クイーン (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クイーン (英語: Queen) は、イギリスロンドン出身のロックバンド

クイーン
Queen – montagem – new.png
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン[1]
ジャンル
活動期間 1971年 -
レーベル
公式サイト クイーン公式サイト
メンバー
旧メンバー
ロゴ

1970年代前半のハード・ロック・ブームの中でデビューし、その後スタイルを変化させながら世界中で成功を手にした。合計で1億7千万枚〜2億枚の音楽作品を売り上げたとされ[2][3]1970年代に結成されたロックバンドではAC/DCと並んで1位[4]ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて第3位[5]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」にて第52位[6]2001年マイケル・ジャクソンエアロスミスらと共にロックの殿堂入りを果たしている。

1991年リード・ボーカルフレディ・マーキュリーが死去してからも、活動は断続的に続いている。2020年現在、ギターブライアン・メイドラマーロジャー・テイラーの2人は、ボーカルにアダム・ランバートを迎えて「クイーン+アダム・ランバート」として活動している。

メンバー[編集]

全員がギターキーボードピアノシンセサイザーチェレスタも含む)を演奏できるため、この表に当てはまらない場合も多い。各メンバーのページを参照のこと。

名前 生年月日 出身 担当 在籍期間
ブライアン・メイ
(Brian May)
(1947-07-19) 1947年7月19日(72歳) イングランドの旗 イングランド
ミドルセックス ハンプトン英語版
ギター
ボーカル
1970年 - 現在
ロジャー・テイラー
(Roger Taylor)
(1949-07-26) 1949年7月26日(70歳) イングランドの旗 イングランド
ノーフォーク キングズ・リン
ドラムス
ボーカル
1970年 - 現在
旧メンバー
フレディ・マーキュリー
(Freddie Mercury)
1946年9月5日 - (1991-11-24) 1991年11月24日(45歳没) ザンジバル ザンジバル保護国
ザンジバルシティ ストーン・タウン
ボーカル
ピアノ
1970年 - 1991年
ジョン・ディーコン
(John Deacon)
(1951-08-19) 1951年8月19日(68歳) イングランドの旗 イングランド
レスターシャー オードビー英語版
ベース 1971年 - 1997年

音楽的特徴[編集]

クイーンは音楽的嗜好の異なるメンバー全員が作曲に参加するため、プログレッシブ・ロックアート・ロックグラムロックアリーナ・ロックなどその作風は幅広い。しかしながら、多くの曲に共通して見られる特徴がある。

そのひとつとしてエレクトリック・ギターの音を多重録音することによって作られるギター・オーケストレーションが挙げられる。 これを生み出すブライアン・メイの手製ギター「レッド・スペシャル」は、机のオークや暖炉のマホガニーを素材にメイの父親と共に製作されたもので[7][8]、当時ではまだ珍しかった位相で音を変えるフェイズスイッチ、ローラーブリッジなどの斬新なアイデアが盛り込まれた。シンセサイザーを用いずにギター・オーケストレーションで重厚なサウンドを生み出していることを明示するため、初期の作品には「ノー・シンセサイザー」というクレジットがなされていた。

マーキュリー、メイ、テイラーの3人が声を何重にも重ねることによって作られるハーモニーも、『オペラ座の夜』や『華麗なるレース』などで見られるクイーンの音楽的特徴とされている。「ボヘミアン・ラプソディ」でのオペラ風コーラスの録音では、180回ものボーカルのオーバー・ダビングを行なったことがメイによって証言されている[9]

現役時代の来歴[編集]

デビューに至る経緯[編集]

クイーンの母体となったのは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが在籍していたバンド「スマイル」であった。

1969年9月、スマイルがシングル「Earth」(B面は「Step On Me」)をリリース[10]。これはまったく成功せず、ボーカル兼ベースのティム・スタッフェルが脱退[11]。その後任として、加入したのがスタッフェルの同級生でバンドとも知り合いだったフレディ・マーキュリーであった[12]

1970年7月12日、この日のライブから「クイーン」と名乗り始める。

1971年2月、入れ替わりを繰り返していた[13]ベーシストがオーディションでジョン・ディーコンに固定。クイーンの英公式サイトでは、4人が揃ったこの1971年を正式なバンド結成の年としている[14]

初期(1973年〜1976年)[編集]

1973年7月13日、スタジオ盤『戦慄の王女』で本国デビュー。先行シングルとして『炎のロックンロール』が1週間前の7月6日に封切られた。日本での発売は1974年。

本作リリース当時、母国イギリスでは「ロックなのに曲構成が複雑で、サウンドに小細工が多い」「ディープ・パープルレッド・ツェッペリンイエス[15]の亜流」などとメディアから酷評され、「遅れてきたグラムロックバンド」と見られることもあった。また、彼らは本作制作から発売までに2年近くももたつき、レコード契約から1年以上待機させられたため「発売時にはあらゆる意味で、時代遅れになっていた」と後にマーキュリーが回想している。

1977年、ニューヘイヴン公演。

1974年3月、第2盤『クイーン II』を発表。イギリスのメディアの評価はいっこうに変わらなかったが、シングル曲「輝ける7つの海」のヒットもあり、アルバムは全英5位まで上がるヒット作になった。このアルバムをきっかけに本格的なブレイクにつながるようになる。

1974年、第3盤『シアー・ハート・アタック』を発表。先行シングル「キラー・クイーン」が全英2位のヒットとなる(後にマーキュリーは作曲者としてアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞する)。また同年、ディープ・パープルモット・ザ・フープルの前座として初の全米ツアーを行うが、メイが肝炎にかかってしまいツアーの途中でクイーンは降板を余儀なくされる。

1975年2月、カンサススティクスらの前座として再び全米ツアーを開始する。ツアーは各地で大盛況を得て、「キラー・クイーン」は全米12位まで上昇する。しかしツアーの途中、今度はマーキュリーが喉を痛めてしまう。マーキュリーはしばらく安静状態を強いられたが、その後、回復してツアーを無事終了させる。

同年4月、初来日。この頃、既に日本では王子様的なルックスや煌びやかなサウンドから若い女性を中心に人気を集めており、空港に約1200人のファンが押し寄せ、武道館ライブは成功を収めた。

10月、第4盤『オペラ座の夜』からの先行シングル「ボヘミアン・ラプソディ」が全英9週連続1位の大ヒットを記録。当初「6分を超える長い曲などラジオで流してくれない」とレコード会社側は曲のカットを指示したが、マーキュリーとテイラーに意見を求められたラジオDJのケニー・エヴェレットこの曲を気に入り、自身のラジオ番組で2日間で14回も流した。「ボヘミアン・ラプソディ」はチャリティーでない曲としてはイギリス史上最高の売り上げを記録し、マーキュリーは同曲の世界的ヒットにより2度目のアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞する。その結果、『オペラ座の夜』は初の全英1位を獲得し、クイーンに批判的だったメディアからも非常に高い評価を得た。

フレディ・マーキュリー(1977年)

1976年、軌道に乗ったクイーンはアメリカ、日本、オーストラリアなどで次々とツアーを敢行する。

同年12月、第5盤『華麗なるレース』を発表。初めてのセルフ・プロデュースとなる本作はこれまで以上に分厚いサウンドになっているものの、基本的には『オペラ座の夜』の路線をさらに推し進めた作風となっている。全英2位、全米13位のヒットとなった先行シングル「愛にすべてを」や「懐かしのラヴァー・ボーイ」のほかに、クイーン流ハードロックの名曲としてファンの間で名高い「タイ・ユア・マザー・ダウン」や歌詞の一部を日本語で歌った「手をとりあって」が収録され、アルバムはイギリスや日本で1位を獲得するヒット作となった。

中期(1977年〜1981年)[編集]

1977年10月、再びセルフ・プロデュースで臨んだ第6盤『世界に捧ぐ』を発表。パンク・ロックが流行しつつあった当時の音楽シーンの流れを汲んだ本作は、音楽的にはシンプルな方向へ向かい、トレードマークの一つであったコーラス・パートの全くない曲(「永遠の翼」など)も収録した。アルバムは日本とイギリスでは4位止まりだったが、「伝説のチャンピオン」や「ウィ・ウィル・ロック・ユー」がヒットしたアメリカではこれまでの最高位である3位を記録。またヨーロッパの中で唯一クイーンが苦手としていたフランスでは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」が12週連続1位となり、13週目には「伝説のチャンピオン」が1位となった。

1978年、ヨーロッパ9カ国でツアーを開催。6年目にして初のフランスでのコンサートも成功を収めた。

同年11月、第7盤『ジャズ』を発表。再びプロデューサーにロイ・トーマス・ベイカーを迎え、バラエティに富んだサウンドと楽曲を展開している。「バイシクル・レース」のプロモーション用に制作された、全裸の女性が自転車レースをするというポスターとビデオは物議を醸した。「バイシクル・レース」の影響もあって本作の発売直後にはマスコミの批判に晒されたが、アルバムは全英2位の大ヒットとなった。

同年、カナダを皮切りに北米ツアーを開催。マーキュリーはステージに上半身ヌード姿で自転車に乗って登場した。

1979年、ヨーロッパツアーを開催。東西冷戦状態であったユーゴスラビアもツアーのプログラムに入っていたことで話題を呼んだ。また、マーキュリーがバレエ好きであったことから国立バレエ団の知的障害者への義援金チャリティ特別公演に出演、マーキュリー自身もバレエを踊った。カンボジア救済チャリティコンサートにも出演し、初日に単独コンサートを開いた。さらに、マーキュリー作の「愛という名の欲望」が全米1位と、アメリカをはじめ世界で好成績を収め、ライブ・アルバム『ライヴ・キラーズ』で1970年代を締めくくった。

クイーンのライヴ(1984年、フランクフルト)

1980年6月、第8盤『ザ・ゲーム』を発表。全英・全米ともに1位を記録した。エルヴィス・プレスリーを思わせるロカビリー風のシングル「愛という名の欲望」がアメリカを中心に大ヒットした。またディーコン作の「地獄へ道づれ」は全米1位を記録し、アメリカでのクイーン最大のヒット曲となった。もともとマイケル・ジャクソンのために書かれたこの曲は、彼の前作『オフ・ザ・ウォール』を意識したソウルやファンクの曲となっており、アメリカのブラックミュージックのチャートでも上位にランクインしている。

また本作から、これまで頑なに使用を拒んできたシンセサイザーが導入された。これは『ザ・ゲーム』制作途中で、同名映画のサウンドトラック『フラッシュ・ゴードン』の録音が挟まったことが大きな要因となっている。

1981年、初の南米進出を果たす。最初のブエノスアイレスでのライブをはじめ、サンパウロではたった2日で観客動員数の記録を更新するなど各地で大成功を収めた。

同年10月、南米でのツアーを終えたメンバーはデヴィッド・ボウイとの共作曲「アンダー・プレッシャー」を発表。イギリスやアルゼンチンで1位を獲得するなど世界的にヒットした。なお、ボウイとはスイスでレコーディング中に親交を深めていたという。

さらに11月、初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』を発売。クイーンのキャリア前期を総括する本作は、現在イギリス史上最も売れたアルバムとなっている。

後期(1982年〜1987年)[編集]

1982年5月、第10盤『ホット・スペース』を発表。「地獄へ道づれ」の成功を受け、マーキュリーとディーコンを中心にファンク、ダンスミュージックの要素を徹底的に突き詰めた内容となった。しかしこの大きな方向転換はファンや評論家から強い反発を受け、従来の作品に比べて売上は振るわなかった。

1983年、バンドを小休止し、各自ソロ活動に専念した。

1984年、第11盤『ザ・ワークス』で復活を果たす。本作は作風の軌道修正を図り、ファンが待ち望んでいたような楽曲が集まった保守的ともいえる作品に仕上がった。この頃になるとアメリカや日本での人気は落ち着く一方で、テイラー作の「RADIO GA GA」が19ヵ国1位と大ヒットし、またディーコンの「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」が、南米などで「自由へのシンボルとしての曲」と位置づけられるなど、ヨーロッパ圏だけではなく南米やアフリカといった地域でも人気を集めるようになっていった。

1985年1月、リオデジャネイロで第1回ロック・イン・リオを開催。2日間で観客動員数60万人という驚異的な記録をつくった。

しかしこの頃から、各メンバーがソロ活動に勤しんだこともあってメンバー間の距離が開きはじめ、次第に仲も険悪になっていく。

1985年7月13日、20世紀最大のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド」に出演。出演アーティスト中最多の6曲を披露し、そのパフォーマンスは観客を圧倒。あまりの質の高さにロンドン会場のヘッドライナーを務めたエルトン・ジョンが舞台裏で悔しさを顕にし地団駄を踏んだとされる。その後の反響は絶大で、世界各国でクイーンのアルバムがチャートを急上昇した。

この思わぬ反響を受けてクイーンは新曲のレコーディングを開始し、同年11月、シングル「ワン・ヴィジョン」を発表。メディアはこぞって「ライヴ・エイドの便乗商売だ」とこれを批判したが、イギリスではチャート7位にランクインした。ライヴ・エイド出演がなければ、そのまま、本当に解散していたかもしれない」と、後にメンバーも振り返っている。

1986年、第12盤『カインド・オブ・マジック』を発表。イギリスを中心に世界中で大ヒットを記録した。

本作発表後には「マジック・ツアー」を行い、ヨーロッパ諸国の全26公演で200万人以上の観客を動員した。中でもウェンブリー・スタジアムで行われたコンサートは2日間で15万人の観客動員を記録し、8月9日にはイギリスのネブワースパークで観客30万人を記録。ツアーは大成功を収めた。しかし、マーキュリーの容態の悪化に伴い、クイーンの4人が揃ってツアーを行ったのは、これが最後となった。

末期(1987年〜1991年)[編集]

「マジック・ツアー」の成功以来、再びメンバーはソロ活動に専念しはじめた。この頃は、ライブ後のパーティーでレズビアン・ショーや、約10人のダンサーによるストリップ・ショーがしきりに行われ、フレディーの誕生パーティーでは、総額20万ポンド(当時約8千万円)が浪費されたという(書籍『フレディ・マーキュリー 華やかな孤独』より)。

1988年1月、スタジオに再集結し、アルバムの制作を開始。

1989年5月、第13盤『ザ・ミラクル』を発表。先行シングル「アイ・ウォント・イット・オール」共々、本国イギリスやヨーロッパ各国で大ヒットを記録し、人気が健在であることを証明した。しかしツアーの開催については、マーキュリーはあっさり否定した。

以前からマーキュリーには「エイズに感染しているのではないか」との噂が飛び交っていたが、当時本人はこれを否定し続けていた。実際にはマーキュリーがエイズに感染していることは1987年頃に判明したといわれているが、その真相は長年ベールに包まれていた。

1991年初頭、第14盤『イニュエンドウ』を発表。音楽的にはやや原点回帰志向がみられ、ブリティッシュ・ロックバンドとしての自覚が垣間見える作品となった。全英1位を獲得した表題曲ではスティーヴ・ハウが客演し、間奏部分でフラメンコギターのソロを披露した。メンバー以外の音楽家がクイーンのスタジオ盤でギターを演奏したのはこれが最初で最後である。続く「ショウ・マスト・ゴー・オン」も全仏2位と大健闘した。しかし、この頃すでにマーキュリーの体は病魔に侵されていたという。

輝ける日々」は、マーキュリーの生前最後のミュージックビデオ出演になった。映像では、マーキュリーが見る影もなくやせ衰えていることがわかる。

1991年11月23日、マーキュリーの自宅前で記者会見が行われ、スポークスマンを通じて以下の声明文を発表している。

私はHIVテストで陽性と診断され、AIDS患者であることが確認されました。しかし私の身の回りの人々のプライバシーを守るため、この事実を隠しておくことが適当だと考えておりました。しかし今、世界中の友人たちとファンの皆様に真実をお伝えする時が来ました。これからはこの恐ろしい病気に対して、私と私の医師団と世界中で私と同じように苦しんでいる人々と一緒に戦って下さい。

そして翌24日、フレディ・マーキュリーはHIVによる免疫不全が原因となって引き起こされたニューモシスチス肺炎により、45歳という若さで死去した。亡くなった1991年は、奇しくもクイーン結成20年目だった。マーキュリーが死んだことによって世界中に衝撃が走り、葬儀会場は世界中から駆けつけたファンの花束で埋め尽くされた。

マーキュリーの死を受けて、クイーンのアルバムが世界中でチャートインし、イギリスでは「ボヘミアン・ラプソディ」がイギリス史上初の同一曲2度目の1位という記録を打ち立てた。また、マーキュリーの遺言により初登場1位を獲得した作品の収益金はすべてエイズ基金に寄付された。

1992年バルセロナオリンピックの開会式でオペラ歌手のモンセラート・カバリェとマーキュリーがデュエットする予定だったが、マーキュリーの急死によりホセ・カレーラスが代役を務めた。

フレディの死後の活動[編集]

ミュージカル『ウィ・ウィル・ロック・ユー』の新宿公演

クイーンは正式に解散したことはなく、テイラーとメイがそれぞれソロ活動を行ったり、残されたメンバーでクイーン名義でたびたび活動したりしている。ソロ活動においては、メイは、クイーン時代の延長線上に当たる音楽を、一方、テイラーは、クイーンとは異なったアプローチで、それぞれ音楽活動を断続的に続けていた。ディーコンは、あまり目立った活動は行っておらず、後述するように音楽業界から完全に引退している。

マーキュリー死後から活動再開までの、クイーン名義での主な活動は以下の通り。

フレディ・マーキュリー追悼コンサート(1992年)[編集]

マーキュリーの死の翌年4月20日に、マーキュリーの追悼コンサートが開催された。コンサートの開催は2月12日に発表され、出演者は未定であったにもかかわらずチケットは2時間で完売した。コンサートにはロバート・プラントエルトン・ジョンデヴィッド・ボウイメタリカといった大物アーティストが集結し、会場となったウェンブリー・スタジアムには7万人を超えるファンが集まった。世界でも生中継され、元祖クイーン大国・日本でも、NHKでクイーンの歴史を紹介するVTRと共にライブの様子が放送された。

メイド・イン・ヘヴン(1995年)[編集]

フレディ・マーキュリーの死から4年後、マーキュリーが生前に残した録音を基にした実質的な最終アルバム『メイド・イン・ヘヴン』が発売された。「ヘヴン・フォー・エヴリワン」や「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」などの各メンバーのソロ曲のリメイク版と、「マザー・ラヴ」や「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」などの新曲、合計11曲が収録されている。また、最後にはCDには記されていない22分間のボーナストラックが出現し、マーキュリーへの追悼または天国をイメージさせるような音声が収録されている。アルバムはアメリカではゴールド認定(50万枚)に留まったものの、イギリスで4xプラチナ(120万枚)、ドイツで3xプラチナ(150万枚)を獲得するなどヨーロッパを中心に大ヒットを記録し、全世界では累計約1,000万枚を売り上げた。

ジョン・ディーコンの引退(1997年)[編集]

ジョン・ディーコンは、1997年の「ノー・ワン・バット・ユー」の発表を最後に、クイーンとしての活動には一切参加しなくなった。2004年にはテイラーが「ジョンは事実上引退している」と発言したほか、クイーンと付き合いの長い東郷かおる子が寄稿したクイーン+ポール・ロジャース日本公演(2005年)のパンフレットには「音楽業界から引退」と記載された。しかし、2002年の「エリザベス女王在位50周年式典」のロックコンサート以降も、メイとテイラーの二人は「クイーン」名義で出演しているため、最低この2人のメンバーが揃うと「クイーン」のバンド名が使えると解釈しうる。最近のインタビューによると、ディーコンは荒波の音楽業界を嫌い、家族と共に暮らしているとのこと。メイとテイラーがイベントに誘ってもディーコンは一切参加しようとしないが、「彼は今でもクイーンの一員だよ」と2人は述べている。

クイーン+ポール・ロジャース(2004年-2009年)[編集]

クイーン+ポール・ロジャース
左からポール・ロジャース、ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ

2005年1月、残ったテイラーとメイは、元フリーバッド・カンパニーヴォーカリストであったポール・ロジャースと組んで「クイーン+ポール・ロジャース」として活動することを正式に決定した。2004年の英国音楽殿堂の授賞式での共演がきっかけであったという(メイは、それ以前にもロイヤル・アルバート・ホールでの公演など、数回ロジャースと共演している)。

フレディ・マーキュリーという超個性派ヴォーカリストの後任に、マーキュリーとは似ても似つかないロジャースが選出されたことには世界中から疑問の声が挙がった。しかしメイは「僕は誰かをフレディの代役に立てるという意見にはずっと反対だった。でもフレディの代わりを務めようなんてこれっぽっちも思っていない男に出会ったんだ。ポールは彼だけの色を持ったフレディには似ても似つかない男さ」と述べた。

『愛にすべてを』をカヴァーしたジョージ・マイケルや、『伝説のチャンピオン』をカヴァーしたロビー・ウィリアムズの方がクイーンの新ヴォーカルに相応しいのではないかという意見もあった。実際、メンバーもウィリアムズをクイーンの新ヴォーカルとして迎え入れる話はしていたそうだが、「やはり違う気がする」ということでロジャースを選出したという。

全欧ツアーのチケットは売り切れた。来日公演はさいたま横浜名古屋福岡で行われ、10万人を動員するなど、各地で大成功を収めた。

2006年、クイーン名義では24年ぶりとなる全米ツアーも成功させた。同年10月には「クイーン+ポール・ロジャース」としてスタジオ入りするとメイのホームページで宣言され、2008年にニューアルバム『ザ・コスモス・ロックス』を発表。それに伴うヨーロッパ・南米ツアーも行ったが、2009年、ロジャースは「クイーン+ポール・ロジャース」としての活動に終止符を打ちバッド・カンパニーの再始動に移行した[16]

過渡期(2010年-2012年)[編集]

この時期クイーンとしての表立った活動はなかったが、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの2人によってバンドは存続しており、日刊スポーツの取材に対してテイラーは「クイーンは永久に続ける」と誓っている[17]。この間メイは、イギリスの女性ミュージカル歌手ケリー・エリスとアルバムを制作したり、全英ツアーを行ったりと相変わらず積極的な音楽活動を続けている。

2009年、メイとテイラーがアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル』にゲスト出演。シーズン8の結果発表の前にふたりの演奏で、最終候補者のクリス・アレンアダム・ランバートが「伝説のチャンピオン」を熱唱した。ブライアン・メイとロジャー・テイラーはアダム・ランバートのボーカルに惚れこみ、その場でクイーンへの参加を打診したと伝えられている。その件に関してその気があるのかとAP通信がランバートに聞いたところ「それは難しい質問だね。だって、正直クイーンにならないかっていう申し出をどう断ったらいいんだ?そんなの信じられないよ!でも、今、自分でやりたいこともあって、それが僕の目標でもあるんだ。だから、できることなら両方やってみたいね」と述べている。

さらに2011年、クイーンがMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでグローバル・アイコン賞を受賞。メイとテイラーはアダム・ランバートと再共演を果たし、「ショウ・マスト・ゴー・オン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」の3曲をメドレーで披露した。この3年後、アダムは正式にクイーンに加入し、2020年現在に至るまで活動を続けることになる。

同年、クイーン結成40周年を記念して、全オリジナル作品をボブ・ラドウィックがリマスターして発売した。まだ3分の1ほどしか発売されていない7月の時点で、日本円にして56億7600万円以上もの売上を記録し、改めて未だ人気が衰えていないことを証明した。

さらに同年、メイは世界的なポップスターであるレディー・ガガの楽曲「ユー・アンド・アイ」にて、バックボーカルとリードギターを担当[18]。楽曲は彼女の第3盤『ボーン・ディス・ウェイ』に収録され、シングル・カットされて大ヒットを記録した。2011 MTV Video Music Awardsでは、男装したガガとメイがステージ上で本曲を披露し、ガガの受賞が発表された際には2人が抱擁する場面が映し出された。この共演をきっかけにガガの実力を確信したメイは、NMEのインタヴューでクイーンの新ヴォーカル候補として彼女の名前を挙げている。この提案には、熱烈なクイーンファンであるガガの方も乗り気なようで、近いうちにガガがクイーンのメンバーに加入する可能性が示唆された。

しかし唯一無二のヴォーカリスト、マーキュリーの存在は大きく、抜群の歌唱力を誇るポールが加入した時でさえファンから複雑な反応を受けたため、メイは「テレビの特番でいろんなアーティストをヴォーカルに迎えて演奏してみたい」と付け加えており、新ヴォーカリスト選びには慎重な姿勢を見せていた。一方、テイラーは2012年に一般応募から選考した若い才能のある歌手を迎えて、クイーンのトリビュートツアー Queen Extravaganza を北米で行った。

2012年8月12日、ロンドンオリンピック閉会式にジェシー・Jと共に出演した。

クイーン+アダム・ランバート(2012年-)[編集]

クイーン+アダム・ランバート
左からロジャー・テイラー、アダム・ランバート、ブライアン・メイ

2012年、新たなボーカルにアダム・ランバートを迎えて「クイーン+アダム・ランバート」としての活動を開始。最初にウクライナロシアポーランドイギリスの4都市で6公演を行った。

2013年の活動は「iHeartRadio Music Festival 2013」への出演だけだったが、2014年には6月から7月にかけて24公演の北米ツアーを行い、8月には「SUMMER SONIC 2014」のヘッドライナーとして来日公演を行った。

2019年、前年に公開された伝記映画の成功を受け、世界各国を巡って66公演を行う「THE RHAPSODY TOUR」を開始した。

アダム・ランバートはクイーンとの共演について以下のように語っている。

僕の見方としては、僕はフレディの代わりを演じるつもりも、フレディの上を行くつもりも、フレディと競うつもりもまったくないし、そんなことはまるで考えてないんだ。フレディとバンドとで書いた音楽を歌って、それをステージに持っていっていいショーをやるように請われたってことはすごく光栄なことだと、そう思ってるんだ。でも、観てるみんなが比較することばかりに気を取られると、きっとライヴを楽しめなくなるとも思うよ。

アダム・ランバートをフロントマンに迎え活動を継続することに不満を持つファンについては、メンバーは「フレディ・マーキュリーも承認したと思う」とアダムの起用を擁護している[19]

映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年-2019年)[編集]

2018年暮、フレディ・マーキュリーに焦点を当ててクイーンの軌跡を描いた音楽伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が全世界で公開された。

計画が持ち上がった2010年当初は、マーキュリー役にサシャ・バロン・コーエン、プロデューサーにグレアム・キング、脚本にピーター・モーガンの起用が予定されていたが、その後出演予定者や監督の降板が相次ぎ、本格的な製作の開始まで7年近くの歳月を要した。最終的にマーキュリー役はラミ・マレックに、テイラー役はベン・ハーディ、メイ役はグウィリム・リー、ディーコン役はジョセフ・マゼロに決定し、2017年よりブライアン・シンガー監督のもと製作が進められた。本人であるメイとテイラーも製作に加わり、主に音楽監督を務めた。

批評家の評価は分かれたものの、商業的には全世界で90億ドル超の興行収入を記録する大ヒット作となった。第76回ゴールデン・グローブ賞ではドラマ部門作品賞と主演男優賞を、第91回アカデミー賞では主演男優賞編集賞録音賞音響編集賞をそれぞれ受賞した。

クイーンの関連人物[編集]

交友のあった音楽家[編集]

エルトン・ジョン
イギリスを代表するアーティストで、クイーンとは同期。かつて、クイーンと同じ人物からマネジメントを受けていた。マーキュリーの死後、長年バンドとしての活動を行っていなかったクイーンを、ジョンは「車庫に入ったフェラーリ」と評した。1992年のマーキュリーの追悼コンサートでは「ボヘミアン・ラプソディ」を、1997年には「ショウ・マスト・ゴー・オン」をクイーンと演奏した。「ショウ・マスト・ゴー・オン」に関してはジョンも気に入っているらしく、自身のライブで度々カバーしている。
マイケル・ジャクソン
史上最も成功したエンターテイナー[20]。フレディ・マーキュリーのファンであり、度々クイーンのライブを見に来ていたことから、メンバーとの交友が始まった。1980年前後からマーキュリーとジャクソンの互いの声質や衣装、音楽性に影響が見られる。
クイーンの代表曲の一つ「地獄へ道づれ」は、もともとジャクソンに提供した曲であった。ジャクソンはこれを気に入っていたが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズが難色を示したため、結局クイーンが歌うことになったという[21]。しかし今度は、クイーンの中で「シングルカット派」と「アルバムのトラック派」で意見が割れていた。ジャクソンは「この曲は絶対に出すべきだ」と助言をしたが、クイーンのイメージに合わないディスコ調に違和感を覚えていたテイラーは「あの曲は絶対にヒットになんかならないんだから。どこまで勘違いしたら気が済むんだ!」と反論したという。結局、シングルカットされた「地獄へ道づれ」は世界中で大ヒットとなり、これを受けてジャクソンはアルバム『スリラー』以降、ジョーンズに対する発言力が強くなったといわれる(しかし「地獄へ道連れ」はその後、一時期クイーンを低迷期に導く火種となってしまったため、テイラーの推測も当たっていたことになる)。
しかし1980年代はじめの交流を最後に、クイーンとジャクソンの交友は絶たれてしまった。その原因としては、以下のことが挙げられている。
  • ジャクソンのアルバム『スリラー』の超人的なヒットを受け、マーキュリーはインタビューで「あのアルバムに俺とマイケルの曲が入っていれば大金持ちになれたのに」という冗談を披露したが、ジャクソンがこれを真に受けてショックを受けてしまった。
  • ジャクソンがマーキュリーとの共作曲「ステイト・オブ・ショック」の制作中にスタジオにラマを連れ込み、これに憤慨したマーキュリーは製作途中で帰国してしまった。なお、マーキュリーとの共演計画が頓挫した本曲は、1984年にミック・ジャガーを迎えて完成され、ジャクソンズ名義のアルバム『ヴィクトリー』に収録されている。
  • 1980年代はお互いが多忙を極めていた。ジャクソンは『スリラー』の大成功を受けて世界最大のポップスターとなっており、次作の制作やワールドツアーで多忙を極めていた。一方のマーキュリーもソロ活動とバンド活動を並行しており、マイケルと交友する時間は取れなかった。
しかしながら、1997年にリリースされたジャクソンの楽曲「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」は、クイーンの楽曲「ウィ・ウィル・ロック・ユー」からヒントを得て制作されたといわれていることから、お互いの影響はその後も続いたと考えられる。
デヴィッド・ボウイ
イギリスのグラム・ロッカー。モントルーでクイーンのメンバーと親しくなり、1981年にクイーンと「アンダー・プレッシャー」を共作・レコーディングし、全英1位を獲得した。マーキュリーの追悼コンサートではユーリズミックスアニー・レノックスと「アンダー・プレッシャー」を披露した。また、ボウイはテイラーが尊敬しているシンガーの1人でもある。
ジョージ・マイケル
イギリスの人気グループ、ワム!のヴォーカリストで、ソロでも成功したシンガー。かつて、マーキュリーと同じ人物からボイストレーニングを受けていたことがある。マーキュリーの追悼コンサートでは、クイーンと「愛にすべてを」を披露し、あまりの完成度の高さに「ジョージを加えて新生クイーンが誕生するのではないか」とまで噂が立った。そのあと、クイーンとマイケルによる「愛にすべてを」のライヴ演奏はシングル発売され、全英1位を獲得した。
ポール・ロジャース
フリーのボーカリストで、フリーの解散後にレッド・ツェッペリンのメンバーとバンドを組んだこともあった。2004年〜2009年にかけてメイ&テイラーと共に「クイーン+」名義で活動した。現在はバッド・カンパニーで活動中。

影響を受けた音楽家[編集]

ビートルズ
世界で最も成功したロックバンド。特にジョン・レノンからの影響は大きかった。レノンが暗殺された翌日のコンサートで、彼の代表曲「イマジン」をカヴァーしたり、アルバム「ホット・スペース」にレノンの追悼曲を収録している。また、70年代後半に、レノンがクイーンの楽曲「愛という名の欲望」を聴いて再び創作意欲が湧いたという秘話が残っている。
ジミ・ヘンドリックス
27歳という若さで夭折した伝説のギタリスト。右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルで知られる。ギターを歯や背中で弾いたり、火を放ったり破壊したりするパフォーマンスで有名。彼の個性的なギターの演奏法やステージパフォーマンスは、マーキュリーやメイが影響を大きく受けている。特にマーキュリーはライブに足を運ぶほどの熱狂的なファンであり、14日連続でヘンドリックスのライブを観たこともある。
エルヴィス・プレスリー
1977年に42歳という若さで亡くなったプレスリーも、クイーンに大きな影響をもたらしている。1973年1985年ほどまでは、プレスリーの楽曲「監獄ロック」をカバーしている。

嫌っていた音楽家[編集]

カーペンターズ
アメリカの兄妹ポップス・デュオ。クイーンのプロフィールに「嫌いなアーティスト」として彼らの名前が挙げられていた。共に駆使していた多重録音に対する考え方の違いであったと言われている。
シド・ヴィシャス
イギリスのパンクロックバンド、セックス・ピストルズの2代目ベーシスト。かつてクイーンと同じスタジオでアルバムを制作していた。この当時、事務所を通さず雑誌取材に応じたマーキュリーの写真がタブロイド紙が悪意ある題名で記事され、それを読んだヴィシャスが、クイーンが録音をしている最中にスタジオの調整室に乱入。マーキュリーに対し「バレエを大衆に広めるのに成功したか?」と絡んだため、マーキュリーは「シドの名前をサイモン・フェロシアスとワザと間違えて呼びながら襟首を掴んでスタジオから追い出した」という(『クイーン:デイズ・オブ・アワー・ライブス』本人及び関係者の証言より)。

クイーンと日本の関係[編集]

フレディ・マーキュリーのサイン

日本における来歴[編集]

1975年4月、初来日。本国での当時の評判に反して日本での人気は凄まじく、空港にはファン1200人が集結しパンク状態になった(「第1次クイーンブーム」)。到着後、メンバーは会見を行い、芸子らから茶を提供されたり、ファンからもらったけん玉で遊んだりするなどして日本文化を満喫した。日本武道館公演では着物を着て演奏した。滞在中、ロジャーとブライアンが2人だけで東京タワーへ観光に行ったところ、多くの子供に「クイーン!クイーン!」とサインをせがまれながら囲まれ、その後結局ホテルで缶詰状態に遭ったという。

1976年、アルバム『華麗なるレース』を発表。作品の最後にサビに日本語の歌詞を取り入れた楽曲「手をとりあって」が収められ、翌年に日本限定でシングル・カットされた。

1977年、少女漫画雑誌『花とゆめ』10号に、バンド結成から来日公演までを描いた「キングスロードに赤いバラ」(みかみなち『上を下へのロックンロール』収録。白泉社)が掲載。

2004年、クイーンの楽曲「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」を主題歌にしたフジテレビのドラマ『プライド』が放映。ドラマの人気に合わせ、日本独自のベストアルバム『ジュエルズ』がオリコンチャート1位を獲得し、180万枚を売り上げる大ヒットを記録する「第2次クイーンブーム」が起こった。クイーンに馴染みのなかった若年層のファンが増えたことで、日本でのクイーン人気が大きく上昇し、同年の日本ゴールド・ディスク大賞海外部門を受賞した。これについてメイは「クイーンのベストアルバムが日本で売れていることを聞いてとても驚いています。クイーンが日本にとって外国アーティストの中では大きな存在だということは知っていましたが、日本の音楽史の中ではクイーンは小さい存在だと思っていました。けれども今回のヒットで日本の大物アーティストと肩を並べられてとてもうれしいです」と語っている。『SmaSTATION-3』では、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーのインタビューが行われた[22]

2018年11月、クイーンを描いた伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が日本でも公開。2019年5月時点で日本国内の興行収入が130億円を突破する大ヒットとなり[23]、「第3次クイーンブーム」とも呼ばれる社会現象を巻き起こした[24]。映画のヒットによりクイーン作品は急激に売上を伸ばし、翌年にかけてリバイバル・ヒットを記録。第33回日本ゴールドディスク大賞では、クイーンとしては14年ぶり2度目となる「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽)の受賞を果たした。また、ビルボード・ジャパンが発表した2019年上半期チャートのアーティスト部門では、あいみょん米津玄師に次いで3位を記録した[25]

2019年7月、プラネタリウム作品『QUEEN -HEAVEN-』がプラネタリア TOKYOにて上映[26]

同年8月、LINEの無料ゲームアプリ『LINE:ディズニー ツムツム』に、クイーンのメンバーが日本限定で登場[27]。1980年代の姿と思われるクイーンのメンバーがゲーム内に登場し、ゲーム内BGMとして「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」「RADIO GA GA」が流れる演出がなされた。8月の期間限定キャンペーンであったが、翌年1月、今度は1970年代のスタイルで再び登場。BGMとしては「ボヘミアン・ラプソディ」「地獄へ道づれ」が使われた。

2020年1月15日、日本在住のファンによる投票で収録曲が決められたベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン』が発売された[28]

また同日、クイーン関連の貴重な歴史的な展示品を公開する展覧会「クイーン展ジャパン」が開催。株式会社クイーン・プロダクションの協力・監修のもと、集英社が主催した。

日本文化への興味[編集]

クイーンのメンバーはツアー以外にも何度かプライベートで来日しており、日本文化に深い興味・関心を寄せている。美術学校で学んだ経験もあったマーキュリーは伊万里焼九谷焼等を趣味で収集しており、それらの目利きもできたという。また、自宅の庭に日本庭園を造っていた[29]新宿にはマーキュリーの行きつけのゲイバーがあり、度々通っていたと思われる[30]。メイは来日した際、日本のが気に入ったが、大きすぎて持ち帰れないことに非常に残念がっていたという。

記録[編集]

  • ギネス・ワールド・レコーズによると、2005年時点で、クイーンのアルバムは、全英アルバムチャートで合計1,422週、つまり27年間チャートインしている。これはビートルズエルヴィス・プレスリーといったアーティストを200週近く上回って歴代第1位であり、世界で最も英国チャートにランクインし続けたアーティストに認定された。
  • 前期のベストアルバムである『グレイテスト・ヒッツ』は、2018年までに英国内だけで約610万枚を、後期のベストアルバムである『グレイテスト・ヒッツII』も英国のみで約390万枚を売り上げているなど、国内セールスだけをとっても破格のチャート・アクションをみせている。ちなみに『グレイテスト・ヒッツ』は英国アルバムチャートで562週(約10年間)に渡りチャートインし、全世界では2500万枚以上を売り上げた。英国での『グレイテスト・ヒッツ』の売り上げは、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』やオアシスの『モーニング・グローリー』、アデルの『21』などの英国を代表するアーティストのアルバムを抑えて歴代1位を記録している[31]
  • クイーンは全世界の異なる国で、ナンバーワンのアルバムとナンバーワンのシングルをそれぞれ18枚、またトップテンのアルバムを26枚、トップテンのシングルを36枚、ナンバーワンのビデオを10枚保持している。
  • 2007年1月に、クイーンの『グレイテスト・ヒッツI&II』が、北米iTunesダウンロードチャートで第1位を獲得した。
  • クイーンを代表する楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」は1975年に英国で9週連続1位となり、その後数週間に渡ってトップ10にランクイン。世界中の国々でも1位を連発した。さらに、マーキュリーの死後の1991年には、英国史上初の「同一曲2度目の第1位」を獲得した(5週連続1位)。英国で現在までに約254万枚のセールスを記録しており、エルトン・ジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウインド〜ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」(493.5万枚)、バンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」(380.2万枚)に次いで、英国史上三番目に売れたシングルとなっている。2002年ギネス・ワールド・レコーズが調査した「英国史上最高のシングルは?」というアンケートでは、「イマジン」(ジョン・レノン)、「ヘイ・ジュード」(ビートルズ)を抑えて「ボヘミアン・ラプソディ」が第1位となり、イギリスで最も愛される曲に認定された。ギネスの授賞式ではメイとテイラーが出席し、ファンに感謝の言葉を述べた。また、この曲は世界で初めてプロモーションビデオを制作した曲であると認識されている。
  • 1980年に発表したシングル「地獄へ道づれ」は全世界で700万枚以上売り上げ、アメリカの『キャッシュボックス』誌の年間チャートでは1位に輝いた。
  • 2004年、「クイーン+ポールロジャース」名義で再始動したクイーンがさらに売り上げを伸ばし、2005年にイギリスで最も売れたアーティスト第3位にランクアップした。これにより、それまで長年の間不動の地位を保ち続けたビートルズを4位に落としたことになる[32]
  • 2002年、イギリス国民の投票によって決定した「100名の最も偉大な英国人」にフレディ・マーキュリーが選出された。
  • クイーンは中東や南米などの発展途上国でも著しい人気を誇っており、世界で最も海賊版が出回っているアーティストとされる。2012年現在、クイーンの海賊版ウェブサイトを12,225個確認。
  • クイーンはメンバー全員が作詞作曲能力に優れており、世界で唯一メンバー全員がチャート1位を獲得した作品を持っているロックバンドである。
  • 1973年から運営されているクイーンのオフィシャルファンクラブは、数々のロックバンドのファンクラブの中でも最も長く続いているファンクラブである。
  • 1986年ウェンブリースタジアムで行われたカインド・オブ・マジックのツアーのコンサートでは、世界中から50万人ものチケットを求める要望があり、2日間で15万人を動員した。また、1981年ブラジルのモルンビースタジアムで行ったライブでは13万人を動員。1組のバンドが1回の公演で動員した観客数で当時のギネス記録を樹立した。
  • 1985年に出演したブラジルのロックフェス「ロック・イン・リオ」では2日で60万人を動員。1969年に開催された「ウッドストック・フェスティバル」の40万人を2日で打ち破った。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  1. 戦慄の王女 - Queen (1973年)
    • 英24位 ゴールド、米83位 ゴールド、世界総売り上げ250万枚
  2. クイーン II - Queen II (1974年)
    • 英5位 ゴールド、米49位 ゴールド、世界総売り上げ250万枚
  3. シアー・ハート・アタック - Sheer Heart Attack (1974年)
    • 英2位 プラチナム、米12位 ゴールド、世界総売り上げ350万枚
  4. オペラ座の夜 - A Night at the Opera (1975年)
    • 英1位 プラチナム、米4位 3xプラチナム、世界総売り上げ1,000万枚
  5. 華麗なるレース - A Day at the Races (1976年)
    • 英1位 ゴールド、米5位 プラチナム、世界総売り上げ400万枚
  6. 世界に捧ぐ - News of the World (1977年)
    • 英2位 ゴールド、米3位 4xプラチナム、世界総売り上げ900万枚
  7. ジャズ - Jazz (1978年)
    • 英2位 プラチナム、米6位 プラチナム、世界総売り上げ450万枚
  8. ザ・ゲーム - The Game (1980年)
    • 英1位 ゴールド、米1位 4xプラチナム、世界総売り上げ900万枚
  9. フラッシュ・ゴードン - Flash Gordon (1980年)
    • 英10位 プラチナム、米23位、世界総売り上げ250万枚
  10. ホット・スペース - Hot Space (1982年)
    • 英3位 プラチナム、米22位 ゴールド、世界総売り上げ300万枚
  11. ザ・ワークス - The Works (1984年)
    • 英1位 2xプラチナム、米23位 ゴールド、世界総売り上げ450万枚
  12. カインド・オブ・マジック - A Kind of Magic (1986年)
    • 英1位 2xプラチナム、米46位 ゴールド、世界総売り上げ550万枚
  13. ザ・ミラクル - The Miracle (1989年)
    • 英1位 プラチナム、米24位、世界総売り上げ450万枚
  14. イニュエンドウ - Innuendo (1991年)
    • 英1位 プラチナム、米30位 ゴールド、世界総売り上げ550万枚
  15. メイド・イン・ヘヴン - Made in Heaven (1995年)
    • 英1位 4xプラチナム、米58位 ゴールド、世界総売り上げ2,000万枚

ライブ・アルバム[編集]

  1. ライヴ・キラーズ - Live Killers (1979年)
    • 英3位 ゴールド、米16位 2Xプラチナム、世界総売り上げ350万枚
  2. ライヴ・マジック - Live Magic (1986年)
    • 英3位 プラチナム、米未発売、世界総売り上げ300万枚
  3. 女王凱旋! 〜戦慄のライヴ・クイーン〜 - Queen at the Beeb (1989年)
    • 英67位
  4. クイーン・ライヴ!!ウェンブリー1986 - Live at Wembley '86 (1992年)
    • 英2位 プラチナム、米53位 プラチナム、世界総売り上げ450万枚
  5. オン・ファイアー/クイーン1982 - Queen on Fire – Live at the Bowl (2004年)
    • 英20位 ゴールド、世界総売り上げ100万枚
  6. 伝説の証/クイーン1981 - Queen Rock Montreal (2007年)
    • 英20位
  7. ハンガリアン・ラプソディ〜クイーン・ライヴ・イン・ブダペスト '86 - Hungarian Rhapsody: Queen Live in Budapest (2012年)
  8. ライヴ・アット・ザ・レインボー '74 - Live at the Rainbow '74 (2014年)
    • 英11位
  9. オデオン座の夜〜ハマースミス1975 - A Night at the Odeon – Hammersmith 1975 (2015年)
    • 英40位
  10. オン・エア〜BBCセッションズ - On Air (2016年)
    • 英25位

コンピレーション・アルバム[編集]

  1. グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits (1981年)
    • 英1位 20xプラチナム、米14位 8xプラチナム、世界総売り上げ2,750万枚
  2. グレイテスト・ヒッツII - Greatest Hits II (1991年)
    • 英1位 13xプラチナム、世界総売り上げ2,200万枚
  3. クラシック・クイーン - Classic Queen (1992年)
    • ※米国のみ発売、米4位
  4. 12インチ・コレクション - The 12" Collection (1992年)
    • ※英国のみ発売
  5. クイーン・ロックス - Queen Rocks (1997年)
    • 英7位 プラチナム、世界総売り上げ200万枚
  6. グレイテスト・カラオケ・ヒッツ - Greatest Karaoke Hits(1998年)
    • ※日本限定発売
  7. グレイテスト・ヒッツIII 〜フレディー・マーキュリーに捧ぐ〜 - Greatest Hits III (1999年)
    • 英5位 2xプラチナム、世界総売り上げ300万枚
  8. クイーン・イン・ヴィジョン - Queen In Vision(2000年)
    • ※日本限定発売、16.7万枚
  9. ジュエルズ - Jewels(2004年)
    • ※日本限定発売、170万枚
  10. ジュエルズII - Jewels II(2005年)
    • ※日本限定発売、6.8万枚
  11. ストーン・コールド・クラシックス - Stone Cold Classics (2006年)
    • ※米国のみ発売
  12. A-Z・オブ・クイーン - The A–Z of Queen, Volume 1 (2007年)
    • ※米国のみ発売
  13. 伝説のチャンピオン〜アブソリュート・グレイテスト - Absolute Greatest (2009年)
    • 英3位 2xプラチナム、米195位、世界総売り上げ90万枚
  14. ディープ・セレクション 1973-1976 - Deep Cuts, Volume 1 (1973–1976) (2011年)
    • 英92位
  15. ディープ・セレクション 1977-1982 - Deep Cuts, Volume 2 (1977–1982) (2011年)
    • 英175位
  16. ディープ・セレクション 1984-1995 - Deep Cuts, Volume 3 (1984–1995) (2011年)
    • 英155位
  17. アイコン - Icon(2013年)
    • ※日本未発売
  18. クイーン・フォーエヴァー - Queen Forever (2014年)
    • 英5位 ゴールド、米38位
  19. ボヘミアン・ラプソディ (オリジナル・サウンドトラック) - Bohemian Rhapsody: The Original Soundtrack (2018年)
    • 英3位、米3位、世界総売り上げ375万枚
  20. グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン - Greatest Hits In Japan (2020年)
    • ※日本限定発売(CD)

ボックスセット[編集]

  1. コンプリート・ワークス - The Complete Works (1985年)
    • ※英国のみ発売
  2. CDシングル・ボックス - Queen CD Single Box(1991年)
    • ※日本限定発売
  3. ボックス・オフ・トリックス - Box of Tricks (1992年)
    • ※英国のみ発売
  4. アルティメット・クイーン - Ultimate Queen (1995年)
    • ※英国のみ発売
  5. クイーン・プラチナム・コレクション - The Platinum Collection: Greatest Hits I, II & III (2000年)
    • 英2位 6xプラチナム、米9位 2xプラチナム、世界総売り上げ540万枚
  6. シングル・コレクション Vol.1 - The Singles Collection Volume 1 (2008年)
  7. シングル・コレクション Vol.2 - The Singles Collection Volume 2 (2009年)
  8. シングル・コレクション Vol.3 - The Singles Collection Volume 3 (2010年)
  9. シングル・コレクション Vol.4 - The Singles Collection Volume 4 (2010年)
  10. ザ・スタジオ・コレクション - Queen: The Studio Collection (2015年)

シングル[編集]

  1. 炎のロックンロール - Keep Yourself Alive (1973年)
  2. ライアー - Liar (1973年)
  3. 輝ける7つの海 - Seven Seas of Rhye (1974年)
  4. キラー・クイーン / フリック・オブ・ザ・リスト - Killer Queen / Flick of the Wrist (1974年)
  5. ナウ・アイム・ヒア - Now I'm Here (1974年)
  6. ボヘミアン・ラプソディ - Bohemian Rhapsody (1975年)
  7. マイ・ベスト・フレンド - You're My Best Friend (1976年)
  8. 愛にすべてを - Somebody To Love (1976年)
  9. タイ・ユア・マザー・ダウン - Tie Your Mother Down(1977年)
  10. 手をとりあって - Teo Torriatte (Let Us Cling Together) (1977年)
    • ※日本限定発売
  11. 懐かしのラヴァー・ボーイ - Good Old-Fashioned Lover Boy (1977年)
  12. ロング・アウェイ - Long Away (1977年)
  13. 伝説のチャンピオン / ウィ・ウィル・ロック・ユー - We Are the Champions / We Will Rock You (1977年)
  14. 永遠の翼 - Spread Your Wings (1978年)
  15. イッツ・レイト - It's Late (1978年)
  16. バイシクル・レース / ファット・ボトムド・ガールズ - Bicycle Race / Fat Bottomed Girls (1978年)
  17. ドント・ストップ・ミー・ナウ - Don't Stop Me Now (1979年)
  18. ムスターファ - Mustapha (song) (1979年)
    • ※ドイツ、スペイン、ユーゴスラビア、ボリビア限定発売
  19. ジェラシー - Jealousy (1979年)
    • ※アメリカ、カナダ、ブラジル、ニュージーランド、ソ連限定発売
  20. ラヴ・オブ・マイ・ライフ (ライヴ) - Love of My Life (Live) (1979年)
  21. 愛という名の欲望 - Crazy Little Thing Called Love (1979年)
  22. セイヴ・ミー - Save Me (1980年)
  23. プレイ・ザ・ゲーム - Play the Game (1980年)
  24. 地獄へ道づれ - Another One Bites the Dust (1980年)
  25. 夜の天使 - Need Your Loving Tonight (1980年)
  26. フラッシュのテーマ - Flash (1980年)
  27. アンダー・プレッシャー (with デヴィッド・ボウイ) - Under Pressure (with David Bowie) (1981年)
  28. ボディ・ランゲージ - Body Language (1982年)
  29. ラス・パラブラス・デ・アモール (愛の言葉) - Las Palabras de Amor (The Words of Love) (1982年)
  30. コーリング・オール・ガールズ - Calling All Girls (1982年)
    • ※アメリカ、カナダ、オーストラリア限定発売
  31. ステイング・パワー - Staying Power (1982年)
    • ※日本、アメリカ限定発売
  32. バック・チャット - Back Chat (1982年)
  33. RADIO GA GA - Radio Ga Ga (1984年)
  34. ブレイク・フリー (自由への旅立ち) - I Want to Break Free (1984年)
  35. 永遠の誓い - It's A Hard Life (1984年)
  36. ハマー・トゥ・フォール - Hammer To Fall (1984年)
  37. サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス - Thank God It's Christmas (1984年)
  38. ワン・ヴィジョン - One Vision (1985年)
    • 日本では「ONE VISION-ひとつだけの世界-」というタイトルで発売された[33]
  39. カインド・オブ・マジック - A Kind of Magic (1986年)
  40. プリンシス・オブ・ザ・ユニヴァース - Princes of the Universe (1986年)
  41. 愛ある日々 - One Year of Love (1986年)
  42. 心の絆 - Friends Will Be Friends (1986年)
  43. 喜びへの道 - Pain Is So Close to Pleasure (1986年)
  44. リヴ・フォーエヴァー - Who Wants to Live Forever (1986年)
  45. アイ・ウォント・イット・オール - I Want It All (1989年)
  46. ブレイクスルー - Breakthru (1989年)
  47. インビジブル・マン - The Invisible Man (1989年)
  48. スキャンダル - Scandal (1989年)
  49. ザ・ミラクル - The Miracle (1989年)
  50. イニュエンドウ - Innuendo (1991年)
  51. 狂気への序曲 - I'm Going Slightly Mad (1991年)
  52. ヘッドロング - Headlong (1991年)
    • 日本では1991年10月16日にマキシシングルとして、当時未発表だった2曲をカップリングに追加した「ヘッドロング+2」として発売された[34]
  53. アイ・キャント・リヴ・ウィズ・ユー - I Can't Live With You (1991年)
    • プロモーションシングル。
  54. 輝ける日々 - These Are The Days Of Our Lives (1991年)
  55. ショウ・マスト・ゴー・オン - The Show Must Go On (1991年)
  56. ヘヴン・フォー・エヴリワン - Heaven for Everyone (1995年)
  57. ウインターズ・テイル - A Winter's Tale (1995年)
  58. トゥー・マッチ・ラヴ・ウィル・キル・ユー - Too Much Love Will Kill You (1996年)
  59. ボーン・トゥ・ラヴ・ユー - I Was Born To Love You (1996年)
    • ※日本限定発売。2004年1月27日に再発売された[37]
  60. レット・ミー・リヴ - Let Me Live (1996年)
  61. ユー・ドント・フール・ミー - You Don't Fool Me (1996年)
  62. ノー・ワン・バット・ユー - No-One but You (Only the Good Die Young) (1997年)
  63. アンダー・プレッシャー (Rah Mix) (with デヴィッド・ボウイ) - Under Pressure (Rah Mix) (with David Bowie) (1999年)
  64. ユア・ハート・アゲイン (ウィリアム・オービット・ミックス) - Let Me In Your Heart Again (William Orbit mix Mix) (2014年)

映像作品[編集]

  1. グレイテスト・フリックス - Greatest Flix (1981年)
  2. ライヴ・イン・ジャパン - Live in Japan (1983年)
  3. ウィ・ウィル・ロック・ユー - We Will Rock You (1984年)
  4. ザ・ワークス・ビデオ EP - The Works Video EP (1984年)
  5. ライヴ・イン・リオ - Live in Rio (1985年)
  6. リヴ・フォーエヴァー - Who Wants to Live Forever (1986年)
  7. ライヴ・イン・ブダペスト - Live in Budapest (1987年)
  8. ボヘミアン・ラプソディ - Bohemian Rhapsody (1987年)
  9. ザ・マジック・イヤーズ - The Magic Years (1987年)
  10. レア・ライヴ - Rare Live (1989年)
  11. ザ・ミラクル・ビデオ EP - The Miracle Video EP (1989年)
  12. クイーン・アット・ウェンブリー - Queen at Wembley (1990年)
  13. グレイテスト・フリックスII - Greatest Flix II (1991年)
  14. ボックス・オブ・フリックス - Box of Flix (1991年)
  15. ライヴ・アット・ザ・レインボー - Live at the Rainbow (1992年)
  16. クラシック・クイーン - Classic Queen (1992年)
  17. グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits (1992年)
  18. ファイナル・コンサート・ライブ・イン・ジャパン - Final Concert Live in Japan (1992年)
  19. フレディ・マーキュリー追悼コンサート - The Freddie Mercury Tribute Concert (1992年)
  20. グレイテスト・フリックス I & II - Greatest Flix I & II (1994年)
  21. チャンピオンズ・オブ・ザ・ワールド - Champions of the World (1995年)
  22. メイド・イン・ヘヴン - Made in Heaven (1995年)
  23. グレイテスト・カラオケ・フリックス - Greatest Karaoke Flix(1998年)
  24. クイーン・ロックス - Queen Rocks (1999年)
  25. グレイテスト・フリックスIII - Greatest Flix III (1999年)
  26. パーティー・アット・ザ・パレス - Greatest Video Hits 1 (2002年)
  27. グレイテスト・ビデオ・ヒッツ1 - Party at the Palace (2002年)
  28. グレイテスト・ビデオ・ヒッツ2 - Greatest Video Hits 2 (2003年)
  29. ジュエルズ - Jewels (2004年)
  30. 伝説のチャンピオン ファイナル・ライブ・イン・ジャパン - We Are the Champions: Final Live in Japan (2004年)
  31. オン・ファイアー/クイーン1982 - Queen on Fire – Live at the Bowl (2004年)
  32. リターンズ・オブ・ザ・チャンピオンズ - Return of the Champions (2005年)
  33. クラシック・アルバムス オペラ座の夜 - The Making of A Night at the Opera — Classic Albums (2006年)
  34. スーパーライヴ・イン・ジャパン - Super Live in Japan (2006年)
  35. ライブ・イン・モントリオール 1981 - Queen Rock Montreal (2007年)
  36. ビッグ・ライヴ 2008 〜ライヴ・イン・ウクライナ - Live in Ukraine (2009年)
  37. ハンガリアン・ラプソディ〜クイーン・ライヴ・イン・ブダペスト '86 - Hungarian Rhapsody: Queen Live in Budapest (2012年)
  38. ライヴ・アット・ザ・レインボー '74 - Live at the Rainbow '74 (2014年)
  39. オデオン座の夜〜ハマースミス1975 - A Night at the Odeon – Hammersmith 1975 (2015年)

クイーンを題材とした映像作品[編集]

2018年に公開された映画ボヘミアン・ラプソディの広告

2011年にドキュメンタリー『輝ける日々』(原題:Queen - Days Of Our Lives)がBBCで放送された。

2018年にマーキュリーを軸にクイーンの結成から1985年のライブエイドでのパフォーマンスまでを描いた伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開された。

日本公演[編集]

形態 タイトル 公演数・会場
1975年 コンサートツアー Sheer Heart Attack ツアー
1976年 コンサートツアー A Night at the Opera ツアー
1979年 コンサートツアー Jazz ツアー
1981年 コンサートツアー The Game ツアー
1982年 コンサートツアー Hot Space ツアー
1985年 コンサートツアー The Works ツアー

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g Stephen Thomas Erlewine. Queen|Biography & History - オールミュージック. 2020年3月4日閲覧。
  2. ^ 20 facts about Queen to quote at their Hydro gig” (英語). HeraldScotland. 2019年7月4日閲覧。
  3. ^ Queen + Adam Lambert to perform in Budapest” (英語). Daily News Hungary (2017年4月20日). 2019年3月31日閲覧。
  4. ^ St, 24/7 Wall. “The 100 most popular rock bands of all time”. Business Insider. 2019年1月31日閲覧。
  5. ^ St, 24/7 Wall. “The 100 most popular rock bands of all time”. Business Insider. 2019年1月31日閲覧。
  6. ^ ローリングストーン誌の「最も偉大なアーティスト100」(2011年選出)”. Music & Move. 2019年4月8日閲覧。
  7. ^ Brian May Interview, The Music Biz (1992) - YouTube . 2020年2月5日閲覧
  8. ^ McNamee, David (2010年8月11日). “Hey, what's that sound: Homemade guitars”. Guardian (London). https://www.theguardian.com/music/2010/aug/09/hey-sound-homemade-guitars 2020年2月5日閲覧。 
  9. ^ Black, Johnny (2002年2月 - 3月). “The Greatest Songs Ever! Bohemian Rhapsody”. Blender. オリジナルの2007年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070202165358/http://blender.com/guide/articles.aspx?id=256 2020年2月5日閲覧。 
  10. ^ Chiu, David (2018年11月5日). “The History of Smile: The Band That Set the Stage for Queen”. Ultimate Classic Rock. 2018年12月12日閲覧。
  11. ^ パトリック・ルミュー(Patrick Lemieux) (2018年11月27日). “クイーンの前身バンド「スマイル」の中心メンバー、ティム・スタッフェルのインタビューを掲載”. ユニバーサル・ミュージック・ジャパン. 2018年12月11日閲覧。
  12. ^ Nolasco, Stephanie (2018年11月10日). “Freddie Mercury's pal Tim Staffell says 'Bohemian Rhapsody' was 'the right way to do it'”. FOXニュース. 2018年12月12日閲覧。
  13. ^ Blake, Mark (2011年3月31日). “Is This the Real Life?: The Untold Story of Queen”. popmatters. 2018年12月14日閲覧。
  14. ^ Queen Official "About The Band"
  15. ^ 余談ではあるが、イエスのメンバーであるスティーヴ・ハウが「イニュエンドウ」でゲスト参加している。
  16. ^ http://brianmay.com/queen/queennews/queennewsmay09a.html#01
  17. ^ クイーン結成40周年展覧会 初日から人気
  18. ^ http://www.ladygagajapan.com/2011/04/19/lady-gaga-japan-6026
  19. ^ クイーン「僕らはトリビュート・バンドじゃない」 2015年01月13日
  20. ^ Michael Jackson Named Most Successful Entertainer Of All Time”. toronto.citynews.ca. 2020年2月22日閲覧。
  21. ^ TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」2009年6月17日放送分の宇多丸発言より
  22. ^ SmaSTATION-3特別企画 QUEENインタビュー
  23. ^ 『ボヘミアン・ラプソディ』130億円突破!実写洋画の歴代9位に - シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ. 2019年5月24日閲覧。
  24. ^ 第3次ブーム到来!クイーン関連情報をまとめてチェック!|HMV&BOOKS online”. www.hmv.co.jp. 2020年2月22日閲覧。
  25. ^ 2019年上半期チャート発表!総合ソング・チャート1位は、米津玄師「Lemon」総合アルバム・チャート1位は、星野源『POP VIRUS』トップ・アーティストは、あいみょんが受...”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2020年2月22日閲覧。
  26. ^ プラネタリウム作品『QUEEN -HEAVEN-』プラネタリア TOKYOにて上映
  27. ^ スマホゲーム『ツムツム』8・1からQUEENが登場 スキル使用で楽曲も流れる
  28. ^ バンド史上初!日本のファン投票によるベスト盤が発売決定!
  29. ^ “「フレディ邸で一番偉いのは猫ちゃんでした(笑)」──フレディ邸の日本庭園を造った男・高原竜太朗トークイベント・リポート”. MUSIC LIFE CLUB (シンコーミュージック・エンタテイメント). (2019年10月18日). https://www.musiclifeclub.com/news/20191018_03.html 2020年1月21日閲覧。 
  30. ^ “フレディ・マーキュリーも通った老舗ゲイディスコ。マスターが見てきた新宿2丁目の変化とは”. ハフポスト (ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン株式会社). (2016年12月19日). https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/19/new-sazae-and-lgbt_n_13736476.html 2020年1月21日閲覧。 
  31. ^ en:List_of_best-selling_albums_in_the_United_Kingdom
  32. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000016087
  33. ^ Queen – One Vision”. Discogs. 2019年2月12日閲覧。
  34. ^ クイーン / ヘッドロング+2”. CDジャーナル. 2019年2月6日閲覧。
  35. ^ Queen – Bohemian Rhapsody / These Are The Days Of Our Lives”. Discogs. 2019年2月7日閲覧。
  36. ^ Queen – Bohemian Rhapsody / These Are The Days Of Our Lives (CD, Single)”. Discogs. 2019年2月7日閲覧。
  37. ^ I Was Born To Love You : Queen”. HMV&BOOKS online. 2019年2月6日閲覧。