クリスティアン・マンフレディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスティアン・マンフレディーニ Football pictogram.svg
名前
本名 クリスティアン・ジョゼ・マンフレディーニ・シソストリ
Christian José Manfredini Sisostri
ラテン文字 Christian MANFREDINI
基本情報
国籍 コートジボワールの旗 コートジボワール
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1975-05-01) 1975年5月1日(43歳)
出身地 ポール=ブエ英語版
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF (LMF)
利き足 左足
ユース
1988-1993 イタリアの旗 ユヴェントス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1999 イタリアの旗 ユヴェントス 0 (0)
1994-1995 イタリアの旗 ピストイエーゼ (loan) 14 (1)
1995-1996 イタリアの旗 ヴィテルベーゼ英語版(loan) 32 (3)
1996-1997 イタリアの旗 アヴェッツァーノ英語版(loan) 30 (2)
1997-1998 イタリアの旗 フェルマーナ英語版(loan) 26 (3)
1998-1999 イタリアの旗 コゼンツァ英語版(loan) 32 (4)
1999-2000 イタリアの旗 ジェノア 26 (1)
2000-2002 イタリアの旗 キエーヴォ 64 (9)
2002-2011 イタリアの旗 ラツィオ 101 (5)
2003 スペインの旗 オサスナ (loan) 11 (1)
2003-2004 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 11 (1)
2004 イタリアの旗 ペルージャ (loan) 12 (0)
2011-2012 イタリアの旗 サンボニファチェーゼ英語版 11 (0)
2012-2013 イタリアの旗 アグローポリ英語版 2 (0)
2013 イタリアの旗 ピッチョーラ 0 (0)
1993-2013 通算 372 (30)
代表歴
2006-2008 コートジボワールの旗 コートジボワール 2 (1)
監督歴
2016 イタリアの旗 ヴァルディアーノ
2017- イタリアの旗 スペッツァーノ・アルバネーゼ
1. 国内リーグ戦に限る。2019年2月7日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアン・ジョゼ・マンフレディーニ・シソストリChristian José Manfredini Sisostri, 1975年5月1日 - )は、コートジボワールアビジャン市ポール=ブエ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダーイタリア国籍も保有する。

経歴[編集]

コートジボワールで生まれ、5歳の時にマンフレディーニ家の養子となり、イタリアのバッティパーリアに移住[1]ユヴェントスFC下部組織で育ち、1994年にはアントネッロ・クックレドゥ監督の下キャプテンのアレッサンドロ・デル・ピエロらと共にプリマヴェーラで2冠を経験した[2]

その後4シーズンはそれぞれ異なるクラブへの期限付き移籍で過ごす。セリエC1C2でのプレーを経て、コゼンツァ・カルチョ在籍時の1998年に23歳でセリエBデビューを果たした。

1999-00シーズンよりセリエBのジェノアCFCが保有権の半分を獲得。シーズン終了後にジェノアが残りの保有権を買い取った上で、ルイジ・デルネーリ率いるACキエーヴォ・ヴェローナへ移籍した[3]。左サイドハーフとしてエリベルトと共に両翼を形成し、クラブのセリエA初昇格に貢献。翌シーズンにリーグ5位と躍進した”ミラクル・キエーヴォ”を支えた。

2002年7月、SSラツィオに共同保有で加入[4]。しかしポジションを確保できず、CAオサスナACFフィオレンティーナペルージャ・カルチョへローンとなる。

2004年夏、ラツィオが財政難により主力選手を放出したことに伴いスタディオ・オリンピコへ戻る。2007年10月24日に行われたUEFAチャンピオンズリーグヴェルダー・ブレーメン戦ではゴールを挙げた[5]。2009年には2つの国内カップ優勝を経験したが、2009-10シーズン以降は公式戦の出場機会を得られなかった。

2011-12シーズン限りで契約満了によりラツィオを退団すると、翌シーズンよりレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネのACサンボニファチェーゼへ加入。この際、ラツィオ時代晩年にクラブの会長であるクラウディオ・ロティートによって冷遇されたとして批判した[6]

翌シーズンはセリエDのUSアグローポリ1921へ加入[7]。2013年1月16日にはASDピッチョーラへ移籍し[8]、シーズン終了後に現役を引退した。

代表歴[編集]

2001年にコートジボワール代表からの代表招集要請を受けながら、イタリア代表入りを目指すために断っていたが[9]、その後もイタリア代表に招集されることはなく、2006年3月にコートジボワール代表入りを選択したものの、2006 FIFAワールドカップのメンバーには選出されなかった。

指導歴[編集]

2016-17シーズンより、テッジャーノにあるエッチェッレンツァ英語版(イタリア5部)のASDヴァルディアーノ・カルチョの監督に就任[10]

翌シーズンからはASDスペッツァーノ・アルバネーゼ・カルチョで指揮を執る[11]

人物[編集]

2018年3月、ユヴェントス時代に儲けた当時22歳の娘やその母親に対する支援義務に違反したとして懲役8か月を言い渡された[11]

タイトル[編集]

ユヴェントス
ラツィオ

脚注[編集]

  1. ^ Lazio, Manfredini chiamato dalla Costa d’Avorio”. Goal.com (2008年11月17日). 2019年2月7日閲覧。
  2. ^ 25 giugno 1994, Primavera tricolore - ウェイバックマシン(2015年6月2日アーカイブ分)
  3. ^ FINANCIAL STATEMENTS AS AT 30 JUNE, 2001 - ウェイバックマシン(2015年4月3日アーカイブ分)
  4. ^ Contratto valido: Manfredini dal Chievo alla Lazio”. La Gazzetta dello Sport (2002年7月19日). 2019年2月7日閲覧。
  5. ^ Bremen - Lazio”. UEFA.com (2007年10月24日). 2019年2月7日閲覧。
  6. ^ Christian Manfredini riparte dalla Sambonifacese, alla faccia di Lotito... "Alla Lazio lui aveva deciso di farmi smettere di giocare, fa così con tanti... se non è mobbing questo!"”. Goal.com (2011年7月20日). 2019年2月7日閲覧。
  7. ^ L'ex Lazio, Chievo e Perugia Manfredini all'Agropoli”. TUTTOmercatoWEB.com (2012年5月14日). 2019年2月7日閲覧。
  8. ^ La Picciola prende Manfredini e saluta Longo”. La Città di Salerno (2013年1月16日). 2019年2月7日閲覧。
  9. ^ Manfredini turns down Ivory Coast”. BBC Sport (2001年11月3日). 2019年2月7日閲覧。
  10. ^ Valdiano, Manfredini nuovo allenatore”. Corriere dello Sport (2016年7月2日). 2019年2月7日閲覧。
  11. ^ a b Curiosità: l’ex Chievo e Lazio Manfredini condannato a 8 mesi di reclusione, si è sottratto ai doveri di padre”. Mediagol (2018年3月20日). 2019年2月7日閲覧。