カンバーランド (重巡洋艦)

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HMS Cumberland (57).jpg
艦歴
発注 ヴィッカース・アームストロング社造船所
起工 1924年10月18日
進水 1926年3月16日
就役 1928年2月23日
退役 1959年1月14日
その後 スクラップとして解体
除籍
性能諸元
排水量 基準:9,750トン
満載:13,450トン
全長 630 ft (190 m
全幅 68 ft 3 in (20.80 m)
吃水 16 ft 3 in (4.95 m)
機関 アドミラリティ式重油専焼三胴型水管缶 8基
パーソンズギヤードタービン 4基4軸推進
最大出力 80,000 shp
最大速力 31.5 ノット(58.3 km/h)
航続距離 12ノット / 13,300海里
乗員 平時:679名
旗艦時:710名
兵装 竣工時:Mark VIII 20.3cm(50口径)連装砲 4基
Mark V 10.2cm(45口径)単装高角砲 4基
2ポンド:4cm(39口径)4連装ポムポム砲 2基
Mk.III 12.7mm(50口径)4連装機銃 2基
53.3cm 魚雷発射管4連装 2基
航空兵装 水上機:3機
カタパルト:1基
(1942年撤去)

カンバーランド (HMS Cumberland, 57) は、イギリス海軍重巡洋艦第二次世界大戦前に建造されたカウンティ級重巡洋艦の1隻。

艦歴[編集]

カンバーランドは1924年10月18日にバロー・イン・ファーネスヴィッカース・アームストロング社造船所で起工し、1926年3月16日に進水、1928年2月23日に就役した。 カンバーランドは1928年から1938年まで中国の第5巡洋艦戦隊に配属されたがその間の1935年に一旦イギリスに帰投し、水線部装甲の強化など近代化改装を施されている。 1938年に第2巡洋艦戦隊所属として南大西洋へ派遣され、同地で1939年の第二次世界大戦勃発を迎えた。カンバーランドも南米大陸沿岸を航行するドイツの封鎖突破船の捜索に従事し、同年10月からはリアンダー級軽巡洋艦アキリーズ及びエイジャックス、さらに ヨーク級重巡洋艦エクセターの3隻と共にG部隊(Force G)を編成し、大西洋からインド洋一帯で通商破壊を続けるドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペーの追跡にあたった。1939年12月5日、カンバーランドはエイジャックスと共にドイツの客船ウスクマを捕捉し、拿捕を恐れたウスクマを自沈に追い込んだ。

12月13日にG部隊とシュペーと相対してラプラタ沖海戦が発生したが、カンバーランドはフォークランド諸島ポート・スタンリーで整備中であった為にこの海戦には参加できなかった。傷ついたシュペーのウルグアイモンテビデオ入港を受けてカンバーランドもラプラタ川河口へ向かい、海戦に参加したG部隊の僚艦に合流して河口の封鎖を行った。

シュペーの自沈後は引き続き南大西洋においてドイツ艦船捜索や通商保護に従事し、その間の1940年3月に第6巡洋艦戦隊に編入されている。1940年6月2日、カンバーランドはイギリスへ向かう兵員輸送船団US3を護衛しケープタウンを出航、6月16日にイギリスに到着した船団から離れた。続いて6月25日から中東へ向かうWS1船団の護衛としてグリーノックを出航。7月16日、船団と共にケープタウンに到着し、7月19日に出航、一時ドイツ海軍仮装巡洋艦トールの捜索に動員された。7月29日に船団はセイロンに到着し、カンバーランドは護衛から離れた。

カンバーランドは9月16日、弾薬輸送中のヴィシー・フランス籍の商船ポワチエ(Poitiers)を撃沈、9月18日にはダカールを出撃したヴィシー・フランス海軍のラ・ガリソニエール級軽巡洋艦グロワールモンカルムジョルジュ・レイグの追跡に投入された。9月21日、自由フランス軍によるダカール上陸作戦(メナス作戦、Operation Menace)支援の為にクイーン・エリザベス級戦艦バーラムリヴェンジ級戦艦レゾリューション、空母アーク・ロイヤル、重巡洋艦デボンシャー等に合流したが9月23日の作戦当日、カンバーランドも沿岸砲台から命中弾を受けて中破し、8名の戦死者を出して後退した(ダカール沖海戦)。

10月からはケープタウンを拠点に大西洋での船団護衛や通商保護に従事し、ドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦アドミラル・シェーアや仮装巡洋艦トールの捜索に参加した。

カンバーランドは1941年6月30日から9月までチャタム工廠で修理を行い、改装を受けた後カンバーランドの活動の場は北へ移った。10月に本国艦隊第1巡洋艦戦隊に編入され、1942年から1943年までソ連へ向かうPQ17船団PQ18船団JW51B船団、JW53船団、ソ連から戻るQP5、QP13、QP14、RA53船団の護衛を行った。また1942年9月にノルウェー人部隊をスピッツベルゲン諸島へ上陸させるギヤボックス作戦に、1943年5月にはスピッツベルゲン諸島の守備隊を交代させるギヤボックスII作戦に参加した。このほか、1942年11月にはトーチ作戦にも参加している。

カンバーランドは1943年8月より東洋艦隊への配備を前に2番・3番主砲塔上に20mm機銃の増備、レーダー機器の更新などの改装工事を受け、1944年1月に同艦隊の第4巡洋艦戦隊所属としてインド洋へ向かった。以後は対日戦に従事し以下の作戦に参加した。カンバーランドが参加した対日作戦は以下の通りである。

1955年に撮られた試験艦時のカンバーランド。武装を11.4cm(45口径)速射砲に換装されている。

第二次世界大戦終結後、カンバーランドはインドネシア独立戦争に伴ってオランダ領東インドへ進駐したイギリス軍の支援にあたり、1945年11月にイギリスへ帰還した。その後は1946年6月まで極東からのイギリス軍部隊輸送に従事し、1949年から1951年にかけてデヴォンポートにおいて試験艦に改装され、以後は様々な兵装の試験台として使用された。1959年1月14日に除籍され、鉄屑として売却後の同年11月3日に解体の為ニューポートへ回航された。なお、その間に1956年公開のラプラタ沖海戦を描いた映画『戦艦シュペー号の最期』(アメリカ公開時のタイトルを基にした邦題。原題は『ラプラタ河の戦い』)にカンバーランドが自身として出演している。

参考文献[編集]

  • Patrick Boniface, HMS Cumberland A Classic British Cruiser in War and Peace, Periscope Publishing, 2006, ISBN 1-904381-37-5