クルト・ビューリゲン

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クルト・ビューリゲン
Kurt Bühligen
生誕 1917年12月13日
Flag of the German Empire.svgドイツ帝国
Flag of Saxony.svgザクセン州
グランシュッツ英語版
死没 1985年8月11日(1985-08-11)(67歳)
Flag of Germany.svgドイツ
Flag of Hesse.svgヘッセン州
Wappen nidda.jpgニッダ
所属組織 Balkenkreuz.svgドイツ国防軍空軍
(所属部隊)
JG 2.svg第2戦闘航空団英語版
軍歴 1936-45
最終階級 中佐(Oberstleutnant)
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クルト・ビューリゲン(ドイツ語: Kurt Bühligen,1917年12月13日 - 1986年9月11日)は、第二次世界大戦時のドイツ空軍軍人。最終階級は中佐。700回以上出撃し、112機の敵機を撃墜したエース・パイロットであり、柏葉・剣付騎士鉄十字章を受勲した。

生い立ち[編集]

1917年12月13日、ビューリゲンはドイツ帝国ザクセン州にあるグランシュッツ英語版に、配管工の息子として生まれた。1936年3月13日にビューリゲンはザクセン州のオーシャッツ英語版で、飛行訓練生(Flieger-Ersatz-Abteilung)としてドイツ空軍に入隊した。その後、新兵訓練英語版の結果、1937年9月から、1938年2月15日までの間、ビューリゲンは航空整備士として第135爆撃航空団に配属された。1938年2月16日から1939年4月30日の期間は、第2爆撃航空団英語版第2飛行中隊(2./KG4)に所属している。

第二次世界大戦[編集]

ビューリゲンは航空整備士としてドイツ空軍に入隊したが、1938年から1939年の間にパイロットに転向している。1940年7月、ビューリゲン伍長(Unteroffizier)は第2戦闘航空団英語版(JG2)にパイロットとして配属された。

1940年11月4日、ビューリゲンはホーカー ハリケーンを撃墜し、初の戦果をあげた。そして撃墜数が20を超えると、騎士鉄十字章が授与された。

1942年12月ごろ、ビューリゲンの所属する第2戦闘航空団第II飛行隊(II./JG2)は北アフリカ戦線チュニジアに移動しており、1943年3月に欧州に戻るまでに撃墜数40機を記録した。1944年3月になるとビューリゲン少佐(Major)は撃墜数を96機まで伸ばし、第II飛行隊の飛行隊長となっていた。6月7日、ビューリゲンはドイツ空軍で75番目となる撃墜数100機を達成した[1]。その頃、JG2は東部戦線に移動しソ連軍と戦っていた。1945年初期、JG2の戦闘航空団司令となっていたビューリゲンはエンジンの故障のために墜落し、ソ連の捕虜となった。その後、1950年に釈放された。

ビューリゲンは700回を超える出撃の中で、112機の敵機を撃墜した。この記録は、西部戦線と北アフリカ戦線でのスピットファイア47機、アメリカ陸軍航空隊(USAAF)所属のP-3813機、P-479機、スピットファイア7機、そして24機の四発爆撃機を含んでいる。これらの戦果は、西部戦線においてドイツ空軍が記録した4番目に多い撃墜数である。最終的なビューリゲンの階級は中佐(Oberstleutnant)で、地位はJG2の戦闘航空団司令であった。

1985年8月11日、ヘッセン州ニッダで死去。

叙勲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Obermaier 1989, p. 243.
  2. ^ Obermaier 1989, p. 38.
  3. ^ Patzwall & Scherzer 2001, p. 67.
  4. ^ a b MacLean 2007, p. 89.
  5. ^ a b Thomas 1997, p. 89.
  6. ^ Fellgiebel 2000, p. 148.
  7. ^ a b c Scherzer 2007, p. 250.
  8. ^ Von Seemen 1976, p. 99.
  9. ^ Fellgiebel 2000, p. 79.
  10. ^ Von Seemen 1976, p. 42.
  11. ^ Fellgiebel 2000, p. 88.
  12. ^ Von Seemen 1976, p. 17.
  1. ^ According to Scherzer in the 4./JG 2[7]
  2. ^ According to Von Seemen as pilot in JG 2 "Richthofen".[8]

参考文献[編集]

  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000) [1986] (German). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 — Die Inhaber der höchsten Auszeichnung des Zweiten Weltkrieges aller Wehrmachtteile. Friedberg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 978-3-7909-0284-6. 
  • MacLean, French L. (2007). Luftwaffe Efficiency & Promotion Reports — For the Knight's Cross Winners. Atglen, Pennsylvania: Schiffer Military History. 978-0-7643-2657-8.
  • Obermaier, Ernst (1989) (German). Die Ritterkreuzträger der Luftwaffe Jagdflieger 1939 – 1945. Mainz, Germany: Verlag Dieter Hoffmann. ISBN 978-3-87341-065-7. 
  • Patzwall, Klaus D.; Scherzer, Veit (2001) (German). Das Deutsche Kreuz 1941 – 1945 Geschichte und Inhaber Band II. Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall. ISBN 978-3-931533-45-8. 
  • Scherzer, Veit (2007) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives. Jena, Germany: Scherzers Militaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2. 
  • Spick, Mike (1996). Luftwaffe Fighter Aces. New York: Ivy Books. ISBN 978-0-8041-1696-1. 
  • Stockert, Peter (2007) (German). Die Eichenlaubträger 1939–1945 Band 5. Bad Friedrichshall, Germany: Friedrichshaller Rundblick. OCLC 76072662. 
  • Von Seemen, Gerhard (1976) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 : die Ritterkreuzträger sämtlicher Wehrmachtteile, Brillanten-, Schwerter- und Eichenlaubträger in der Reihenfolge der Verleihung : Anhang mit Verleihungsbestimmungen und weiteren Angaben. Friedberg, Germany: Podzun-Verlag. ISBN 978-3-7909-0051-4. 
  • Thomas, Franz (1997) (German). Die Eichenlaubträger 1939–1945 Band 1: A–K. Osnabrück, Germany: Biblio-Verlag. ISBN 978-3-7648-2299-6.