コロルノの戦い

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コロルノの戦い
BATTAGLIA DI COLORNO.png
戦闘の地図、1740年作。
戦争ポーランド継承戦争
年月日1734年5月25日 - 6月5日
場所パルマ公国コロルノ
結果:フランスとサルデーニャの勝利
交戦勢力
フランス王国の旗 フランス王国
サルデーニャ王国 サルデーニャ王国
ハプスブルク帝国 ハプスブルク帝国
指導者・指揮官
サルデーニャ王国 カルロ・エマヌエーレ3世
フランス王国の旗 フランソワ=マリー・ド・ブロイ
フランス王国の旗 フランソワ・ド・フランクトー・ド・コワニー英語版
フランス王国の旗 ノエル・ジュルダ・ド・ヴォー英語版
ハプスブルク帝国 クロード・フロリモン・ド・メルシー
ハプスブルク帝国 フリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴュルテンベルク=ヴィンネンタル英語版
ハプスブルク帝国 レオポール・マルク・デ・リュネヴィル
戦力
65,000 60,000
損害
死傷者約1,600 死傷者約1,300
ポーランド継承戦争

コロルノの戦い(コロルノのたたかい、イタリア語: Battaglia di Colorno)は、ポーランド継承戦争中の1734年5月25日から6月5日まで、フランスサルデーニャの連合軍がオーストリア神聖ローマ皇帝軍と戦った戦闘。戦闘はパルマから約10キロメートル北のコロルノで行われた。

背景[編集]

1733年にポーランド王アウグスト2世が死去すると、継承争いがおこり、すでに不穏状態にあるヨーロッパでの勢力均衡が崩れた。スペイン継承戦争で同盟したフランススペインは1733年11月7日のエスコリアル条約で再び手を組み、サルデーニャもオーストリアの圧力から逃れるために両国に味方した。一方でロシアアンナ女帝プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は皇帝カール6世と三国同盟を組んだ。

フランス・サルデーニャ連合軍は1733年10月にミラノ公国に侵攻、大した損害も受けずにロンバルディアを占領した。1734年2月にトルトーナまで占領すると、フランス軍は冬営に入った。

すでに81歳の老将クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール元帥はイタリア軍を率いていたが、彼はルイ15世に面会するためにフランスへ帰国したため(1734年6月17日に道中のトリノで死去)、フランス軍の指揮は元帥に叙されたフランソワ=マリー・ド・ブロイフランソワ・ド・フランクトー・ド・コワニー英語版が継いだ。サルデーニャ軍は王のカルロ・エマヌエーレ3世自らが率いた。

オーストリア軍はクロード・フロリモン・ド・メルシーフリードリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ヴュルテンベルク=ヴィンネンタル英語版が率いたが、二人の意見の相違により戦闘の準備は緩慢にしか進まなかった。1734年2月から4月までの間、オーストリアと神聖ローマ帝国軍はマントヴァに集結、当時の新聞では6万人とされた。その後、オーストリア軍はパルマへ移動、5月2日にポルトーレ(Portole)とモンテ・ディ・サン・ベネデット(Monte di San Benedetto)の2箇所に橋を架けてポー川を渡河し、ノヴェッラーラミランドラグアスタッラを占領、ソルボロ・レヴァンテイタリア語版セッラグリオ・マントヴァーノイタリア語版に軍の大半を配置した。

フランス軍はカザルマッジョーレの高地でポー川を渡った後、パルマの北、コロルノ近くのサッカ(Sacca)の高地で要塞化された防御線を築いた。サルデーニャ軍2万人はサングイニャ(Sanguigna)に布陣、これに5個大隊と砲兵隊が加わり、コロルノ公宮殿英語版の守備に就いた。

戦闘[編集]

5月25日、オーストリア軍のフザールと竜騎兵はパルマから進軍、コロルノを占領しようとしたが撃退された。

6月1日、コロルノに対する2度目の突撃で、オーストリア軍のレオポール・マルク・デ・リュネヴィルを含む800人が戦死したが、突撃は失敗した。

6月2日から5日まで、オーストリア軍の砲兵隊はコロルノに砲撃し、連合軍の占領したコロルノ公宮殿と庭園、およびトッレ・デッレ・アックエイタリア語版を破壊した。オーストリア軍は5日だけで200人が戦死したため撤退、カルロ・エマヌエーレ3世はその後にコロルノに入城した。

その後[編集]

オーストリア軍はコロルノからパルマとヴァル・ディ・タロ英語版へ撤退、一方はフランスとサルデーニャの連合軍はパルマの西のクロチェッタに集結、6月29日にサン・ピエトロの戦いを戦った。

文化において[編集]

フランチェスコ・シモニーニ英語版はこの戦闘について油絵を描き、現代ではイゾラ・マドレ英語版のピナコテチャ・ボッロメモの戦闘の間に残っている[1]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Pierre Massuet, Istoria della guerra presente incominciata l'anno 1773, 1736.
  • Francisco-Saverio Brunetti, Trattenimenti scientifici su la sfera, geografia istorica, meteore, ed astronomia, 1754.
  • Ludovico Oberziner, La battaglia di Parma, in "Atti del congresso internazionale di scienze storiche", 1906.
  • Gianfranco Stella, Parma, ed. Quaderni parmensi, Parma, 1988
  • Adele Vittoria Marchi, Parma e Vienna: cronaca di tre secoli di rapporti fra il ducato di Parma Piacenza e Guastalla e la corte degli Asburgo, Artegrafica Silva, Parma, 1988 - ISBN 88-7765-006-0
  • Giancarlo Gonizzi, La battaglia di San Pietro, ed. Aurea Parma, Parma, 2004