グリゴリー・ゲルシューニ

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グリゴリー・ゲルシューニ
Григорий Андреевич Гершуни
Grigoriy Andreyevich Gershuni.jpg
生年: 1870年9月29日
生地: Flag of the Russian Empire (black-yellow-white).svg ロシア帝国カウナス
没年: (1908-05-29) 1908年5月29日(37歳没)
没地: スイスの旗 スイスチューリヒ
思想: 社会主義
活動: ロシア革命
所属: 社会革命党、社会革命党戦闘団
Gershuni.jpg

グリゴリー・アンドレーエヴィチ・ゲルシューニゲルシュニロシア語: Григорий Андреевич Гершуни, ラテン文字転写: Grigorii Andreievich Gershuni, 1870年9月29日ユリウス暦9月17日) - 1908年5月29日(ユリウス暦5月16日))は、ロシア帝国革命家社会革命党(エスエル)創設者の一人。

生涯[編集]

生い立ちと初期の経歴[編集]

1870年、当時、ロシア帝国領だったリトアニアカウナスで、ユダヤ人の家庭に生まれた[1]。3歳のとき、一家はシャウレイに移る。15歳で叔父の下で薬剤師の見習いとなり、同時に居留地(ユダヤ人居留地Pale of Settlement)の外を含むロシア中を旅行する[1]1895年キエフ大学で薬学を学び始める。同時に学生運動、社会主義運動にも関与し、短期間ではあるが逮捕されている。1897年大学を卒業後、ミンスクで化学・細菌学研究所を開く[1]1898年両親をポグロムで失う[2]

革命家[編集]

ゲルシューニは、社会主義者となり、ロシア政治解放労働者党英語版創設メンバーとなった。この結党は、1900年オフラナによる逮捕につながる[3]1901年釈放後、エカテリーナ・ブレシコ=ブレシコフスカヤヴィクトル・チェルノフアレクサンドル・ケレンスキーエヴノ・アゼフらと社会革命党を結成した。ゲルシューニは同志達と社会革命党の基礎を築くとともにテロ路線を支持し、1902年社会革命党戦闘団を創設し、同年4月のドミトリー・シピャーギン内相の暗殺、1903年5月のN・M・ボグダノヴィチウファ県知事の暗殺計画を立案し実行した。1902年7月には当時ハリコフ県知事のイワン・オボレンスキー公の暗殺を計画したが、未遂に終わった[4]

ゲルシューニは、同志であるアゼフがオフラナのスパイであることを知らなかった[5]1903年5月、アゼフの密告によってキエフで逮捕された。1904年2月、ペテルスブルク軍事法廷は、ゲルシューニに死刑判決を下すが、皇帝ニコライ2世の恩赦によって終身刑に減刑された[5]。「追放囚人政治犯」としてシュリッセリブルク要塞で刑に服し、1906年シベリアのアカトゥイ・カトルガ刑務所に移るが、同刑務所をザウワークラウトの樽に隠れて脱獄することに成功した。脱獄後、中国に亡命する[6]

中国から[7]日本アメリカ合衆国に渡り、米国ではサンフランシスコからニューヨークまで旅をし、社会革命党支持者の大会で演説している[6]。また、シカゴでは社会事業家、平和運動家のジェーン・アダムズに会っている[8]1907年2月、ヨーロッパに戻り、第二回社会革命党臨時党大会に参加している[3]。党大会では、ツァーリズムを攻撃し、テロ路線を支持するとともに、当局のスパイ容疑からアゼフを弁護した。1908年に結核のためスイスで死去した[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c The Morality of Terrorism: Religious and Secular Justifications by David C. Rapoport, p. 242
  2. ^ RUSSIA'S BLOODIEST ANARCHIST MUST DIE, in the Tacoma Times (via Chronicling America); published April 18, 1904; retrieved July 19, 2015
  3. ^ a b c The Russian Socialist Revolutionary Party Before the First World War by Manfred Hildermeier, pp. 42–43
  4. ^ Thou Shalt Kill: Revolutionary Terrorism in Russia, 1894-1917 by Anna Geifman pp. 50–51
  5. ^ a b Entangled in Terror: The Azef Affair and the Russian Revolution by Anna Geifman, pp. 54–55
  6. ^ a b The American monthly review of reviews, Volume 35, p. 492
  7. ^ ロシア語版の記述によるとウラジオストクから船で日本に渡ったとある。
  8. ^ Twenty Years at Hull House: With Autobiographical Notes by Jane Addams, p. 419