グレプ・ユーリエヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グレプ・ユーリエヴィチロシア語: Глеб Юрьевич、? - 1195年3月17日)は12世紀末のルーシのクニャージ(公)である。ドゥブロヴィツァ公:1182年 - 1190年、トゥーロフ・ピンスク公:1190年 - 1195年。

グレプはトゥーロフ・ピンスク公ユーリーアンナ(グロドノ公フセヴォロド(ru)の娘)との間に生まれた。1182年ドゥブロヴィツァ公国領を得た[1] 。グレプは史料上に記述が残る2人のドゥブロヴィツァ公のうちの1人である。1189年ロスチスラフの娘と結婚、1190年からトゥーロフ・ピンスク公国領を統治した。1195年トゥーロフで死亡した[1]

史料上に記述が残るもう1人のドゥブロヴィツァ公であるアレクサンドルは、グレプの子もしくは孫と考えられている。また、異説もあるものの、ステパニ公ロスチスラフはグレプの子とされている。

出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b Войтович Л.3.5. ІЗЯСЛАВИЧІ. ТУРОВО-ПІНСЬКІ КНЯЗІ. ЧЕТВЕРТИНСЬКІ. СОКОЛЬСЬКІ(ウクライナ語).
    КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ(ウクライナ語)