ゲルリッツ
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紋章 | 地図 |
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基本情報 | |
連邦州: | ザクセン州 |
行政管区: | ドレスデン行政管区 |
郡: | ゲルリッツ郡 |
面積: | 67.22 km² |
人口: |
55,980人(2019年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 833 人/km² |
標高: | 海抜 199 m |
緯度経度: | 北緯 51度09分10秒 東経14度59分14秒 |
郵便番号: | 02826-02828 (旧: 89xx) |
市外局番: | 03581 |
ナンバープレート: | GR |
自治体コード: | 14 6 26 110 |
市の構成: | 10 市区、 8 街区 |
市庁舎の住所: | Untermarkt 6/8 02826 Görlitz |
ウェブサイト: | www.goerlitz.de |
E-Mail: | online@goerlitz.de |
行政 | |
上級市長: | ヨアヒム・パウリック (Joachim Paulick) (CDU) |
ゲルリッツ(Görlitz, (発音), ソルブ語: ズホリェルツ Zhorjelc)は、旧オーバーラウジッツ地方(Oberlausitz)、現ザクセン州のナイセ川流域にあるドイツの都市である。現在はドレスデン都市圏に属する。
歴史[編集]
ゲルリッツの名は、スラヴ語で「燃やされた土地」(町を切り開く際に土地が焼かれた)を意味する言葉(「燃える」や「燃やす」を意味するロシア語のгоретьやチェコ語のhořetと同語源。)に由来する。ゲルリッツが最初に文献に登場するのは、当時ローマ王だったハインリヒ4世が1071年に書いた書簡である。13世紀以降、交易により町は発展する。
三十年戦争以後ザクセン選帝侯の支配下に入り、ナポレオン戦争の後、1815年のウィーン会議によりプロイセン領シュレージエンの一部となった。
第二次世界大戦ではドイツが敗北する直前、町のナイセ川にかかる橋がすべて爆破された。大戦後、オーダー・ナイセ線が東ドイツとポーランドとの国境線とされたため、旧ゲルリッツ市のナイセ川東岸が1948年にポーランド領ズゴジェレツ(Zgorzelec)となり、残りの部分は東ドイツのザクセン州の一部となった。その後ゲルリッツは1952年からドレスデン県に属し、ドイツ統一に際し再設置されたザクセン州に復帰した。
2002年の水害により、ゲルリッツとズゴジェレツを結ぶ橋が損傷したが、2004年10月に復旧した。
ゲルリッツとズゴジェレツの両都市は2007年12月ポーランドがシェンゲン協定に加盟したことにより、検問が廃止されて再度一つの町として発展する方向に向かい、「2030年までに1都市、1行政、1議会」とする計画を立てている[2]。
姉妹都市[編集]
ゲルリッツ出身の人物[編集]
- ヤーコプ・ベーメ:哲学者
- オスカー・モルゲンシュテルン:経済学者
- ミヒャエル・バラック:サッカー選手
- イェンス・イェレミース:サッカー選手
- パヴレ・ユリシッチ=シュトゥルム:セルビア王国の軍人
- ミヒャエル・クレッチマー:ザクセン州首相
関連項目[編集]
- シュレージエン
- ラウジッツ
- 六都市同盟
- 鉄道車両の台車(ゲルリッツ式台車)
- ゲルリッツには150年以上の歴史を有する鉄道車両の工場があり、世界的名門として知られる。現在はボンバルディア・トランスポーテーションの所有。
引用[編集]
- ^ Bevölkerung des Freistaates Sachsen nach Gemeinden am 31. Dezember 2019 (PDF)
- ^ 「朝日新聞」2008年1月31日朝刊、9面。
外部リンク[編集]
- ゲルリッツの公式ページ -(ドイツ語、英語、ポーランド語)