ガールズケイリン

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ガールズケイリン(GIRL'S KEIRIN)とは、女性競輪選手による競輪として、2012年7月1日から復活した女子競輪(じょしけいりん)の正式な愛称である。

本項では、かつて競輪の創生期に実施されていた昭和期の女子競輪についても記述する。

概要[編集]

かつて、昭和の時代である1949年(昭和24年)から1964年(昭和39年)まで、女性の競輪選手による競走として「女子競輪」が存在したが、後述の通り、人気面の低落から廃止となった。廃止以後、女子競輪はしばらくの間、競輪界では黒歴史扱いされてきた[注 1]

だが、1980年代に競艇が女子レース(レディース競走)を新たな起爆剤とするべく、女子選手の大量養成に踏み切り、なおかつ、一定の人気を博すようになった影響を受ける形で、競輪界においても幾度となく女子競輪復活の話が持ち上がった。また、橋本聖子大菅小百合らによる夏冬両オリンピック出場も、女子競輪復活への契機へと繋がった。

さらに、2005年日本自転車振興会会長に就任した下重暁子が、就任当初より女子競輪の復活に意欲を見せ[1][2][3][4][5]、これを受けて、2008年から2011年まで各地の競輪場日本の女性自転車競技選手を集結させてケイリンエキシビションとして実施させた。 2010年9月30日、日本自転車振興会の後継統括団体であるJKAが、女子競輪の実施概要を明らかにしたことで、復活が事実上決定[6]2011年4月より合格者を日本競輪学校(当時の名称。現在は日本競輪選手養成所)に入校させて1年間の訓練を経た後、2012年7月より「ガールズケイリン」として正式に復活させることになった。

復活したガールズケイリンは、2012年7月1日平塚競輪場にて女子1期生となる102期生33名により48年ぶりに開催された。以後、毎年20名程度の新人選手がデビューしているが、2014年後期(7月 - 12月)より男子選手同様に登録審査制度(いわゆる『代謝』制度)が導入された[7][8]ことにより、2015年後期末以降、各期(半年)ごとに対象となった数名が成績不良により登録消除となり強制的に引退させられている。

2020年1月12日時点では、102期生21名、104期生15名、106期生11名、108期生13名、110期生20名、112期生14名、114期生19名、116期21名、短期登録(外国人)1名の計135名が選手として登録されている[注 2]

ガールズケイリン(エキシビション)[編集]

21世紀に入り、弥彦競輪場における「すぴRITS」や、松戸競輪場における「LOVE9」、小倉競輪場における「SUN FLOWERS(後のスペースエンジェルズ[10])」といったユニットによる模擬レースとは異なり、「レディース・ケイリン」と題して女子競輪が行われた。しかし、これは主に地元で集められた女子選手による模擬レースであり、ファンサービスとしてのアトラクションの一部のため、実際に同レースは車券発売の対象とはなっていない。

また、上記「レディース・ケイリン」とは別に、佃咲江和田見里美の2人が北京オリンピックに出場したことを契機に、女子自転車選手の強化の一環として、2008年からエキシビションとして「ガールズケイリン」が行われた。これには世界選手権自転車競技大会UCIトラックワールドカップクラシックスへの出場がままならない、日本の女子自転車競技界の底上げという狙いがある。加えて2012年開催のロンドンオリンピックでは女子ケイリンも正式種目として採用されることが決まり、オリンピックを睨んだ強化策の一環という意味合いもあった。

そして、この頃から水面下では女子競輪の復活が関係団体において議論されており、本格実施に向けた試行としての意味合いが大きかった[11]

2008年[編集]

2008年に佃咲江、和田見里美の2人が北京オリンピックに出場したことを契機に、女子自転車選手の強化の一環という意味合いにより実現。2008年7月から9月まで、「サマービーナスシリーズ」と題して3戦行なわれた。石井寛子が3戦中2戦、岡希美が同1戦優勝。

2009年[編集]

2009年には1月から3月まで「2009 Venus Series」と銘打って、全6戦で各地の競輪場で行なわれた。このシリーズに先立ち、サマービーナスシリーズよりも中身の濃いレース内容を目指すべく、合宿も6回行なわれた。なお、競技規則は、国際自転車競技連合(UCI)が定めるケイリンのルールで行なわれ、1日で予選と決勝を行なった[12]

優勝者は次の通り。

2010年[編集]

2010年も2009年同様、1月から3月まで全6戦行われた。同年シリーズ戦では第2、第6戦において、外国人選手の参加も見られた。優勝者は次の通り。

2010年 - 2011年[編集]

第4弾となるシリーズが下記の通り行なわれた[13]

  • 第1戦 京王閣 - 石井寛子
  • 第2戦 小倉 - 加瀬加奈子
  • 第3戦 立川 - 石井寛子
  • 第4戦 高松 - 前田佳代乃
  • 第5戦 岸和田 - 中止

ガールズケイリン[編集]

女子競輪の復活決定[編集]

現在では世界自転車選手権において2002年よりケイリン女子が実施されていることや、オリンピック種目としてのケイリン女子正式採用をにらみ[注 3]、昨今の競輪の売り上げ低迷打開策の一環として、2009年11月にJKAより2012年3月から女子競輪の開催を復活させることが発表された[15][16]

ガールズケイリンの要項と育成[編集]

JKAは当初のスケジュールとして、2010年5月に女子1回生となる日本競輪学校(当時)入学者(定員35名)を募集し、合格者は2011年1月から12月まで同校で養成され、2012年3月にデビューの予定としていたが、競輪場廃止に起因する男子選手の応募要綱変更などがあったため正式の発表がずれこみ、2010年9月30日の記者会見でようやく女子選手の応募要綱等が発表された[17]

その後の発表で女子選手の募集および養成は、2011年4月に日本競輪学校(当時)へ入学する日程で試験などが実施され、2012年7月のデビューで女子競輪を開始するスケジュールとなり、2011年2月25日に1次・2次にわたった日本競輪学校(当時)入学試験の合格者が発表され、18歳から48歳(当時)の36人が合格した。また復活する女子競輪の愛称は公募されたものの、結局はエキシビションで行われたレースと同称の「GIRL'S KEIRIN(ガールズケイリン)」とすることが発表された[18]

2011年5月9日にガールズケイリン1期生となる35人(1人は入学辞退)が日本競輪学校(当時)に102期生徒として入学し、2012年3月22日に卒業レースが行われ24日に33名が卒業した(1人は退学処分、1人は停学処分・留年)。そして5月1日をもって正式に日本競輪学校(当時)を卒業した33名が競輪選手(当時はA級2班)として登録され、7月1日からの平塚競輪場を皮切りとして48年ぶりに女子競輪が開催された。

現在では、日本競輪選手養成所(以下、養成所)を卒業した候補生たち(偶数期、20名前後)が毎年3月下旬の卒業式の翌日に選手登録され、同年5月以降に全国各地の競輪場にてデビュー(正式デビューは7月以降)している。但し、養成所において競走成績・学業がともに優秀な場合は例外的に入所した年末に早期卒業でき、通常より半年早く翌年1月にデビューできる可能性もある。

2012年7月以降[編集]

全ての選手が原則として毎月2開催(稀に3開催も)の斡旋を受けられるようになっており、失格や欠場をしない限り、毎月6走以上できるようになっている。参考に、毎月月末に刊行されている『広報 KEIRIN』によると、ガールズケイリン選手の月間平均斡旋回数は概ね2.1〜2.3回程度(補充などイレギュラーは除く)で6〜7競走くらいとなるが、月によっては男子のS級・A級よりも平均斡旋回数がやや多くなることもある[19]

1開催につき女子は2個レース(14選手)のみだが、2014年には3概定番組の「オールガールズシリーズ(AG)」も一部で実施された[20]。2015年には1概定番組(優勝者は3名でなく1名)に変更され[21]、2016年には同じく女子6個レース(42選手)が組み込まれた形での開催が「ガールズドリームトーナメント」という名称で行われた[22][23]

2013年3月より、毎年(2015年度と2020年度はなし)短期登録選手制度により来日した外国人女子選手4〜5名が、約2か月間ガールズケイリンに参戦している。

2018年4月26日 - 29日開催の函館競輪「GIIIナイター スターライトクラウン」では、毎日3レースがガールズケイリン「FII スターライトティアラ」として行われ、ガールズケイリンとしては初めて4日間開催が行われた[24]

なお、2019年12月時点で現存する43競輪場のうち、ガールズケイリンの開催実績がないのは小田原競輪場[25]小松島競輪場の2場である[注 4]

ガールズケイリン選手になるには[編集]

ガールズケイリン選手になるには、男子の競輪選手と同じく、毎年12月(各年度の第1回[26])ないし翌年3月(同第2回)に実施される、国家試験である競輪選手資格検定(以下、資格検定)[注 5]に合格しなければならない。ただ、資格検定の受験だけで競輪選手になった者は(男子も含めて)おらず、競輪選手になるためには、まず養成所の入所試験に合格し、同所にて教育・訓練を受けることが大前提となっている。

全国各地にあるいずれかの日本競輪選手会に所属することを前提に、毎年3月上旬から中旬に実施される第2回資格検定に合格すれば養成所を3月下旬に卒業となり、養成所卒業日の翌日付けで正式に競輪選手として登録される。現在は5月から6月にかけて新人選手のみで行われる『競輪ルーキーシリーズ』が実質のデビュー戦であり(2020年の118期から実施[28])、そしてその成績を基に競走得点が算出され、それをもって下半期期初となる7月以降に正式デビューすることになっている(102期以降でも期によっては5月に正式デビューしていたこともあった)。なお、養成所在所中に競走・学業ともに非常に優秀な成績を残したうえで養成所から特別に認められた場合に限り、毎年12月に実施される第1回資格検定を受験でき、かつその資格検定に合格することを条件に、養成所を年内で早期卒業した上で通常より半年早く翌年1月よりデビューすることが可能となっている。但し、ガールズケイリンにおいては118期までで早期卒業を果たした選手はいない。

ガールズケイリン選手の中には、加瀬加奈子石井寛子などのようにアマチュア時代に自転車競技で実績を残してデビューした選手のほかにも、自転車競技未経験ながら選手となった者も多い。中でも、男女通じて史上初となる、養成所で複数回ゴールデンキャップを獲得しワールドカップなど世界規模のレースで活躍する小林優香は自転車競技未経験であったため旧競輪学校時代の入学試験は技能試験ではなく適性試験で受験した。また、小林と同じくワールドカップなど自転車競技に重点を置く太田りゆ、2018年・2019年の賞金女王児玉碧衣なども適性試験受験者である。特に尾崎睦土屋珠里は適性試験での入学ながら、卒業記念レースでは予選を含めて全て1着の完全優勝を果たした。前職も、他のプロスポーツから転向した者(金田洋世や尾崎睦、猪頭香緒里など。金田と尾崎はビーチバレー、猪頭はスノーボード[29])、教師奥井迪田仲敦子など)、美容師長澤彩亀川史華[30])、看護師伊藤のぞみ)、自衛官吉岡詩織[31])のほか、モデル田中麻衣美、亀川史華[30])、お笑い芸人山路藍[注 6])、グラビアアイドル日野未来)、声優太友花[32])といった元芸能人など、様々みられている。

ガールズケイリンのルール[編集]

ガールズケイリンは、従来の競輪とトラックレースとしてのケイリンの折衷となる新しい競走形態の先頭固定競走(インターナショナル)で施行される[33]

従来の競輪ルールとの違いは以下の通り。

  • 最大7車立て
  • 男子の競走で見られるラインをあからさまに組むことは禁止[34]
    • ガールズケイリンはトラックレースとしてのケイリンのルールに準拠しているため、完全に個人戦である[34]。そのため、予想紙などでは全員が脚質は『両[注 7]』となっている。これが男子の競輪と根本的に異なる点である。
  • 競走距離は1500 - 1666m、具体的には333mバンク=5周・400mバンク=4周・500mバンク=3周[35]
  • 先頭誘導員はスタートラインの半周後方から発進し、スタートライン通過と同時に号砲となる[35]
  • 先頭誘導員の退避地点は、333m・400mバンクは残り1周半、500mバンクは残り1周[33]
  • 誘導中は、先頭を走る選手の前輪先端が誘導員の後輪後端より前に出てはならない[35]
  • 内外線幅の約2倍以上の押圧・押し上げを行ってはならない[35]
ここまでのルールを適用して、2014年1月より男子選手によるレース・KEIRIN EVOLUTIONが実施されている[36][注 8]
  • 予選はポイント制だが、第1走(初日)よりも第2走(2日目)のほうが、3着までのポイント設定が高くなっている[37]

基本的な3日間開催による予選でのポイントは、以下の通り。2日間で獲得したポイント1位 - 7位の上位7名が3日目の決勝に進出するが、7位が複数名いた場合はその7位に該当する選手を対象に抽選により決勝進出者を決定する[38]。なお、6レース制では最終日は決勝のほか選抜2レースと一般3レースが行われ、また4日間開催においては初日・2日目に予選競走を行い、3日目に準決勝、4日目に決勝を行う。

ポイント 1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 競走棄権 失格および欠場
予選1(初日) 8 7 6 5 4 3 2 1 0
予選2(2日目) 11 9 7

なお、『競輪ルーキーシリーズ』ではシステムが異なり、予選におけるポイントは1着から3着までにのみ付与される(詳細はこちらを参照)。

ガールズケイリンの自転車[編集]

ガールズケイリン専用の自転車は男子の競輪で使用する自転車より軽く[注 9]モノコックカーボンフレームに、 前輪はスポークホイール、後輪はディスクホイールを装着させており、タイヤはディスクおよびバトンホイール向けとスポークホイール向けでサイズが若干異なる[34]ハンドルステムは専用部品となるが、ハンドルバーは専用部品または男子向けの部品との選択が可能で、サドルも同様に男子向けとの選択が可能。それ以外の部品は全て男子向けの部品と共用となる[39][40]。本体で30万円ほどで、その他タイヤや部品などを合わせるとトータルで40〜50万円ほどかかる。

強風など悪天候の中での競走となる時には、リアホイールが横風を受けたときに操縦安定性の問題が発生することから、主催者の判断で男子同様の金属スポークホイールおよびタイヤに換装して競走が実施される[37]。なおガールズケイリンでは開始時より前輪に3本スポークのバトンホイールを装着していたが、これは縦方向へのジャイロ効果が横方向への操舵に影響を及ぼすこともあり[41]2016年8月31日の開催より前輪は天候に関わらずスポークホイールとなった[42]

ユニフォーム[編集]

2016年12月1日に、桜をモチーフにしたデザインにリニューアル。前年度からイベント用ジャージを担当してきた[43] 株式会社ウエイブワンが制作した[44][45]

級班・競走得点・収入[編集]

級班[編集]

2017年7月1日より、全員が新たに新設された『L級1班』の格付けとなっている[46]。但し、男子とは異なり昇降級は当面予定にないため、競走得点に関わらず全員が『L級1班』である。なお、2017年6月末までは、全員が『A級2班』の格付けであった。

競走得点[編集]

ガールズケイリンでは定期的に全選手の直近4カ月平均競走得点順位表を公表していたが、現在は keirin.jpサイト内「ランキング」のページ で最新データが毎日更新されており検索が可能である[注 10]。なお、特別競走を含めて連勝を続けても直近4カ月平均競走得点は57〜58点台が上限である[注 11]。参考に、ガールズケイリンコレクション(うち8月ステージでは「ガールズドリームレース」)1着の競走得点は62点である(2着以降は2点ずつ減点、7着は50点)[48]

また、先述の通り、ガールズケイリンでも代謝制度が導入されている[8] ため、半期(6ヶ月)ごとの平均競走得点が47点未満を3期連続(1年半)すると(例外もあるが)強制引退(クビ)となる。実際に、6ヶ月ごとに行われる審査期終了時(毎年6月末と12月末)において、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号に定める競走成績不良による登録消除の基準に該当する選手に対しては、登録消除に係る調査及び審議を行う間は同規程第134条第1項第3号の規定によりその翌月すぐに出場あっせんが保留となり、事実上の引退に追い込まれる(各期末ごとに3期平均の競走得点が下から3番目までの選手が対象となっており、この対象となった選手はいずれも直後に引退している)[49][50][51]

収入[編集]

ガールズケイリン選手の収入は、男子の競輪選手と同じく、レース出走で得られる賞金と手当[注 12]である。通常の3日間の開催では、賞金と手当を合算して、全勝の選手で50万円以上、全敗(3日間とも7着)の選手でも20万円程度の収入が得られる額になっている[52][53](なお、全てのレースにおける賞金額はこちらを参照・検索のこと)。

賞金については、最高額はガールズグランプリ1着の1005万円(2019年12月時点。副賞含む)である。また、2019年10月より全体的に賞金は増額されている。なお、2019年の1年間における、12月31日時点でのガールズケイリン選手全135名(当年7月にデビューした116期生、短期登録制度での外国籍選手、同年中に引退した選手も含む)の賞金平均取得額は6,468,313円[54]で、2018年の638万円[55]より微増であった。また、1,000万円以上を獲得したのは15名[56](過去は、2015年9名、2016年12名、2017年と2018年14名)であった。このほか、新人のみの賞金取得額上位10名についても114期以降で公表されており、116期(2019年下期)の最高は吉岡詩織の467万円であった[57]

賞金・手当以外に、競輪場までの交通費も支給される。但し、自転車等の荷物の輸送にかかる費用、自転車やその部品の購入にかかる費用などの経費は、男子の競輪選手と同じく全て自己負担である。

特別競走[編集]

ガールズケイリンにおける特別競走は、年間で以下の5大会[58]が実施される。格付けは全てFII。太字は優勝賞金が200万円以上のレース(「ガールズケイリンコレクション」8月開催はガールズドリームレースが該当)。

このほか、特別競走に準ずる競走として、1月中旬から下旬のガールズケイリンコレクショントライアルレース、11月上旬の6レース制(参加42名)ガールズケイリン[23][59]、ナイターGIIIにおける4日間開催[24]などが行われている。

2020年6月時点で、特別競走であるグランプリ、コレクション(3月開催、5月ないし6月開催、8月ないし9月開催のいずれか)、フェスティバル、グランプリトライアル全てで優勝を果たしたのは小林優香のみ。コレクション3開催全てを制覇したのは小林優香のほかに石井貴子(106期)児玉碧衣。また、石井寛子も優勝賞金が200万円以上あるグランプリ、コレクション(5月開催のみ未制覇。8月開催は「ガールズドリームレース」、「アルテミス賞レース」ともに制覇)、フェスティバルはいずれも優勝を果たしている。

2019年より、新たな特別競走として、男子の競輪での『ルーキーチャンピオンレース』に該当するレースである、デビュー2年未満のガールズ選手を対象とした新人女王戦『ガールズ フレッシュクイーン』(平均競走得点上位7名による一発勝負)が開催されることとなり、同年4月14日高知開設記念第9レースで初開催され[60]梅川風子が初代優勝者となった(2020年の第2回は中止)。

テーマソング[編集]

以下の曲は選手紹介時や選手入場時にも使用される。

歴代賞金女王[編集]

  • 2012年:小林莉子(東京) 8,460,000円
  • 2013年:中村由香里(東京) 19,489,000円
  • 2014年:梶田舞(栃木) 22,454,900円
  • 2015年:小林優香(福岡) 29,767,000円
  • 2016年:梶田舞(栃木) 24,425,000円
  • 2017年:石井寛子(東京) 22,631,000円
  • 2018年:児玉碧衣(福岡) 27,184,000円
  • 2019年:児玉碧衣(福岡)28,403,000円

主な記録[編集]

デビュー場所で完全優勝した選手[編集]

ガールズケイリンは男子の競輪とは異なり現状は全員がL級1班に所属のためクラス分けがなく、同一レースで競走得点が最上位の選手と最下位の選手が直接対戦することもあり得る。そのため、デビュー場所での完全優勝を達成するのは困難とされる[注 13]中で、2019年にデビューした116期までで、以下の各選手がデビュー場所で完全優勝を達成している(2020年から新人選手のみで行われているプレデビュー戦『競輪ルーキーシリーズ』は除く。優勝を達成した年月日を記載)。

放送媒体での実況中継[編集]

スカパー!の「SPEEDチャンネル」では、一部の開催を除き中継を行っている。

特別レースでは、年末のオッズパーク杯ガールズグランプリのみ、BS日テレ[注 14]RFラジオ日本[注 15]でも中継が行われている。なお、2015年まではガールズケイリンコレクションなども放送されていた。

その他[編集]

競輪選手同士の結婚[編集]

2014年4月の田口守と梓乃(旧姓、三輪)を始めとして、須藤悟と稚明(旧姓、近内[68]。引退)、山本紳貴と奈知(旧姓、篠塚)、千沢大輔と大和久保美[69]、川口聖翔と倉野由紀(引退)[70]、野原雅也と小川美咲(引退)、佐藤健太と長澤彩、吉成晃一と中川諒子、魚屋周成と溝口香奈[71]、中野彰人と元砂七夕美、南潤と小林彩乃[72]、田頭寛之と蓑田真璃[73]、といった選手同士で結婚する例が増えている。

田口梓乃や須藤稚明、田仲敦子(旧姓、手柴)、遥山夕貴(旧姓、梅田)、小原菜央(旧姓、出水)のように改姓に合わせて登録名を変更した選手もいるが、2014年9月1日から戸籍上の名前でなく旧姓でも選手登録が可能となった[74]ため、長澤彩、中川諒子、加瀬加奈子山路藍(引退)、田中麻衣美、大和久保美、溝口香奈、元砂七夕美などのように結婚・改姓後も旧姓のままで現役を続けている選手もいる。

ママさん選手[編集]

昭和期の女子競輪の時代とは異なり、結婚後も現役を続けているだけでなく、妊娠・出産後レースに復帰し、子育てをしながら現役を続ける選手も増えてきている。

ガールズケイリンにおいて妊娠・出産後レースに復帰したママさん選手は、加瀬加奈子、大和久保美[75]、田口梓乃、猪頭香緒里[29]、山路藍(引退)、山本奈知、溝口香奈[71]がいる(デビュー順)[76]。特に加瀬加奈子は復帰後も優勝を果たしており[77]、産休前と変わらぬ活躍をしてる。なお、妊娠が発覚した場合はあっせん保留となり以後あっせんされていたレースは全て欠場扱いとなるが、現状では妊娠が欠場理由にはないためそれらは『病気欠場』扱いとなっている。

このほか、高松美代子森美紀(ともに引退)のように、競輪選手になる前から既に母親となっていたケースもある。

ガールズケイリンカフェ[編集]

GI・GII開催中の競輪場を始め、競輪場以外でも自転車関連のイベントなどで、不定期にオープン。当日斡旋のないガールズケイリン選手数名が、場内の特設ブースでカフェ店員として来場者をおもてなしする企画。

選手自らが先頭に立ってグッズやドリンクなどの販売を行うため、ファンにとっては選手と直接触れ合える機会とあって人気は高く、開門と同時に押し掛けるファンも見られている[78]。開催予定日と開催予定競輪場は、特設サイトやfacebookなどで告知される。

2015年3月、日本選手権を開催中の京王閣競輪場で初めて開設。最初に店員として登場したのは、地元・京王閣を拠点とする高木真備。それから2016年6月まではガールズケイリンの特別レースが行われる競輪場限定で出店されていたが、それ以降はGI・GII開催中の競輪場で出店しているほか、2016年10月に宇都宮市で行われた「ジャパンカップサイクルロードレース2016」でもオープンするなど、自転車関連のイベントでも特別に出店することもある。

2020年6月時点では、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため実施されていない。

顔より太もも。[編集]

ガールズケイリンをPRするために制作された、ポスターをメインとしたビジュアル広告。『顔より太もも。』のキャッチコピーとともに、現役のガールズケイリン選手がモデルとなり、毎年12月頃に新作が公開されてきたが、第7弾は製作されていない。

第1弾
田中麻衣美
第2弾
白井美早子加瀬加奈子猪子真実(三人のものと、各人のものとで計4種類製作)
田中麻衣美、石井寛子、青木志都加(三人のものと、各人のものとで計4種類製作)
第3弾(2015年12月 - 2016年12月)
高木真備小川美咲(2種類製作)
第4弾(2016年12月 - 2017年12月)
高木真備、小川美咲 ※2年連続
第5弾(2017年12月 - 2018年12月)
山本レナ元砂七夕美
第6弾(2018年12月 - )
児玉碧衣太田りゆ

このほか、特別レースのみの特製ポスターも製作されており、ガールズケイリンを題材とした漫画「閃光ライド」が起用されたりした。

なお、過去のポスターのビジュアルはこちらで確認できる。

女子競輪[編集]

昭和の競輪創世期には、女性のプロ競輪選手だけで行われた競輪「女子競輪」が存在し、代表的な女子選手として、奈良田中和子神奈川渋谷小夜子山口畑田美千代などがいた。

『競輪の生みの親』とされる倉茂貞助は、競輪創設時に「競馬に対抗するためには何とか新機軸をひらかねばならん」という考えから、女を走らせなければ自転車競技に新鮮味を持たせることができない、としきりに言って女子競輪の開催にこぎつけた[80]

まずは103名を募集し[81][注 16]1948年11月、小倉競輪場での競輪初開催と同時に女子競輪もオープンレースとして開催された[82]。倉茂は女子のレースも男子のそれと同様に車券の対象としたかったが、一条信幸[注 17]に強硬に反対されたこともあり、当初はオープンレースとしての開催となった[80]。だが、観客からは拍手喝采で迎えられ、その反応は車券の対象となる男子の競走にも劣らないものであった[82]1949年10月に行われた第2回全国争覇競輪で正式な競輪としてのレースとなり[83]、当初は女性の新職業として大いに脚光を浴びた[82]

女子選手の格付けは、開始当初はA級・B級の2層(当時の男子はA級・B級・C級の3層)とされた[84]が、1951年3月の全国競輪施行者協議会の総会において、男子はA級・B級の2層とした上で、女子は男子B級待遇とすることが決まり、B級1班・2班の2班制となった[84](当時の男子はA級5班・B級2班による2級7班制で[85]KPK実施までこれが維持された)。

当時の自転車はリムが木製であり、またバンク地面がセメントではなく板張りのところもあった。元選手によると、移動は夜行列車が中心で、四人が向かい合うボックス席の座席と座席の間に板を渡して、足を伸ばして寝ていたこともあった。賞金は、大卒の初任給の平均が9,000円の時代に、多い時で4万円あったという。他に賞品もあり、着物、鶏肉、タンスなどが贈呈されたが、宅配便などなかった時代であり、荷物はすべて自分で持って帰っていたという[86]

開始当初は女性誌等のグラビアで取り上げられるなど、多方面に話題を提供したこともあった[87]。また、京王閣競輪場では年に1度「ミス・ケイリン」と題した女子選手のみでの開催が行われていたことがあり、オール女子選手による開催でも売り上げはそれ以外の普通開催にも劣らなかったことから、その企画が賞賛されたこともあった[88][89]

女子競輪においても特別競輪(現在で言うGIレースに相当)があり、当初は全国争覇競輪高松宮妃賜杯競輪全国都道府県選抜競輪競輪祭にて女子の部が開催されていた。だが、1957年の第12回全国争覇競輪の女子の部が直前になって突如中止されて以降は徐々に縮小され、競輪祭は1958年の第4回大会以降では実施されず、また全国都道府県選抜競輪でも1962年の第19回大会が最後となり、女子競輪が廃止された1964年時点では高松宮妃賜杯競輪のみとなった(各大会の優勝者はそれぞれの項目を参照のこと)。

畑田美千代が田中和子に取って代わって優勝した1956年の第11回全国争覇競輪あたりまでが女子競輪の人気のピークであった[87]が、後述の理由で次第にその人気は下火となり、多くの競輪場が女子競輪の開催に及び腰となっていった[注 18]。最盛期の1952年には669名もの女性選手が在籍した[注 19]が、体力の限界や結婚などで引退する者が相次いだ上にデビューする新人選手の数も減り、1959年には394人、1961年には294人にまでその数を減らしていった。また、デビュー当時18 - 19歳だった選手らも徐々に高齢化し、晩年には「ミセス・ケイリン」とまで揶揄される有様であった[89]

結果的に女子競輪の人気は長続きせず、廃止直前の1964年の時点では女子選手1人当たりの斡旋回数は1か月間で平均1回程度[90]という有様であった。そして同年8月、末期まで残った230人[91][90][注 20]の女子選手全員の登録消除が決定し、9月8日に開催された名古屋競輪場でのレースが最後となり[83]10月31日付けで選手登録消除[注 21]となり全員が引退し、開始から僅か15年ほどで昭和期の女子競輪は幕を閉じた。そして翌11月に各地区の自転車競技会単位で送別会が行われ、最後まで残った女子選手全員に記念品と感謝状が贈呈された[92]

その後、1965年6月8日に行われた第16回高松宮杯最終日にて、かつて高松宮妃賜杯に参加した元女子選手のうち13名[注 22]が招待され、近江神宮にて参拝後に座談会、閉会式では高松宮殿下を囲んでの歓談と記念撮影が行われた[94]

なお、女子選手が男子選手と結婚[注 23] し、その子供も競輪選手になったという例としては、中野浩一、佐々木和徳・昭彦浩三の三兄弟、大森芳明、近藤幸徳などがあげられる。共に競輪選手であった福田明・恵津子夫婦は、陽生・祐治・匡史・篤司の4人の息子が競輪選手になり、さらに篤司の息子の拓也[95]、祐治の娘の礼佳[96]も競輪選手になった。特に、恵津子と礼佳は、祖母と孫娘が競輪選手という現在まで唯一の例である。大森芳明の息子、慶一・光明[97]や、近藤幸徳の息子、良太(故人[98])・龍徳もともに競輪選手となり、特に龍徳はヤンググランプリを制覇するなどトップレーサーに登り詰めている。姉妹兄弟としては西本喜美子が2人の弟が競輪選手だったことから興味を持ち、自らも選手となったことで三姉弟選手が誕生した例がある[99]

当時の女子競輪の様子と社会情勢については、元選手による自伝『女子競輪物語 青春をバンクにかけて』(原田節子[注 24]著、ISBN 978-4-286-14361-3)に詳しい記述がある。

女子競輪衰退の理由[編集]

昭和期の女子競輪が衰退していった理由としては

  • 男子と比べれば選手の数が少ない上に、元々選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多かった。最後の直線でのデッドヒートはまず起きず、大概は100円台の配当であり、たまに本命選手が敗れる番狂わせが起これば万単位の大穴が出る、といった状況[82]で、ファンとしては車券が買いづらくギャンブルとしての魅力が乏しかったこと[100]。女子は生理などで体調管理が難しい面もあり、当時は予想屋が懇意の客に「今日●●(選手名)は生理だから来ない(連に絡まない)よ」と囁くことも多かったという。
  • 女子選手は上記の田中や畑田のように西日本に多かった一方で、比較的女子競輪の人気が高かったのは南関東など東日本であり、施行者側も人気強豪選手を呼ぶには多額の交通費を支払うことになるため、経費面がネックになっていったこと。特定の地区に選手が偏っていたこともあり、斡旋する側も番組編成に困難をきたしていた[88]
  • 「家庭の都合」などを理由に競走不参加を続ける不真面目な選手も多く見られるなど『プロ意識』に欠ける選手も多く、施行者側としても選手確保に頭を悩まされたこと。中には競走参加の意思表示をしながら前検日に競輪場に現れず"ドタキャン"する選手や、勝ち目がないと分かると無気力に走る選手などがおり、特にこれらについては施行者側から改善するよう要望書が出されたほどであった[101]。ただ一方で、以下のように著しく抑えられた斡旋回数に対して真剣に改善を訴える選手もおり、1961年2月には代表して7名の女子選手が当時の全選手の署名を集めた陳情書を携えて通産省などに陳情に訪れている[102]
  • 元々男子と比べて賞金体系が低く設定されていたこと[注 25]や、人気低下から女子競輪の開催自体が減少したため、収入に結びつかない選手が増えたことで競輪選手に対する魅力が薄れ、新たに競輪選手を目指そうとする女性が減少し新陳代謝が進まなかったこと。
  • 圧倒的な強さを誇ったスター選手の田中和子らの引退と、それに代わる新しいスター選手を育てられなかったこと。
  • 男子は競輪が開始される以前、古くは明治時代から新聞社等の主催による自転車競技大会が盛んに行われるなど「アマチュア選手」としてそれなりの下地を積んだ選手が少なからず入ってきたが、女子は当時、自転車競技そのものに取り組む選手が皆無同然だったため、ごく一部の選手を除いて最初から選手の質の維持に問題があったこと。
  • 女子のプロスポーツ選手が本格的に注目されるようになったのは、ゴルフの樋口久子、ボウリングの中山律子須田開代子、プロレスのマッハ文朱らが出現した昭和40年代になってからであり、女子競輪が存在した頃の日本女子スポーツ界はまだオリンピックを頂点としたアマチュアスポーツ全盛の時代で、一定の年代が訪れると概ね結婚のため現役を退いた[注 26]時代でもあった。したがって現代のように、アマチュアスポーツからプロスポーツへの転身などほとんど考えられていなかった時代であり、高い能力を有する選手の流入に限界があったこと。

などが挙げられている。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 月刊競輪(月刊誌としての発行期間は1976年 - 2012年)の毎年2月号に掲載される年間記録集を見ると、1980年代までは、女子の特別競輪優勝者の掲載が全くなかった(1990年代以降は再び掲載されるようになった)。
  2. ^ 但し、短期登録の外国人選手や長期欠場している者とで非実働選手が10名ほどいるため、実働選手は120名ほどである[9]
  3. ^ 女子競輪復活の発表後、ケイリン女子が2012年のロンドンオリンピックから正式種目として採用された[14]
  4. ^ 小田原、小松島の両競輪場は、女子選手用の控室が設けられていないためガールズケイリンの開催実績がない。
  5. ^ 面接、身体検査、実技(200mおよび500mの時間計測や自転車整備技能)のほか、学科(ペーパーテスト)として自転車競技法および同法施行規則といった法規に関する問題や自転車競走実施規則に関するガイドライン、一般教養、スポーツに関する医学知識などが出題される[27]
  6. ^ お笑い芸人になる前に競技スポーツ(テコンドー)の経験がある。
  7. ^ 男子の競輪で言う『自在』のこと。先行、捲り、マーク何でもできる、という意味。
  8. ^ なお、「オリンピックルール準拠」とあるが、実際は先頭固定競走(インターナショナル)ルールにより実施されている。
  9. ^ 重さは7kgくらい。男子の自転車は8kgくらい。
  10. ^ 「ランキング」では、男子も含め、最新の年間ないし直近4カ月平均競走得点ベスト50位のほか、獲得賞金上位なども検索可能。
  11. ^ 1着回数が非常に多い小林優香が2017年7月のガールズケイリンフェスティバル優勝で58.06に乗せたが、ガールズケイリンにおける連勝新記録を達成した時点での梶田舞でも57点台であった[47]
  12. ^ レースに出走すれば、1日あたり出場手当26,000円と正選手手当(日当)4,000円の計30,000円が必ず支給されるため、1開催3日間出走すれば計90,000円は必ず得られる。ほかに雨天時・降雪時、ミッドナイト競輪など日中以外の開催、正月三が日の開催などで出走すれば、それぞれに応じて手当が出場手当・正選手手当とは別途で支給される。
  13. ^ ただ、新人選手の多くがデビューする7月は強豪選手が勢揃いするビッグレース『ガールズケイリンフェスティバル』が開催されることから、上旬から中旬にかけて斡旋されるレースによっては最上位選手の参加が少ないため、新人選手でも勝つチャンスが高まる。
  14. ^ 2016年・2017年はTOKYO MXが東京ローカルで放送したため放送せず。
  15. ^ 年度によりネットする放送局あり。
  16. ^ この頃は現在のような資格検定の制度はなかったため、各地区の自転車競技会がそれぞれ独自でプロテスト(実技と学科試験)を実施していた。
  17. ^ 競輪創設メンバーの一人。戦前から自転車競技大会の運営に携わり、サイクリストセンター(のちの日本競輪選手養成所)初代所長にもなった人物。
  18. ^ それでも西宮競輪場甲子園競輪場などのように、晩年でも積極的に女子競輪を開催した競輪場もあった。
  19. ^ 昭和期の女子競輪における最終登録番号は1016番であり[84]、1000人強が選手として活躍したことになる。
  20. ^ 『競輪四十年史』の別のページや『競輪三十年史』では229名との記述がある[84][92]
  21. ^ 正式には、1964年10月31日付「競輪審判員、選手および自転車登録規則第二〇条第一号」により選手登録消除[91]
  22. ^ 当日の招待者は、石村美千代、川崎喜登美(以上山口)、松川光子(香川)、庄司絹子(京都)、森耐子、奥野真弓、西村喜代香(以上大阪)、田中和子<家庭の都合で欠席>、松下五月、中西美和、東口節子(以上兵庫)、渋谷小夜子(神奈川)、加古政子(群馬)。この他、第12回優勝者の中村金子(熊本)は1964年に事故死したことが語られている(正しくは、1963年9月30日に行われた会津競輪場でのレース中における頭蓋底骨折による事故死)[93]
  23. ^ 田中和子は高橋恒と、畑田美千代は石村正利と結婚した他、多くの例がある。
  24. ^ 上記の、第16回高松宮杯最終日に招待された一人である東口節子のこと。
  25. ^ とは言え、元選手によると、当時の賞金は大卒の初任給よりははるかに高額であった[86]
  26. ^ 黎明期の強豪選手であった渋谷小夜子も「女は結婚しなければ」という思いから僅か3年で現役を引退している(詳細は当人の項目を参照)。

出典[編集]

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  • 日本自転車振興会『競輪三十年史』、1978年。
  • 日本自転車振興会『競輪四十年史』、1990年。
  • 近畿競輪運営協議会『近畿競輪二十年史』、1968年。
  • 古川岳志『競輪文化 - 「働く者のスポーツ」の社会史』青弓社、2018年。ISBN 978-4-7872-3429-2。

関連項目[編集]