在しなかった。事態は切迫しており、イギリス首相ウィンストン・チャーチルのアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトへの直接の要請によってアメリカ空母ワスプが貸し出された。

ワスプはクライド川沿いのシールドホールからイギリス空軍第601飛行隊と第603飛行隊の航空機52機をパイロットとともに載せた。運ばれるスピットファイアVBには航続距離を伸ばすために増槽が取り付けられていた。しかし、それらの準備は適切ではなかった。増槽は漏れがひどかった。これはクラブランで何度も起きていた問題であった。加えて多くの機では機関銃に不具合があり、多くの通信機も正常に機能していなかった。[1]

ワスプは護衛の駆逐艦ラング、マディソンとともに1942年4月14日にグラスゴーから出航し、イギリスの巡洋戦艦レナウン、駆逐艦イングルフィールド、イシュリエル、エコー、パートリッジと合流。W部隊と名づけられた艦隊は4月18日から19日の夜にジブラルタル海峡を通過。そこで、巡洋艦カリブディスカイロ、駆逐艦ウェストコット、ウィシャート、ヴィデット、レスラー、アンテロープが加わった。準備の最終段階になって上述の問題が明らかとなったが、すでに直す時間は無かった。[1]

4月20日、ワスプから48機のスピットファイアがマルタへと向かった[1]

この作戦による戦闘機の補充は結局無意味となった。ドイツ空軍はスピットファイアの到着を予測し、その到着後すぐに飛行場を爆撃した。大半は地上で攻撃を受け、48時間以内に運ばれた戦闘機はすべて破壊されてしまった。到着時にあった不具合のために、それらは飛行できなった。[1]

この結果のため、次のバワリー作戦はさらに重要なものになった。


脚注[編集]

  1. ^ a b c d Woodman, Richard (2000). Malta Convoys 1940-1943. London: John Murray. p. 320. ISBN 0-7195-6408-5.