コヴェントリー (駆逐艦)

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HMS Coventry D118
艦歴
発注
起工 1973年1月29日
進水 1974年6月21日
就役 1978年10月20日
その後 1982年5月25日
アルゼンチン軍機の攻撃により沈没。
性能諸元
排水量 4,820トン
全長 125 m (410 ft)
全幅 14.3 m (47 ft)
吃水 5.8 m
機関 COGOG (Combined Gas or Gas)
ガスタービン2基, 2軸推進 36 MW
速力 最大 30 ノット (56 km/h)
乗員 287名
兵装 エリコンGAM-B01 20mm機関砲× 2
シーダート艦対空ミサイル連装発射機× 1
4.5インチ (114 mm) Mk 8 砲 × 1
STWS Mk.2 3連装短魚雷発射管× 3
搭載機 ウェストランド・リンクス

コヴェントリー (HMS Coventry, D118) は、イギリス海軍42型駆逐艦。1973年1月29日に起工、1974年6月21日に進水し1978年10月20日就役した。フォークランド紛争で戦没した。

艦歴[編集]

1982年、コヴェントリーはフォークランド紛争に参加してイギリス海軍で初めて実戦でシーダートSAM及びシースクア対艦ミサイルを発射した艦となった。

1982年4月5日にコヴェントリーはイギリス海軍第317任務部隊の一隻としてポーツマスより出航し、フォークランド諸島へ向かい、5月1日は同海域に展開、航空統制艦として対空監視と友軍の航空機の誘導を担当した。

5月3日、イギリス海軍機によって撃墜されたアルゼンチン空軍キャンベラ爆撃機のパイロット捜索のためにフォークランド諸島、ポート・スタンレーから派遣されたアルゼンチン海軍の哨戒艇コモドーレ・ソメレーラ、アルフェレツ・ソブラルの2隻が飛行中だったイギリス海軍のシーキングヘリコプターと会敵。銃撃を受けたシーキングは直ぐに艦隊に連絡し、コヴェントリーと僚艦の同型艦グラスゴー搭載のヘリコプターリンクスがシースクア・ミサイルを搭載して発進、銃撃を受けたシーキングの誘導を受けて接近、コヴェントリー艦載のリンクスがコモドーレ・ソメレーラへ2発のシースクアミサイルを発射しこれを撃沈した。アルフェレツ・ソブラルもグラスゴー搭載のリンクスから2発のシースクアを受け、艦橋が全壊するほど大破してアルゼンチン本土に撤退した。

5月9日、コヴェントリーはポート・スタンレー周辺を低空飛行していたアルゼンチン陸軍ピューマヘリコプターに対してシーダート・ミサイルを発射し、撃墜した。

コヴェントリーは5月25日、イギリス陸軍の橋頭保であるサン・カルロス近海にて22型フリゲート艦ブロードソードと共に対空監視を行っていたが、これをアルゼンチン空軍機が攻撃した。早朝のアルゼンチン空軍第4戦闘航空群スペイン語版A-4スカイホークによる攻撃は対空ミサイルによって1機を撃墜し、退けることに成功した。

同日正午、コヴェントリーはアルゼンチン空軍第5戦闘航空群スペイン語版のA-4スカイホーク攻撃機の攻撃を受けた。この際、僚艦であるブロードソードは近接対空ミサイルであるシーウルフ対空ミサイルでの迎撃態勢に入っていたが、超低空で接近するスカイホークを回避運動中だったコヴェントリーの船体が隠してしまう形になり、レーダーロックが解除されてしまう事態に陥った。この隙に接近した2機のスカイホークに対してコヴェントリーもシーダート・ミサイルと主砲、機関砲による迎撃を行うが失敗した。ところが、スカイホークから投下された3発の爆弾がコヴェントリーの左舷中央部に命中、炸裂し直後に転覆して沈没、乗員19名が戦死した。当時のパイロットは、パブロ・カルバージョ英語版スペイン語版大尉とカルロス・アルフレド・リンケ中尉である。

この艦艇を扱った番組[編集]

  • 衝撃の瞬間』 第6シーズン第8話「駆逐艦コベントリー沈没 (Sinking The Coventry) 」