キプロス王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年2月) |
キプロス王国は、中世のキプロス島を支配したラテン系の王国で、十字軍国家の一種である。第3回十字軍の際に十字軍に征服され、その後はエルサレムから追われた十字軍国家・エルサレム王国の末裔が統治した。
成立[編集]
イングランドのリチャード1世は十字軍としてエルサレム王国救援に向かう途中、地中海の東ローマ帝国領キプロス島に寄港したところ(当時は皇族のイサキオス・コムネノス(en)がキプロスに拠って反乱をおこし、帝国から自立していた)、敵対関係を生じたため、この島を図らずも占領した。リチャード1世にしてみれば別に用もない島だったので、エルサレム王ギー・ド・リュジニャン(在位1186年 - 1192年)にキプロス島を売り飛ばした。
ギーはもともとフランスの騎士で、十字軍としてエルサレムに赴いた。その後、十字軍国家であるエルサレム王国の王女シビーユ(在位1186年 - 1190年)と結婚し、後にシビーユがエルサレム女王に即位したため、その共同統治者となった。ところが、1187年にイスラムの英雄サラーフッディーンにハッティンの戦いで敗れ、エルサレムまで奪回されティールの港に追い詰められた。リチャード1世らの来援(第3回十字軍)は、エルサレム王国救援のために派遣されていた。
ティール港はヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサの商船が集まるレバント貿易(東方貿易)の重要港で、ティールを抑えているギーにはエルサレムを失ったとはいえ、莫大な関税収入があった(なお、この前後に女王シビーユは亡くなっていた)。ギーはサラーフッディーンに追い落とされればキプロスに逃げていくつもりだったのだろう。この島は後に十字軍国家にとって重要な後方供給基地となる。
エルサレム王国の末裔たち[編集]
1194年にギーが没すると、エルサレム王国はシビーユの異母妹に当たるイサベル1世(在位1192年 - 1205年)に継承された。一方キプロス島は、ギーの兄であるエメリー・ド・リュジニャンに継承された。エメリーは1197年にエルサレム女王イサベル1世と結婚し、女王の配偶者として、エルサレム王も兼ねた。1205年エメリーが没すると、キプロスはエルサレム王国から分離し、以後300年にわたってリュジニャン王朝が支配する。
イタリア海洋都市国家への依存[編集]
1291年に十字軍勢力の最後の拠点としてシリアに残されていたアッコン(アッカ)がマムルーク朝によって陥落すると、キプロスは最もシリアに近いキリスト教徒側の拠点という位置から、レバント貿易に従事する人々の間で重要性が高まった。この結果、キプロスを巡ってヴェネツィアとジェノヴァの間で対立が深まり、1373年にはジェノヴァの艦隊が島の南西に位置するファマグスタを占領するという事件も生じた。
キプロスは東地中海における西欧最後の拠点として、アッコン陥落後もたびたび企図された十字軍遠征やイスラム勢力攻撃の基地となった。聖地騎士団、イタリア諸都市、西欧各国と組んだキプロス王国は、14世紀にはたびたび小アジアやエジプトを襲っている(1344年のスミルナ十字軍、1365年のアレクサンドリア十字軍など)。
一方キプロス王家は、後継者争いやマムルーク朝などのイスラム国家との抗争のために疲弊し、イタリア諸都市に深く依存するようになっていた。中でもヴェネツィア貴族のコルナーロ家との関係は厚く、その支援に対して度々特権を付与することが行われた。また1464年に王位に就いたジャック2世はその即位前に異母妹と王位を巡って争ったが、この時もヴェネツィアからの支援を受けてこれに勝利し、コルナーロ家の娘カタリーナを妻に迎えている。しかしジャック2世は後継者の男子を得て程なく病死し、ジャック3世となったその男子も夭折するとカタリーナが女王となり、その16年後の1489年に彼女はキプロスを自らの祖国であるヴェネツィアに譲り、ここにキプロス王国はその幕を閉じた。
歴代君主[編集]
- ギー・ド・リュジニャン (1192年 - 1194年) エルサレム王 (1186年 - 1190/92年)
- エメリー・ド・リュジニャン (1194年 - 1205年) エルサレム王 (1198年 - 1205年)
- ユーグ1世 (1205年 - 1218年)
- アンリ1世 (1218年 - 1253年)
- ユーグ2世 (1253年 - 1267年)
- ユーグ3世 (1267年 - 1284年) エルサレム王 (1268年 - 1284年)
- ジャン1世 (1284年 - 1285年) エルサレム王(ジャン2世)(1282年 - 1285年)
- アンリ2世 (1285年 - 1324年) エルサレム王 (1285年 - 1324年)
- ユーグ4世 (1324年 - 1359年)
- ピエール1世 (1359年 - 1369年)
- ピエール2世 (1369年 - 1382年)
- ジャック1世 (1385年 - 1398年)
- ジャニュ (1398年 - 1432年)
- ジャン2世 (1432年 - 1458年)
- シャルロット (1458年 - 1460年)
- ジャック2世 (1460年 - 1473年)
- ジャック3世 (1473年 - 1474年)
- カタリーナ・コルナーロ (1474年 - 1489年)
系図[編集]
リュジニャン家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ8世 リュジニャン領主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ | エシーヴ (ボードゥアン・ディブラン娘) | エメリー・ド・リュジニャン | イザベル1世 エルサレム女王 | アンリ・ド・シャンパーニュ | ギー・ド・リュジニャン | シビーユ エルサレム女王 | アンティオキア公家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リュジニャン家 (ラ=マルシュ伯) (アングレーム伯) | ブルゴーニュ 1=トゥールーズ伯レーモン6世 2=ゴーティエ・ド・モンベリアル | ユーグ1世 | アリス | エルヴィーズ =レーモン・ルーペン (アンティオキア公子) | シビーユ =アルメニア王レヴォン2世 | ボエモン4世 アンティオキア公 | メリザンド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゴーティエ4世・ド・ブリエンヌ | マリー | アリス (モンフェッラート侯グリエルモ6世娘) | アンリ1世 | プレザンス (アンティオキア公ボエモン5世娘) | イザベル | アンリ | マリア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユーグ1世・ド・ブリエンヌ | ステファニー (アルメニア王ヘトゥム1世妹) | ユーグ2世 | イザベル (ベイルート領主ジャン2世・ディブラン娘) | ユーグ3世 | イザベル (キプロス元帥ギー・ディブラン娘) | マルグリット =ティルス領主ジャン・ド・モンフォール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ボエモン (?-1281) | ジャン1世 | アンリ2世 | コスタンツァ (シチリア王フェデリーコ2世娘) | アモーリー (?-1310) ティルス領主 | イザベル (アルメニア王レヴォン3世娘) | ギー | エシーヴ (ベイルート領主ジャン2世・ディブラン娘) | マリー (?-1322) =アラゴン王ハイメ2世 | マルグリット (?-1296) =アルメニア王トロス3世 | アリス =ガリラヤ公バリアン・ディブラン | イザベル 1=コスタンディン (アルメニア王ヘトゥム1世弟) 2=アルメニア王オシン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギー (コスタンディン4世) アルメニア王 | ボエモン | ジャン | マリー (ヤッファ伯ギー・ディブラン娘) | ユーグ4世 | アリス (ニコシア領主ギー・ディブラン娘) | フィリップ ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン侯子 | イザベル =ウード・ド・ダンピエール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イザベル(マリア) =モレアス専制公マヌイル・カンダクジノス | レヴォン6世 アルメニア王 | マリー (ブルボン公ルイ1世娘) | ギー ガリラヤ公 | エシーヴ (オンフロア・ド・モンフォール娘) | ピエール1世 | エレオノーラ (アラゴン・リバゴルサ伯ペドロ娘) | ジャン アンティオキア公 | アリス (ギー・ディブラン(キプロスのセネシャル)娘) | エルヴィーズ | ジャック1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア・ド・モルフォー | ユーグ ガリラヤ公 | ヴァレンティーナ (ミラノ僭主ベルナボ・ヴィスコンティ娘) | ピエール2世 | マルグリット | ジャック トリポリ伯 | シャルロット (ラ・マルシュ伯ジャン1世娘) | ジャニュ | マリー =ナポリ王ラディズラーオ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン2世 | エレニ (モレアス専制公テオドロス2世娘) | アンヌ =サヴォイア公ルドヴィーコ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カタリーナ・コルナーロ | (庶子) ジャック2世 | ジョアン ポルトガル・コインブラ公 アンティオキア公 | シャルロット | ルドヴィーコ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
:キプロス王
参考文献[編集]
- Steven Runciman, A History of the Crusades Vol.III, Cambridge University Press, 1954.
- Peter W. Edbury, The Kingdom of Cyprus and the Crucades, 1191-1374, Cambridge University Press, 1993.
- 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年