カロリーネ・フォン・マンダーシャイト=ブランケンハイム

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カロリーネ・フォン・マンダーシャイト=ブランケンハイム
Karoline von Manderscheid-Blankenheim
リヒテンシュタイン侯妃
Karoline von Manderscheid-Blankenheim.jpg
イーリスに扮したリヒテンシュタイン侯夫人カロリーネの肖像、エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
出生 1768年11月13日
ウィーン
死去 (1831-03-01) 1831年3月1日(満62歳没)
ウィーン
配偶者 リヒテンシュタインアロイス1世
父親 マンダーシャイト=ブランケンハイム伯ヨハン・ヴィルヘルム
母親 ヨハンナ・フォン・リンブルク=シュティルム
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カロリーネ・エンゲルベルテ・フェリーツィタス・フォン・マンダーシャイト=ブランケンハイムGräfin Karoline Felicitas Engelberte von Manderscheid-Blankenheim, 1768年11月13日 - 1831年3月1日)は、リヒテンシュタインアロイス1世の妻。

生涯[編集]

マンダーシャイト=ブランケンハイム伯ヨハン・ヴィルヘルムとその妻のリンブルク=シュティルム伯爵夫人ヨハンナの間に生まれた。1783年11月16日にアロイス1世と結婚したが、夫との間に子供は生まれなかった。

カロリーネはオーストリア軍の陸軍大尉フランツ・フォン・ランゲンドンク(Franz von Langendonck)と長く愛人関係にあり、2人の間には1男1女が生まれた。息子のカール・ルートヴィヒ・フォン・フリーベルト子爵(Karl Ludwig Vicomte von Fribert, 1793年 - 1868年)は、母親からモラヴィアのディヴァーク(現在のチェコブジェツラフ郡ディヴァーキ)およびポレーラディッツ(ブジェツラフ郡ボレラディツェ)の所領を受け継いだほか、1813年にはエステルハージ家から妻を迎えた。

1805年にアロイス1世が死ぬと、その弟のヨハン1世・ヨーゼフリヒテンシュタイン家を継いだ。カロリーネは26年の寡婦生活を主にウィーンで過ごし、1831年に死去した。

参考文献[編集]

  • Centre d'Études des Dynasties Royales Européenes.