ゴードン・ハスケル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴードン・ハスケル
Gordon Haskell
Gordon+Haskell.jpg
ゴードン・ハスケル(2004年)
基本情報
出生名 Gordon Haskell Hionides
生誕 (1946-04-27) 1946年4月27日(73歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
ドーセット州ヴァーウッド
ジャンル ロック
職業 歌手
作詞家
作曲家
ベーシスト
ギタリスト
担当楽器 ベースギター
活動期間 1965年 - 現在
共同作業者 フルール・ド・リス
キング・クリムゾン
ジョー
公式サイト gordonhaskell.com

ゴードン・ハスケルGordon Haskell1946年4月27日 - )は、イギリス出身のミュージシャンベーシストギタリスト作曲家作詞家

略歴[編集]

ゴードン・ハスケルは、1946年イギリスは、ドーセット州ボーンマスの産院にて生まれる。

1961年、学友のロバート・フリップからギターの手ほどきを受け、7月終わりに一緒に組んだ初めてのバンド、レイヴンズでベースを担当。 9月にはウィンボーンにあるウェスト・ムーア・ユース・クラブの教会で初めてのステージに立った[1]

1962年8月解散。フリップのみダグラス・ワードのトリオやホテル専属バンドでセミプロ活動を続けた。

1964年3月、ハスケル、フリップ、リーダーのティノ・リチニオ[2]の元レイヴンズのメンバーが集まり、新ドラマー[3]とボーカル[4]を加え、バンド名をザ・リーグ・オブ・ジェントルメンとし5人編成で活動。

ビートルズロイ・オービソンフォー・シーズンズ等、主に当時のヒット曲を演奏していた。[5]ドーセットの地元バンドとして地方紙に載るがデビューには至ってない。

1965年夏、フリップが学業専念の為に脱退。バンドはその後も秋まで活動し解散。(当時出た同名バンドによる2枚のシングルはハスケルやフリップと無関係の別バンドで、バンド名を「League」に変えた後にも1枚シングルを出していた[6] )。

その後、かつて同郷のジャイルズ兄弟も参加してたダウランズ[7]のツアー参加中、観客からフルール・ド・リス (The Fleur de Lys)でベースを募集していると聞き、年末に加入。

ロンドンに出たハスケルは66年中頃からリンゴ・スター所有でアニマルズが住んでいた豪邸に8ヶ月下宿しており、アニマルズのチャス・チャンドラーが米国から連れて来たジミ・ヘンドリックスも一緒に住んでいた。[8]

1966年3月、フルール・ド・リス[9]のセカンド・シングル「サークル」でレコードデビュー。

このバンドが1965年に出した最初のシングルはジミー・ペイジプロデュースだったが、ハスケル参加のセカンド・シングルはグリン・ジョンズとトニー・キャルダー共同プロデュース[10]。ハスケル本人もジミーペイジによる制作関与を問われ「当時ペイジには会ったことがない」と述べている[11]

1967年からフルール・ド・リスの三代目マネージャー[12]に就いた人物がアトランティックの英国部門ヘッドだった事もあり、セッションやバックバンド活動にも数多く参加。様々な歌手のレコードや作曲家のデモでもベースを弾いている。

この時期初めて他の歌手[13]に「レイジー・ライフ」という楽曲を単独で提供している[14](南アフリアでシングルチャート2位、内二つの州で1位)。

1968年4月、フルール・ド・リスを脱退[15]。フラワーポット・メン、キューピッズ・インスピレーションといった当時既にヒット曲を出していたグループのツアーに参加。

この当時、書き貯めていた曲をマネージャーと売り込み、キューピッズ・インスピレーションのプロデューサーであったジミー・ダンカンの手によりソロ・アルバムを制作。

1969年秋、ファースト・ソロ・アルバム『セイル・イン・マイ・ボート』を英CBSより発表。

またこの年結成したばかりのキング・クリムゾンのリハーサルに旧友のフリップを尋ね度々見学に訪れていた。

1970年春、キング・クリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』収録曲「ケイデンスとカスケイド (Cadence And Cascade)」にボーカルでセッション参加。

旧友ロバート・フリップの熱心な誘いを受けキング・クリムゾンにベース兼ボーカルで加入。1970年夏、サード・アルバム『リザード』に参加。

アルバム制作終了後の秋に引き続いて行なわれたライブ用リハーサルでフリップと対立し脱退。[16]

クリムゾン離脱後、来英中だったアトランティック・レコード会長アーメット・アーティガンにレコード・プロデューサーのジョン・ミラー[17]の勧めで面接しに行き、その場で歌いレコード契約を得た。

1971年夏、セカンド・アルバム『歳時記』が制作され、解散したモーガル・スラッシュからジョン・ウェットンとビル・アトキンソン(=ビル・ハリソン)が参加している。

ギターにはハスケルと同じくドーセット州出身でかってダウランズでもプレイしていたアラン・バリー(このセッション後にフィールズへ参加)を呼び寄せた。

ロンドンでの収録後、プロデューサーのアリフ・マーディンがニューヨークのスタジオで追加録音とマスタリングを行なったが、ハスケルは帯同しなかった。

11月ロンドンのレインボー・シアターでウィッシュボーン・アッシュマウンテンらと共演。その後スタックリッジ、オーディエンスと共にツアーに出た。 アルバム発売から9ヵ月後にはソロ歌手を諦め、ティム・ハーディン、ブリン・ハワース[18]等のバックバンドでベーシストを勤めた。

1974年、スタックリッジとセッションをするも正式加入には至らず、ハスケルのセカンド・アルバム楽曲「Worm」が彼らの4thアルバム『エクストラヴァガンザ(幻想狂詩曲)』でカバーされている。

フルール・ド・リス時代の同僚ギタリスト、ブリン・ハワースのファースト・ソロ・アルバム『レット・ザ・デイズ・ゴー・バイ』に参加。

1976年、ブリン・ハワースのBBCラジオ出演のバックバンドで加藤ヒロシ、ジム・ラッセルと知り合い、バンド「ジョー」を結成、ディスコ音楽作品を制作。翌1977年、「ジョー」名義にてシングルを発売。メル・コリンズも同シングルに参加している。[19]

1977年、山口百恵のロンドン制作アルバム『GOLDEN FLIGHT』にジョーのメンバーらと参加。百恵のロンドン観光には自身の自動車を貸している。[20]この時期、初来日も果たしている。

この当時セッション仕事のない日にレストランバーで歌っていた際の仲間[21]の紹介で、クリフ・リチャード・バンドのツアーに12週間参加した[22]。またこのツアー終盤には元フィールズのアラン・バリーも極短期間参加していた。

1979年、RCAと2年のソングライター契約、ハスケルが提供した歌「レイジー・ライフ」を1967年に唄っていたビル・キンバー[23]によるプロデュースでサード・アルバムの制作に入るもテスト盤止まりで発売されず。そのセッションからシングル盤4枚が発売されたのみだった(1997年にCDアルバムで発売)。

1984年以降はスペインや北欧など各地で酒場巡りの弾き語り歌手をするなどして過ごしていた。

1989年、自身のレーベル、Wilderness Recordsを立ち上げ。翌1990年、アルバム『ハンブルドン・ヒル』で9年ぶりにソロ名義作品を発表。

2001年末、クリスマスソングとして発表した「How Wonderful You Are」が全英シングルチャート2位のヒットとなり、翌2002年春発売通算9作目のアルバム『Harry's Bar』も全英アルバムチャート2位を記録した。

2007年、自宅のあったドーセットからギリシャのスコペロス島に妻ら家族と移住。[24]

2015年年頭、プロ活動50周年に5年ぶりのシングル曲「I'm letting everybody know」を発表(英国以外ではダウンロード販売のみ)。年末からは久しぶりのUKツアーを行なった。

2016年末、英国に住まいを戻し、活動を再開した。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • 『セイル・イン・マイ・ボート』 - Sail In My Boat (1969年)
  • 『歳時記』 - It Is And It Isn't (1971年) ※ルクセンブルグ・アルバムチャート最高8位。旧邦題『イット・イズ・アンド・イット・イズント』。
  • 『サード』 - Serve at Room Temperature (1979年) ※LPはテスト盤のみ、1997年CDにて正式発売。
  • 『ハンブルドン・ヒル』 - Hambledon Hill (1990年)
  • 『ドライヴ・ユー・クレイジー』 - It's Just a Plot to Drive You Crazy (1992年)
  • Voiceprint Radio Sessions (1994年) ※ミニアルバム
  • Butterfly in China (1996年)
  • 『オール・イン・シーム・オヴ・シングス』 - All In The Scheme Of Things (2000年9月11日)
  • Harry's Bar (2002年4月2日)
  • Shadows On The Wall (2002年10月14日)
  • Look Out (2003年)
  • The Lady Wants To Know (2004年10月4日)
  • Gordon Haskell w Szczecinie Live! (2008年) ※ポーランド盤のみ。
  • The Road To Harry's Bar, All Hits Live (2008年)
  • One Day Soon (2010年9月24日)

ソロ・シングル[編集]

  • "Boat Trip / Time Only Knows"(1969年9月12日)
  • "Oo La Di Doo Da Day / Born To Be Together" (1970年2月13日) ※A面のみシングルヴァージョン別アレンジ
  • "Sitting By The Fire" (1972年) ※アメリカ盤のみ
  • "People Don't Care / Silhouettes" (1979年5月18日)
  • "I Need Your Love So Much / Living In The Attic" (1980年)
  • "Castles In The Sky / My Baby" (1980年)
  • "5-10-15 / Whisky" (1981年) ※A面のみアルバム未収録
  • "Hambledon Hill / Mystical Allusion" (1990年)
  • "How Wonderful You Are / A Little Help From You" (2001年)
  • "There Goes My Heart Again" (2002年) ※3曲入りマキシシングル
  • "The Music Played" (2003年) ※Gordon Haskell & Maarit名義。シングルはドイツ盤のみ。ジャケット変更されたフィンランド盤「Shadows On The Wall」にもこの曲は収録されている。[25]
  • "The Lady Wants To Know / Tell Me All About It (Edit)" (2004年)
  • "Everybody Wants To Go To Heaven" (2006年) ※3曲入りマキシシングル、アルバム未収録
  • "Take My Breath Away" (2008年9月) ※アルバム未収録
  • "Forevermore" (2010年)
  • "I'm letting everybody know" (2015年1月)

キング・クリムゾン[編集]

フルール・ド・リス[編集]

  • Reflections (1997年) ※1965-1969年バンド関連シングル集
  • 『ユーヴ・ゴット・トゥ・アーン・イット』 - You've Got To Earn It (2013年) ※未発表曲を含む

主な他アーチスト参加作品[編集]

  • William E: "Lazy Life" (1967年) ※初シングルA面提供楽曲、後にQuentin E Klopjaeger名義南ア再録音盤がヒット。
  • Rupert's People: "Reflections Of Charles Brown" (1967年) ※英シングルチャート最高20位。豪チャート最高13位。バンド名義は違うがフルール・ド・リスの演奏。
  • Sharon Tandy: "Stay With Me" (1967年) ※B面の「Hold On」をA面にしての英国シングル再発は1968年。西ドイツ等でヒット。[26]
  • Donnie Elbert: Tribute To A King (1968年)
  • John Bromley: Sing (1969年) ※制作は1968年
  • Cupid's Inspiration: Yesterday Has Gone (1969年) ※同名シングルではなくアルバムのみ。
  • Bryn Haworth: Let The Days Go By (1974年)
  • Garth Hewitt: Love Song For The Earth (1976年)
  • イースト・サイド・シャッフル: 「ファンキー・アップ・ダウン」 (1976年) ※日本のみで発売されたディスコシングル。サックスでメル・コリンズが参加。
  • 山口百恵: 『GOLDEN FLIGHT』 (1977年)
  • Joe: "How Can I Resist" (1977年) ※シングル両面ともハスケル作品。サックスでメル・コリンズが参加。
  • Graffiti-House Band: The Golden Twist Party (1977年) ※Joeの変名バンドによるツイストカバー集。参加者は山口百恵『GOLDEN FLIGHT』とほぼ同じ。
  • トーヤ: 『オフェーリアズ・シャドウ』 - Ophelia's Shadow (1991年) ※1曲目イントロ部分のキーボードのみ。[27]
  • Kisia Skrzynecka: Koa (2005年) ※1曲目と6曲目にデュエットしている。

映像作品[編集]

  • The Gordon Haskell Story (2002年) ※ライブとインタビューDVD。
  • The Road To Harry's Bar (2005年) ※2005年のライブとプロモ映像DVD。

脚注[編集]

  1. ^ ロバート・フリップ日記2003年7月2日より
  2. ^ DGMのフリップ日記では晩年まで元メンバーと交流が絶えなかった人物(2008年没)。末期癌でも死の前の月まで地元で演奏をしていた。
  3. ^ スタンリー・レヴィ。1969年にリチニオ、アラン・バリーとジ・アクトレスというバンドで唯一のシングルを出している。
  4. ^ レグ・マシューズ:ボーンマス地方紙イヴニング・エコーにおいて1965年には年間最優秀ボーカリストに選ばれた。ステージでの芸名はトニー・マシューズ。後にトニー・ヘッドと交代した。
  5. ^ 『UKプログレッシヴ・ロックの70年代』ゴードン・ハスケル・インタビュー(マーキー・インコーポレイティド、1996年6月)
  6. ^ 同名別バンドメンバー一覧
  7. ^ セミプロ時代のマイケル・ジャイルズピーター・ジャイルズが1961年秋から1963年秋までバックバンドで演奏していた。
  8. ^ ゴードン・ハスケル自伝 the road to harry's bar
  9. ^ 日本盤CDフルール・ド・リス『ユーヴ・ゴット・トゥ・アーン・イット』、バンド表記名に準拠
  10. ^ 両名ともイミディエイト・レコードに関与してたローリングストーンズ人脈でジョンズはエンジニア、キャルダーはマネージャー。
  11. ^ CD:The Fleur De Lys – You've Got To Earn Itにおいて当曲のリードギター演奏はPhil Sawyerとキース・ガスターによりクレジットされている。
  12. ^ フランク・フェンター。ロイス・フェンター・プロダクション所属女性歌手シャロン・タンディのマネージャーでもあった。
  13. ^ ウィリアムEというビル・キンバーの変名。南アフリカではビリー・フォレスト、クエンティンEクロップイエガー名義でも活躍。南アフリカでは渡英前のシャロン・タンディともレコーディングしていた。
  14. ^ 共作曲の提供ではこの1ヶ月前、Rupert's People、シャロン・タンディがそれぞれ出したシングルB面に収められた「Hold On」がある(1967年7月)。
  15. ^ CD:The Fleur De Lys – You've Got To Earn It、キース・ガスターによる10曲目解説文より。
  16. ^ 『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)
  17. ^ 当時ジョン・ウェットンに仕事先の世話をしていたプロデューサーでジョージ・マーティンの弟子に当たる人物、ロッド・エドワーズ、ロジャー・ハンドと三人体制のTRIUMVIRATEプロダクションという制作チームで多くのレコードをプロデュースした。ハスケル自伝より。
  18. ^ 1973年オランダ・アムステルダム公演
  19. ^ 翌1978年にもJoe名義でプロレスラー藤波辰巳のテーマ曲「ドラゴン・スープレックス」がシングルで出ているがハスケルは不参加。メル・コリンズは参加している。
  20. ^ プロデューサー川瀬泰雄氏ラジオ出演より
  21. ^ 一緒に組んで歌っていたPete SillsとMike Allisonの自作曲が採用されクリフ・リチャードに歌われた。
  22. ^ 1977年10月24日オランダ・ロッテルダム公演
  23. ^ この年代RCAでプロデューサーになっていた。
  24. ^ 公式サイトより
  25. ^ デュエット相手はフィンランド人女性歌手。オーストリア人歌手ウド・ユルゲンスの「Was ich dir sagen will」(夕映えのふたり)のカバー。日本ではペドロ・アンド・カプリシャスがカバーした「別れの朝」というタイトルでも有名。
  26. ^ ハスケルは67年から68年シャロン・タンディのたくさんのシングルで演奏やコーラスをしている。
  27. ^ 『ハンブルドン・ヒル』と同じボーンマスのCourhouseスタジオ、同じエンジニア、同じドラマーで制作されている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『キング・クリムゾン―至高の音宇宙を求めて』(新興楽譜出版社、1981年6月)
  • 『UKプログレッシヴ・ロックの70年代』(マーキー・インコーポレイティド、1996年6月)
  • 『the road to harry's bar』GORDON HASKELL著(MAINSTREAM PUBLISHING、2006年)
  • 『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)
  • 『THE FLEUR DE LYS / CIRCLES』PAUL ANDERSON & DAMIAN JONES著(ACID JAZZ、2009年)