キッド (DD-661)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS Kidd (DD-661) at Baton Rouge, Louisiana (USA), on 26 August 1988.jpg
艦歴
発注
起工 1942年10月16日
進水 1943年2月28日
就役 1943年4月3日
退役 1964年6月19日
その後 ルイジアナ州バトンルージュにて博物館として保存
除籍 1974年12月1日
性能諸元
排水量 2,050 トン
全長 376 ft 4 in (114.7 m)
全幅 39 ft 6 in (12.1 m)
吃水 13 ft 8 in (4.2 m)
機関 2軸, 60,000 shp
最大速 38ノット (70 km/h)
乗員 士官、兵員329名
兵装 5インチ砲5門
20mm砲7門
40mm砲10門
爆雷軌条2基
爆雷投射機6基
21インチ魚雷発射管10門

キッド (USS Kidd, DD-661) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦。艦名は太平洋戦争での真珠湾攻撃において、戦艦アリゾナに乗艦し戦死したアイザック・キッド少将に因む。

同名の艦としてはキッド級ミサイル駆逐艦キッド (USS Kidd, DDG-993)アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦キッド (USS Kidd, DDG-100)がある。

艦歴[編集]

キッドは1942年10月16日にニュージャージー州カーニーのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工、1943年2月28日にアイザック・キッド夫人によって進水した。1943年4月23日、アラン・ロビー艦長の指揮下就役する。乗組員は総じて若く、年齢詐称した14歳の少年までいた。

第二次世界大戦[編集]

キッドは習熟任務をかねた4ヶ月間の大西洋護衛任務を終え、8月に戦艦アラバマ、サウスダコタと共に太平洋に移動した。10月5日のウェーク島攻撃に参加し、不時着したパイロットの救出にあたった[1]。11月11日、本艦は空母エセックス、バンカーヒル、インディペンデンスと共にラバウル攻撃に参加した。僚艦と共に20機あまりの日本軍機の襲撃を撃退し、九九式艦爆1機、九七式艦攻2機を撃墜[2]。ロビー艦長はシルバースター勲章を受章した。キッドは休む間もなくタラワ環礁攻略戦に参加し、軽空母インディペンデンスの護衛任務についた。11月21日午後6時、一式陸攻7機を発見し、対空砲火で2機を撃墜するも、インディペンデンスへの雷撃を許した。インディペンデンスは大破して戦場を離脱。ロビー艦長は、「ワンショットライター」の渾名をもつ一式陸攻が、その名を裏切る頑丈さを発揮したことに驚いた[3]

1944年、キッドは第50機動部隊に所属し、マーシャル群島攻撃に参加。6月にはサイパン攻撃に参加し、日本軍機1機を撃墜した。一部の乗組員が日本軍機パイロットの遺体をもてあそび、骨を標本にしようとしたため、艦長は断固としてこの野蛮な行為をやめさせた。日本人パイロットの遺体は、アメリカ海軍の儀式に従って水葬にふされた[4]。7月、グアム島攻撃に参加し、8月27日に真珠湾に帰還。キッドは35名の友軍不時着パイロットを救出した。

8月、アラン・ロビー艦長が転勤し、かわってモアー中佐が赴任した。モアーは船酔いするか酒に酔うかのどちらかといった人物であり、艦内の士気と規律は短時間のうちに低下した[5]。12月にオーバーホールのため戦列を離れ、アメリカ本土に戻った。レーダーの換装と機銃の大口径化を行う改装は1945年2月に終わった。そして沖縄戦に参加するため、ウルシー環礁へ向かう。キッドの乗組員は日本の敗戦を確信し、楽観的気運の中で特攻隊が待つ沖縄へ向かった[6]

3月19日から22日にかけて、曳航される空母フランクリンを護衛し、日本軍機の追撃を阻止した[7]。4月11日、キッドはピケット艦として機動部隊の前方に出た。14時10分、零戦が左舷に命中。死者38名、負傷者50名あまりを出した[8]。損傷したキッドはウルシー泊地に退避して応急修理をしたのち、5月25日にアメリカ西海岸のサンフランシスコ海軍造船所に到着した。修理を終えたキッドは1945年8月1日に真珠湾に戻ったが、終戦に伴いサンディエゴに移動して不活性化された。1946年12月10日に除籍。

朝鮮戦争[編集]

朝鮮戦争の勃発に伴い、1951年3月28日に艦隊に再編入される。6月18日にアジアに向けて出港し、7月15日に横須賀に到着した。キッドはタスクフォース77に加わり、9月21日まで朝鮮半島の東側で哨戒任務に就いた。また 10月21日から1952年1月22日までは沿岸の攻撃目標に対して艦砲射撃も行った。その後第152駆逐艦分隊としてサンディエゴに移動し、1952年2月6日に到着した。


1964年6月19日退役しルイジアナ州バトンルージュにおいて博物館として保存されている。

キッドは第二次世界大戦の戦功で4個の、朝鮮戦争の戦功で4個の従軍星章を受章した。

脚注[編集]

  1. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』59頁
  2. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』61頁
  3. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』64頁
  4. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』65頁
  5. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』66頁
  6. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』68頁
  7. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』196頁
  8. ^ 平義克己『我敵艦ニ突入ス』213頁

参考文献[編集]

  • 平義克己『我敵艦ニ突入ス 駆逐艦キッドとある特攻、57年目の真実』扶桑社、2002

関連項目[編集]